長谷部愛(気象予報士) ・〔私のアート交遊録〕 天気が語る名画の秘密
長谷部さんは1981年神奈川県生まれ。 テレビやラジオの現場を経験した後、2018年に気象予報士の資格を取得、気象予報士と共に現在は東京造形大学特任教師としても教鞭をとっています。 今年長谷部さんは気象予報士としての目線で、古今の東西の名画を見るという「天気で読み解く名画」という本を書き上げました。 名画に描き込まれた雲の形や、霧、光などから、その日の降水確率やその時代の気象情報が判るだけでなく、時代の異なる作品を比較することで、温暖化などの気象の変化などにも気付くことができるなど、名画の中には意外な発見が満ちていると言います。 従来のアプローチとは一味違った名画の見方に付いて、話を聞きました。
美術鑑賞をするときに、この空って雨が降りそうだとか、この季節は秋だとか、美術鑑賞をすることが多くて、気象予報士になってから益々天気についてどんどん解像度が高くなって行きました。 大学の時には教育学部の数学科でした。 数学が苦手で、苦手なものを教えられる先生になろうと思いました。 苦手な子に向き合って数学の面白みだとか教えられる先生になろうと思って、あえて苦手な数学科に入りました。 気象予報士になった数学が役に立って本当に良かったと思います。 天気予報は数式の分野になっているので、複雑な計算式の上に成り立っています。 いろいろなものに触れたいと思うようになって、マスコミの世界は視野が広がるのではないかと思って、放送局に就職しました。
苦労して数学を勉強した割にはマスコミでは使っている場面は一つもありませんでした。 気象予報士は数学を学んでいれば有利だという噂を聞いて、受験することにしました。 合格率は4~5%ぐらいです。 1000時間ぐらい勉強しないといけないと言われています。 2年かけて4回目の試験で合格出来ました。 気象予報士の資格を取っても、就職率は1割ぐらいでした。 気象予報士の資格を生かしながらものを伝えるとなるとやはりマスコミという事になり、ラジオの気象予報士としてスタートしました。 東京造形大学で学生さんの前に立つ時に、学生さんの為になる天気の情報って何だろうと考えた時に、画家がなんか天気に左右された表現があって、それを説明できたとしたら、学生芸術表現の一つに天気というものが入って来るのではないかと思いました。 それを蓄積してゆきました。
モナリザの背景には天気が関係しているのではないかと思います。 レオナルド・ダビンチ自体が芸術家でもあり科学者でもありました。 レオナルドの出身地が山間で、朝晩はかなり濃い霧などを見ていたと思われます。 背景を見ると霧などではぼやッとしている。 その効果を使って、遠くにあるものをぼやかして描くことで遠近法といて取り組んだと言われます。
フェルメールの風景画は二つあります。 その一つが「デルフトの眺望」(生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごした。)という風景画です。 本の表紙にはそれが描かれています。 空の5割が雲で描かれています。 雲の種類は10種類に分かれています。(本当は100種類ぐらいある。) 夏によく出る雲が描かれている。(入道雲とは違う。) この絵は初夏の朝ではないかと思います。 時計台には7時ちょっと過ぎを表している。 高いところから光が来ているので初夏ではないかと思います。 15,16世紀は小氷期の中でも気温の低い時代だったと言われています。 オランダは曇天が多くて晴れの日が少ない。 わざとこの絵に引き込ませるために、あえて故郷が光り輝いているところを描きたかったのかもしれません。
ターナーの作品は嵐の作品とかが多い。 初期には輪郭のはっきりした作品を描いていた。
晩年になればなるほど自分の芸術表現として、かなり崩していって、光の研究、大気の研究とかして行って、崩れて行った傾向があります。 嵐を描いたというのはイギリスならではないかと思います。 イギリスは強い低気圧とかがやってくることが多い。 真の姿に迫ろうとして輪郭を崩していって美術表現をしたのではないかと思います。 私も天気予報で伝える時に、最初は数字とかではっきり伝えていましたが、気象を学ぶにつれて、情感を持って伝えることを天気予報でするほうが、もしかしたら伝わり易いのかなあと思ったりします。 臨界?をぼかすような日本語の表現をするような言葉が多くなって来ました。
印象派は光、季節を描くことを主題としていたので、本当にいろんなことが読み取れます。 モネの「ルーアン大聖堂」の連作では、天気、季節で変わりゆくさまを表現しています。 建造物で季節、天気が判るという事は凄いと思います。
ゴッホはかなり大胆な画法ですが、「星月夜」などの空には渦巻きが描かれているが、ゴッホが南仏のあたりに移り住んでから、どんどん渦巻きが生まれて行きました。 これは風なのではないかと私は押したいと思います。 ミストラル(季節風)という風が南仏には吹いています。 それを表現して渦巻きを描いたのではないかと思います。
ムンクも気象が関係していると思います。 背景が吃驚するぐらい赤い。 夕焼けがモチーフにはなっているが、これは大噴火の影響ではないかと言われている。 粉塵が舞いあがってより夕焼けの赤さが増すと言われています。 インドネシアで大噴火が起こって粉塵が世界中に行き渡る。 ムンクもおそらく見ていたと思います。
北斎はデフォルメの天才と言われますが、「凱風快晴」の季節は秋で、秋を描くために、あの色と雲を持ってきたのではないかと思います。 途切れ途切れになっている雲(鱗雲、いわし雲)がたくさん描いてある。 秋を象徴する雲。
湿度の高い輪郭のぼやけた風景を描こうとしたときに、水墨画の技法は風景を表現するのには最適だったのではないかと思います。(中国、日本) お薦めの一点は歌舞伎です。 歌舞伎の中に出てくる天気の音に注目して鑑賞を楽しんでいただけたら、より歌舞伎が面白くなるんじゃないかと思います。 雨、雷などのほかに、音のない雪にも音を付けているんです。 雪の音を太鼓で表現しますが、深々と降る雪、吹雪の雪を表現しています。