2024年11月21日木曜日

由紀さおり(歌手)            ・〔わたし終いの極意〕 今日を生き切る

由紀さおり(歌手)            ・〔わたし終いの極意〕 今日を生き切る

由紀さんは群馬県出身。  小学生から高校まで童謡歌手として活躍、1969年に「夜明けのスキャット」でデビュー、今年歌手生活55年を迎えます。 1980年代からは姉の歌手安田祥子さんと童謡コンサートも開催、人気を集めています。 

*「人生は素晴らしい」 作詞:mildsalt 作曲:岩崎 貴文  歌:由紀さおり

歌手生活55年に記念曲  別れを沢山経験しなければいけない世代に突入したけれど、出会って素敵な時間を共有させていただいたことに「ありがとう」と言う気持ちで歌えばこの歌はきちんと成立するなと思って、お客様に気付かされたこともあります。 それを感じてからは素直に「ありがとう」という気持ちで歌っています。

55年の記念コンサートのタイトルが「新しい私」。  母が長唄をやっていて三味線があったのを思い出し、本條 秀太郎先生(日本民謡端唄俚奏楽・現代曲三味線の演奏者で、三味線音楽の作曲家)のところに習いに行きました。  自分の生き方に対しても謙虚でありたい、お客様に対しても謙虚でありたいというところから学びが欲しいと思いました。 三味線から能楽堂に繋がって、東京公演は実現しましたが、コロナになってしまって大阪、名古屋では辞めてしまいました。 弾き唄いを習得したいと思いました。 51,2年目から赤坂のライブでジャズメンと一緒に、着物を着てジャズも歌って、三味線も弾くという「新しい私」を披露しようとしましたが、最初の1年目は惨憺たるものでした。  続けて55年目でも新歌舞伎座からスタートすることになりました。 パリでも歌う事になり、フランス語で都都逸もやるという事になりました。 フランス語の勉強に3か月ぐらい通いました。 「夜明けのスキャット」などのほかに新しいものの取り合わせが欲しいと思ったんです。  

1946年群馬県桐生市に生まれました。 歌手になったきっかけは姉です。 横浜に移り住んで、姉が小学校の講堂で合唱団で習っていて、それをみて姉と共にお稽古するようになりました。 小学校1年生の時にコロンビアレコードのオーディションに受かって、レコーディングをしました。  1969年に由紀さおりとして、「夜明けのスキャット」でデビューしました。 その後姉と一緒に歌ったりしました。 ソロで歌う時と全然違います。  皆さん方にご支持を頂いたことが、一番大きな原動力になりました。(二人で歌う事は38年続けてこられた。)  

30代の後半に激痛が走って病院に駆け込んだら、子宮筋腫でしたが直ぐには手術が出来なくて、5年ぐらい悪化させてしまいました。  手術に耐えられる身体を作ってから摘出手術をしました。  今年の7月にもベッドから落ちて鎖骨を骨折してしまいました。   今もコルセットをしています。 仕事をしながら直すという事が当たり前になっています。 声の方は40周年あたりからお酒も控えるようになりました。  ここ4,5年は週に一回耳鼻科に行ってメンテナンスしています。 喉を乾燥させないようにしています。 私は鼻から喉の下までタオルをして寝ています。  

「はじめの一歩日々生き切る」 ブログのタイトル。 日々一秒もおろそかにしない生き方、を自分に課しています。  80歳になったら、姉と一緒にカーネギーホールをやりましょうと言っています。  カーネギーホールではすでに2回歌っています。 目標設定することにより、身体のメンテナンスも気お付けますし、自分の生きる力にもなります。   墓のこと、遺言とか、母が私の為に作ってくれた安田音楽事務所という会社を母が旅立つ時に、譲り受けました。  そのあたりを考え始めています。 

〔わたし終いの極意〕とは、「夢にチャレンジし続ける。」、です。