2024年11月22日金曜日

小森邦衞(「髹漆(きゅうしつ)」保持者(人間国宝))・輪島で、漆人(うるしびと)を育て続けたい 後編

小森邦衞(石川県立輪島漆芸技術研修所 所長「髹漆(きゅうしつ)」保持者(人間国宝))・輪島で、漆人(うるしびと)を育て続けたい 後編 

小森さんは昭和20年輪島市生まれ。(79歳)  中学を卒業後、家具職人を経て漆芸の技術である沈金の職人に弟子入りします。 23歳の時に輪島市に出来た漆芸技術研究所の沈金科に2期生として入学しました。  在学中に沈金職人として独立しましたが、再度研究所の髹漆(きゅうしつ)科に入って漆塗りなどを学び、作品を作り続けます。  小森さんの作品は40代になってから展示会で入賞するようになり、2006年61歳で人間国宝に認定されました。 美しい漆芸作品を追求しながら小森さんは研修所の所長を2020年から務めています。 その研修所は今年1月の能登半島地震で建物が損壊して、授業が出来ない状態になりました。 卒業予定の生徒は輪島市を離れて卒業制作を仕上げ、5月に卒業式が行われました。  10月になってようやく在校生の授業が再開し、来月12月には8か月遅れで新入生の入学式が行われる予定です。 災害を乗り越え漆芸の技術伝承に取り組み象徴としても小森さんの思いをお聞きしました。

研修所はおよそ9400平方メートルあります。 敷地内には大きな木が沢山植えられています。 1月の地震の影響で、研修所のトイレは建物の外の仮設トイレが使われていて、敷地内のアスファルトは地割れしているところもあります。 職員の人の中には、地震の後に起こった火事で家が全焼してしまって、仮設住宅で生活している方もいます。 生徒も家が全壊、半壊だったりして家に住めなくなってしまった人もいます。 研修所の建物も損壊して立ち入りが出来なくなってしまいました。 

石川県立輪島漆芸技術研修所のほかに石川県輪島漆芸技美術館の館長もやっていました。 

又重要無形文化財輪島塗技術保存会の会長もやっていました。 2日には家内の実家を見て回ってから美術館に行きました。 研修所は1月4日が仕事始めでしたが、外から順番に見て回り、どうしたらいいか打ち合わせをしました。 1月はほとんど毎日来ました。 1月9日に職員から今年は授業の再開は無理ですと言われました。 研修生の卒業生が17名いました。 作品を仕上げて卒業させてあげたいと思いました。 市外の各大学にお願いして卒業生、先生方も送りこんで、製作を仕上げてもらうという相談を持ち掛けました。 各大学に教室を一部屋空けてもらって対応することになりましたが、お金がありませんでした。   銀行に行って義援金の口座を作りましたが、法律的に使う事には制限があり駄目でした。  見舞金として口座を作ってそこに振り込んでもらえれば、すぐ使えるという事を教えてもらいました。  生徒にかかる費用を賄う事が出来ました。  5月7日に卒業式が出来ました。  17名中15名が卒業出来ました。  2名は輪島に住むことも出来ないようなことで理解しました。 

卒業式では「芸は人なり。」、「漆人となって羽ばたいて欲しい。」という言葉を送りました。  ものを作るということはその人柄が出てきます。 という事で「芸は人なり。」  そして漆芸家となって生きていただきたいと思いました。 在校生は10月半ばからスタートしました。 寄付金を元に5年後に本宿舎が出来ることになりました。 卒業生の作品が3点ここに飾られています。  蒔絵の技法で作られた硯箱(紅葉が細かく金粉で描かれている。)、沈金という技法で作られた箱(金でフクロウが黒い漆のなかに浮かび上がっているようなもの)、黒一色の漆で作られた3段重ねの重箱です。 

研修所では輪島塗だけではなく、日本全国の漆に関する事が学べる場所です。 日本全国、海外からも研修生が来ます。 イタリアからも来ています。  人間国宝の先生方が日本各地から教えに来ていただけます。  研修所にはちょうどコロナが始まった時に、私は就任しました。 3年間は生徒さんを集めるのにも苦労しました。  卒業して作品の成長具合を頑張っているなあとみると嬉しいですね。  生徒からの刺激を受けることもあります。 デザインですね。  自由な発想をします。 環境はしっかり整えてあげないといけないと思います。  9月には豪雨もありましたが、めげないで頑張らなければいけないと思います。 地震があって思ったのは、能登の人は辛抱強いと思いました。  皆さんからいろいろなご支援を頂いていますし、研修所をしっかり立て直してその方たちの恩返しをしたいと思います。