音無美紀子(俳優) ・〔わたし終いの極意〕 逆境を乗り越えて
音無さんは1949年東京生まれ。 21歳の時に民放のドラマ「お登勢」でヒロインに抜擢され脚光を浴びました。 NHKでも大河ドラマ「女太閤記」や「独眼竜正宗」など数多くに作品に出演しています。 今年11月には歌人斎藤茂吉の最晩年を描いた舞台に出演、老いと病というテーマに正面から向き合いました。 私生活では村井國夫さんと結婚、二人の子供を設けました。 30歳で乳がんを患い死を覚悟したこともあると言います。 音無さんは6人姉妹の4女ですが、この2月に妹を亡くしています。 大切な人との別れ、そして自身のがん体験など逆境をどう越えてきたのでしょうか。
歌人斎藤茂吉の最晩年を描いた舞台「つきかげ」で茂吉の妻の役を演じました。 小劇場なのでお客さんが近くて全部肌で感じられるような劇場でした。 私たち夫婦が人生をしまう方向に来たねと思いつつあります。 「俺の家族としての役目は終わったんだな。」というも茂吉のセリフがありますが、マグロ漁船に乗って行く次男を見送るシーン、末娘の縁談話などで、深夜眠れなくて、そのセリフがあるんですが、うちの家族にピッタリです。
SNSで発信していますが、今年の2月に妹がなくなりました。 コロナで妹のゴルフなどの洋服の店が上手くいかなくて、悩んでいましたがその後食欲がなくなり、突然亡くなってしまいました。 6人姉妹でよく集まっていましたが、突然一人欠けてしまってショックです。 貴方の分まで幸せになるから、という気持ちが大きいです。 人生何が起こるかわからないから、その日その日を過ごせたという事に感謝しながら、という気持ちがより強くなりました。
子育てが終わって本格的に女優として復帰するという矢先に、乳がんが見つかり青天のへきれきと言った思いでした。 近所の人が乳がんの検診にいってしこりがあって、取り除いたが良性で、しこりは自分でわかるという事で話し合っていた晩に、お風呂で触ってみたら内側にペットボトルのキャップぐらいのしこりありました。 痛くないのでしばらく放っておきましたが、つれるような症状が起きて、病院にいったら乳がんと言われました。 アメリカでは部分摘出がおこなわれたりしているが、安全な手術をした方がいいと医師から言われました。 精神的にもダメージを受けました。 リハビリも病院では頑張りましたが、家に帰ってくるといろいろな事でやはり病人なんだと気付かされ落ち込んでいきました。 女優が出来ないのではないかといったことも考えるようになりました。
鬱の状態が9か月ぐらい続きました。 子供が友達の家から帰ってきて、「友達のママは笑うのにどうしてママは笑わないのい。」と言われてショックでした。 それから鏡の前で笑う練習をし始めました。 それがきっかけで少しづつ前向きになって行きました。 子供とは一緒にお風呂に入ることはできませんでしたが、夫の仕事の関係でどうしても一緒に入らなくてはいけなくなって、一緒に入ったら私の顔だけしか見ないんです。 こんな小さな子に気遣いが出来るのかと思ったら、ワーッと泣いてしまいました。 「ママ泣かないで、歯が生えてくるようにおっぱいも生えてくるから。」と言われて、こんな子供を残して私は死ねない、生きなければいけないと思いました。 下の子が小学生にあがる5年頑張ろうと思いました。 子供からいろいろ励まされて、今思えば一番いい精神科の先生だったと思います。
1976年に結婚してから金婚式が近いです。 同じ職業なので会話は多いです。 夫は80歳になりました。 夫は5人兄弟の末っ子で上の二人の兄は亡くなっていて、3人しか残っていません。 91,85、80歳です。 お互いに褒め合ってやって行こうとしています。 12月の誕生日で75歳になりますが、現役で終わりたいという思いがあります。 健康維持に努力できることは努力したいと思っています。 夫は毎日ウオーキングを8000歩程度はしています。 玉三郎さんが「努力をするという事はどういうことかというと、死ぬ一歩手前までやり遂げることが努力だ。」と言っていました。 アスリートではないので、演出家の要望に対して応えられる身体にしておくという努力しかないと思います。 口がまわれるように努力する。 食事も身体にいいものを摂るように心がけています。
2020年から娘と一緒に食卓の動画配信を始めて、150本ぐらいになりました。 料理は好きでいろいろな料理教室にも行きました。 東日本大震災の時に被災地で「幸せなら手をたたこう」を歌う事になり、歌ったらみんな涙を流しながら歌ったんです。 歌の力を感じて東京に戻って歌声喫茶をやろうという事になり、そこから始まりました。 お金がプールされると被災地にお土産を持って避難所を7か所ぐらい回ります。 歌声喫茶も13周年記念を迎えました。 被災された方が生き抜いてきた、という事に強さを感じます。 幸せに生きることが亡くなった方への供養になるんだ、という想いの方が沢山います。
〔わたし終いの極意〕は笑う角には福来るですね。 一日一回は笑う。