頭木弘樹(文学紹介者) ・〔絶望名言〕 作家 シオランの言葉
カフカ以上に絶望の言葉ばかりを残している絶望界の大物と言えるのが、シオランという人物です。 最近では絶版になっていた本が新装版として出版されるなど、ジワリと人気が復活してきました。
「ただ一つの本物の不運、それはこの世に生まれ出るという不運だ。」 シオラン(『生誕の災厄』より)
シオランはルーマニアで生まれ、フランスで活躍した思想家です。 代表作に『生誕の災厄』『崩壊概論』『告白と呪詛』などがあります。 1911年生まれ、亡くなったのが1995年、来年が没後30年になります。 絶望の王様と言っていいというような、初めて書いた本が『絶望のきわみで』です。 面白くて読み易いです。 シオランの言葉は攻撃的です。
「ただ一つの本物の不運、それはこの世に生まれ出るという不運だ。」という言葉は『生誕の災厄』の中にあります。 生まれたこと自体が不運だと言っている。 或る意味人生の全否定です。
「若い人達にに教えてやるべきことはただの一字、生に期待すべきものは何一つとしてない。 少々譲ってもほとんど何ひとつない、という事に尽きる。 シオラン
ここまで言われると爽快ですね。 かえってホッっとする時もある。
「健康であれば私たちは器官の存在を知らない。 それを私たちに啓示するのは病気であり、その重要性ともろさとを器官への私たちの遺産ともども理解させるのも病気である。 ここには何かしら冷酷なものがある。 器官のことなど忘れようとしても無駄であり、病気がそうはさせないのだ。」 シオラン (『時間への失墜』から)
病気というものを見事に表している。 自分の器官を意識するという事は「何かしら冷酷なものがある。」という事ですね。
「私たちは肉体のなすがままであり、肉体の気まぐれはそれぞれ判決に相当する。 私たちを支配し、牛耳るのは肉体であり、様々な気分を押し付けるのは肉体である。」 シオラン
健康な時には心が身体を動かしていると感じるが、病気になってみると実は身体の調子で心は凄く変わるんです。 胃が痛いからくよくよする。 心が身体を動かしている部分もあるが、実は身体の方も心を動かしている。
「私は気候に左右されやすい人間なので、常々意志の自立性をどうしても信じきれずにいる。 日々の気象が私のものの考え方の色調を決めてしまう。」 シオラン(『告白と呪詛』より)
「夜とは眠られぬ夜のことだ。」 シオラン(『生誕の災厄』から)
シオランは若いことから不眠症だった。 シオランの苦しむ姿を見て、母親は「こんなに苦しむと判っていたら、生まなかったのに。」と言ったんです。 シオランの考え方が深まっていったのも夜なんですね。
「不眠の一夜を過ごす方が、眠りに恵まれた一年間よりも多くのことを学ぶものだ。」 シオラン (『告白と呪詛』より)
「死んだほうが良いと思った時、いつでも死ねる力がるからこそ私は生きている。 自殺という観念を持たなかったら、ずっと以前に私は自殺していたであろう。」 シオラン(『苦渋の三段論法』
カフカも同じような言葉を言っている。
「すでに子供の頃からそうっだったのかも知れないが、一番身近な逃げ道は自殺ではなく自殺を考えることだった。」 カフカ
矛盾するかもしれないが、いつでも自殺できると思う事で、生きていけるという事はありますね。 シオランは自殺しようとしたことは何度もあるが、思いとどまった。 84歳まで生きた。
「私は生を嫌っているのでも、死を願っているのではない。 ただ生まれなければよかったのにと思ているだけだ。」 シオラン(『カイエ』より)
シオランは健康には気を使ったが病気がちだった。 シオランは人と話す時にはよく笑うし愉快な人だった。
ただ対談ではこう言っている。 「彼はあるサロンで、満座のものを笑わせて帰宅したところ、ただもう死にたいとしか思わなかった。という事ですが、これはあってもおかしくない危機で、私にしても何度か確かめる機会がありました。」 シオラン(『シオラン対談集』より)
人間は表面的な面だけではわからない。
「私たちが思い上がるのは苦しんでいる時ではない。 苦しんだ経験がある時だ。」 シオラン (『カイエ』から)
苦しい経験をするとほかの人の苦しさも判るようになり、優しくなる場合もあるが、逆にもっと厳しくなることもある。 お前の苦しみなんて大したことはない、というように。
「他人の行為を私たちはいつも、自分ならもっと首尾よくやってのけるのに、という感じで眺める。 不幸にして私たちは自分のしていることについてそうした意識を持たない。」 シオラン(『生誕の災厄』から)
人のやっていることはついそんなふうに思ってしまいやすい。
「この世の誰かにとって必要な人間になるくらいなら、わが身をいけにえに奉げた方がまだましだ。」 シオラン(『告白と呪詛』より)
強烈な否定。
「本が何か役に立つと思っているんですかね。」 シオラン( 『シオラン対談集』より)
「私は自分の書く有用性などあまり念頭にない。 何故かと言いますと正直なところ読者のことなどこれっぽちも考えていませんから。 つまりねえ私は自分のために書いているのであり、妄執やら緊張やらから自分を解放するためであって、それ以上のことではないんですよ。」 シオラン
「何故この世でなにかをなさねばならぬのか、何故友人らも、あこがれなど、希望など、夢など持たねばならぬのか、私にはその理由がまるで分らない。」 シオラン(『絶望のきわみで』より)
この世で生きているなら何かなさねばならないとか、友達がいないのは良くないとか、あこがれ、希望、夢など持たないとよくないと言われるが。 それが持たないのは良くないとなってしまう。 それをシオランは言い切ってしまう。
夢を持たなければいけないのかという相談を受けたことがありますが、世の中の圧力はそんなに大きいのかとびっくりしました。 私(頭木)は夢なんか必要ないと言いました。
多くの人が「生きる意味」を求めすぎていると思います。 病気して思ったのは、「意味」のために生きているわけではない。 生きるためにただ生きている、そこには何の意味もない。 意味をつけたい人は勝手に付ければいい。 生きることにもともの意味などない。 「意味のある人生」にしなければという思い込みから解放されれば、人はずいぶん楽になれる。
「正義は何の意味もないという事実は、生きる理由の一つになる。 唯一の理由に立ってなる。」 シオラン(『告白と呪詛』より)