2024年11月24日日曜日

秋吉久美子(女優)            ・年を重ねるたび、知らないを知る

 秋吉久美子(女優)            ・年を重ねるたび、知らないを知る

秋吉久美子さんは1954年静岡県出身。 幼少期は徳島県で過ごし、高校を卒業するまでは福島県いわき市で育ちました。 高校3年の時に松竹映画旅の重さ』のヒロイン募集を聞き、親に内緒でオーディションを受けたのが芸能界入りしたきっかけとなります。 その後映画「16歳の戦争」に主演、本格的に映画デビューします。 「赤ちょうちん」「妹」「バージンブルース」の青春映画3部作は当時の若者たちの心を揺さぶり、しらけ世代の寵児として注目を集めました。 その後数々の映画やドラマで活躍しています。 

今年70歳になりました。 去年からシャンソン歌手になりました。 おっちょこちょいと不器用ですね。 50年前に吉田拓郎さん、泉谷しげるさん等が集結してレコード会社を作ったんですが、私が歌詞を書いたり、高校の時に書いた詩に、当時のロックアーティストたちが曲をつけて下さったりしました。  母を送るという事は自分自身の総括ですね。  ちっちゃいころから総括を繰り返してきたような気がします。  2歳から記憶があります。 2歳の時に妹が生まれて、「今日から一人で寝るのよ。」と母から言われて寂しいなあと思ったんです。  シーツが冷たくて、冷たいなあと思いました。  と同時に気持ちいいなあと思いました。  それが最初の記憶でした。 それから自分自身の確認見たいなことをしてきました。  周りを見るにつけ、何で自分を確認していないんだろうと、自意識ないなあと、自分の生と死も客観視する様に子供のことからしてきた気がします。

父は映画が好きで、土曜日には必ず映画を観て帰ってきていました。 家のテレビでも映画劇場とか観ていました。  本とか、雑誌なども父は好きでした。 私も常にそれを見ているという感じでした。(小学生のころから)  クリスマスに本が贈られてくるてくることが楽しみでした。  或る意味現実世界からの逃避でもありました。  知らないことを知るというのが人生の醍醐味でもありますが、知っていることを表現するという事が女優の仕事かなと思いました。 チャンネルを合わせてゆく、無数のチャンネルを自分が持っていて、自分の中のライブラリー(汎用性の高い複数のプログラムを再利用可能な形でひとまとまりにしたもの  図書館、図書、覧や貸出用 の図書・雑誌・新聞・レコード・CDなどを納めた建物や部屋)ですよね。 女優という仕事は自分の中にある無数のチャンネルを開けてゆくというか、突入してゆく喜びであり、それを伝えるという喜びなんですね。 

本も好きでしたが、徳島県では一人で山歩きをする子供でもありました。 いわき市時代も川で一人で真っ暗になるまで遊んでいました。  山の中の洞窟で化石堀もしました。 岩の壁に向かって金づちとドライバーでやってゆくと、急に岩がパリンと割れて貝が出てきたりします。 何千年前の未知との遭遇ですね。(中学生の頃)  山の中で蛇に出会ったりすると怖さという喜びですね。 怖いという感覚が喜びに変わるんです。 或る時どぶ川でドブネズミと正面から見合いましたが可愛いんです。 大概の動物は正面から見ると可愛いという事に気が付きました。  いろんなことを見て知りました。 本も30ページを過ぎたあたりから折あってゆくと段々喜びに変わってきたりします。  人間も同じですね。  

好奇心の入口を勉強と言うならば、勉強好きですが、改めて勉強だとは思わないですね。  53歳の時に早稲田大学大学院公共経営研究科に入学しました。 公共=政治ですね。   興味があったのは哲学、倫理学、文化人類学でしたが、安保、ベトナム戦争などが有ったり、映画なども問題意識の高い映画が青春映画として公開されていましたが、その時代のいろいろある中で答えを見いだせないまま私自身は横に置いといてという感じの中で、人生の目的を絞れなかったんです。  正義感があればあるほど、人生というものは不平等になってゆくという、正義感がある若者ほど人生のなかで危険な道を歩くかなければいけないんじゃないか、というのを先輩たちの行動を見て感じて、もういいや正義なんてダサいみたいな、自分はヒッピー的なノンポリというか、そんな感じで、ドロップアウトする方向が正しいんじゃないかと、思っていたところがあり、人生に目的を見いだせなかった。  これこそは正義だという事はあったけれども、イコール危険と結びつきやすいという答をだしてしまったので、それを横に置いたまま生きてきてしまった。 

公共経営研究科という入口が開かれた時に、改めてこれを勉強するというのは、神のはからいというか、それはいいんじゃないかと思いました。 2年間学び、そこにエクスタシーを感じてしまうと、もう芸能界に戻ってこれなくなるんですね。 一日が40時間あればという感じです。 今、哲学の教室にも入っています。 英語で読む旧約聖書の会にも入っています。 詩吟もやっていて、映画を観て語る会にも入っていて、予習復習をやっていられない。「推し」の人がいて、京大では経済学、東大では東洋文化史、その先生が歴史、哲学、文化人類学をやっていて凄く面白い方で、今ついていきたい「推し」です。 脱皮の繰り返しというか、鮮やかな生き方で、ユーチューブ、著書なども見なければいけない。  歌舞伎も好きになって中村獅童さんのファンになっています。 江戸時代の庶民、ドフトエフスキーの庶民から庶民観にも興味が湧いてきました。  歌舞伎の世界から教えられることが凄くあるなと思いました。 

長生きするつもりはなくて、終わりがあるから充実するという人生があるわけですよね。  歳を取って一番いけないことは視野を狭めてゆく事じゃないかと思います。  体力がある限り視野を広めてゆく事が大事だと思います。  例えば、詩吟であれば、椅子に座りながら詩吟を吟じて、李白杜甫とも出会えるわけですよ。 中国の歴史の深さ、文化の深さが凄いと椅子に座りながら味わえるわけです。 哲学ではソクラテスと出会うのも可能だし、旧約聖書を読む会では何千年もの前の人の考え方にも出会える。 道徳心、宗教心が無いとソドムとゴモラをやってしまうんだなあと思います。  なんだってありだというような今の時代は、何千年も前の時代のソドムとゴモラの世界と一緒だななあという風に思います。 歳をとってゆく事はますます視野は広がりますよね。  若いときには正義感が邪魔をしてしまって、腹を立てるばかりじゃないですか。  歳をとって見聞を広げて、円熟の中で感じてゆくのが年齢じゃないでしょうか。