2024年5月14日火曜日

川島みどり(日本赤十字看護大学名誉教授)  ・「手当」が教えてくれること

川島みどり(日本赤十字看護大学名誉教授)  ・「手当」が教えてくれること 

川島さんは1931年 韓国ソウルの生まれ。 終戦の翌年島根県に引き上げてきました。   1951年に日本赤十字女子専門学校(現日本赤十字看護大学)卒業、約20年は病院の看護師として勤務、退職してからは研究会を主宰し、母校で教鞭をとり、東日本大震災の時には看護師のチームを率いて被災地に駆けつけました。 川島さんが考える看護師本来の看護の力である「手当」を考え、普及しようと2013年に日本手当推進協会を設立しました。 2007年にはフローレンス・ナイチンゲール記章受章しています。 

父が銀行員をしていたので転勤が多くて、小学校の時には5回、女学校は5年間で4回転校しています。 適応力は出来たと思います。 北京で敗戦を迎えましたが、父は単身赴任で奥地に行っていました。 ポツダム宣言が受諾されて、日本人が残っているのはけしからんと言うことで、即日本に引き上げという事になりました。 途中の辛い事は言葉ではいい尽くせません。  島根県に戻ってきて県立の女学校に編入しました。 厳しい校則に中で1年半過ごして、日本赤十字女子専門学校(現日本赤十字看護大学)に行きました。 

おむつを取り替えたり、便器を差し上げたり、ご飯を食べさせたり、身体を拭いてやったり、看護師の仕事をしていて、これが専門職の仕事なのかと疑いながら、これは大事な事なんだと自分に言い聞かせてやっていて、専門職だという確信が持てなかった。 卒業後すぐに死にかけていた少女の身体を拭いてあげたら、生き返った経験が自分自身であって、初めてやっぱり専門職だと思いました。 注射、機械が無くても命は救えることが出来ると、これが私の看護の原点です。

約70年の間で看護師の労働条件も良くなりましたが、看護界全体を考えた時に、看護の仕事の全体の流れを考えた時に決して良い方向ではないんじゃないかと思います。 社会の目はいまだに看護師は医師のアシスタントと言う風に思っている人が沢山いると思います。  看護師は誰もが持っている「治る力」を如何に引き出すかという事が看護師の仕事で、そのためには何をするかと言うと、食べたり、だしたり、息をしたり、身体を綺麗にしたり、眠ったり、話したり、動いたり、そういった暮らしの営みの一つが欠けると、病気の症状以上につらいんです。 自分のやっていた営み、習慣が保たれ続いてゆくことを、きちんと整えるのが看護なんです。  一人一人の生活習慣はみんな違うんです。 それに適したやり方で援助するという事は相当高度な能力が必要なんです。  看護医師が本来の仕事ができる環境を作るのが一番大事なんです。 人手不足、仕事の忙しさからそういったことがなかなかできない状況にある。 

昔は全寮制で看護師は結婚すると退職して、看護医師は独身が不文律でした。  私が看護師になって10年ぐらいすると、新しい教育制度の下に卒業していた若い子が「それはおかしい。」と言うんです。  数人で寮を出て働き始めたら、あまりのも賃金が安い事、労働力が厳しいことが判りました。  夜勤を1週間続けてやって、夜勤手当が入って6000円ぐらいの手取りでした。4畳半で4500円でした。  何とかしないといけないといいことになりました。 60年安保の時代だが白衣の天使と言われて労働組合に入ることはとんでもない事だった。 一緒に寮を出た人のなかで結婚して妊娠した人が居ました。 婦長に話したが、これは労働組合に入らなければいけないと思いました。  

看護師が妊娠しても、重いものを持ったりしたり、妊婦がやってはいけない言うようなことをやらざるを得ませんでした。 労働条件を改善するために、夜勤の日数を減らすとか、妊娠したら夜勤はしないとか、いろいろ要求を一杯出して、労働組合を動かした?わけです。  子供を育てながらと言う事は夫の理解がないと駄目です。  保育所(保育室)を作ったのも最初でした。   看護師をして15年ぐらいしてから自分も勉強したいと思って要望を出したら、断られてしまって、自分で作りますと言って、東京看護学セミナー という学習集団を作って自分たちのお金で運営を開始しました。 そこでの蓄積が私にとっては凄く役に立っています。 

もっと勉強したくて辞めましたが、講演、原稿の依頼が増えてきて大学に行くようなことになりました。  70歳になってから母校の教授になりました。  日赤の病院を良くすれば全国の病院も良くなってゆくと思って、もう一回日赤の役に立つことがあるかも知れないと思いました。  2年経ったら学部長になってしまいました。 主人が舌癌になりかいごもしなくてはいけなくなって、あの頃は3時間睡眠で大変した。   

「長生きは小さな習慣の積み重ね」と言う本を昨年出版しました。 人生100年と言うと凄く長い感じがしますが、一番大事なことは明るく楽しく自分らしく暮らすという事を目標にしてほしいと思います。  そのためには加齢にとらわれないことだと思います。 暦年齢と本当の心身の年齢は違うんです。  最終的には介護を受ける時間が来ると思いますが、出来るだけ短い期間にしたい。  出来るだけ心配、悩み、ストレスを減らす。  嫌な人には合わない、嫌いなことはしない。  人間は元々群れる本質があります。 一緒に食事をしたり、話をしたりすり事がとてもいいことです。  コロナ禍でそういったことが失われてしまってその後遺症が現れるのではないかと心配されます。 独り暮らしの人は、一人でいることのリスクはいっぱいありますから、一日一回は電話でもいいから声を出してしゃべることは大事です。  手を当てるという事ですごくいい効果があるんです。 痛みを取り除くだけではなくて、不安、心配も除きます。