2024年12月13日金曜日

舘野鴻(画家・絵本作家)         ・〔人生のみちしるべ〕 分からないから、突き進む! 後編

舘野鴻(画家・絵本作家)    ・〔人生のみちしるべ〕 分からないから、突き進む! 後編 

僕は死ぬという事がとても怖いので、だからシデムシを扱いました。 汚いと言われているけれども、だってあなたは生まれたら死ぬでしょう、我々死んだらどうなりますか。 シデムシがいるという事は必ずどっかに死体があるという事です。 世の中のことわりとして死ぬという事がある。 逃れることは出来ないとネガティブに捉えるのか、歩むべき道を歩み、死んでいき皆さんの糧になるのか、何かとなって循環してゆくのか、という風な思いです。      シデムシを出して一番大きいのは真面目にやり過ぎたんですね。  終わったら本当に死ぬんだと思いました。 絵筆を持つことが怖くなりました。  身体の調子が悪くなって、薬を飲んだり、鍼をやったりしましたが駄目でヨガをやるようになりました。  売れない本だと思っていましたが、病んでいる人に反響がありました。 生きる事ってこういう事よねとか、言われたりしました。  私が読者の人々に救われ続けています。 

僕らの仕事は伝わらなければ零点なんですね。 よかったのか外れたのかは、読者の前に持って行って初めて判るんです。 絵本は幅広い読者の方がいる。 シンプルです。 子供は見て直ぐに言語化できない。 私がやっていることの評価が出るのは10年20年先です。  売れなと思っていましたが、仕事はぽつぽつ来るようになりました。  月刊誌「科学の友」というところから絵を描いて欲しいと連絡がありました。  沢田さんという方にお会いしたら、「しでむしを書いた時の気持ちを忘れないでください。」と言われました。   出来るのかなとは思いましたが、腹は漠然とやるんだろうなあと決まっていました。     

2009年に「しでむし」 2013年に「ぎふちょう」 2016年に「つちはんみょう」 2020年に「がろあむし」を出版。  取材に10年かけたものもあれば、3年、4年も空いてようやく1冊と言った感じです。  稼げないのでずーっとアルバイトです。 しゃべるのが苦手で,講演も断っていました。  1時間30分ぐらいの講演を一日3回ぐらい練習をしました。 しゃべる事、会話が大事なことになってきています。 人に伝るための媒体としての絵本は、私なりの研究の方をしています。  絵本という土俵に何とかたどり着きましたが、自分のがむしゃらにやってきたことが、そのためにやっていたのかと、振り返ればそういう事になっていると思います。  

2022年に出版した絵本「うんこ虫を追え」 (知恵と根性と体力で、うんこ虫のくらしの解明に挑みます。失敗を繰りかえし、取材にかかった月日は4年。現代のファーブル昆虫記のような、オオセンチコガネの一大観察記です。) 1週間で書き上げました。 「がろあむし」は作画だけで3年掛かっています。 時間をかければいいという問題ではないと思います。  「ソロ沼のものがたり」は童話短編集です。 リアルサイエンスファンタジー。 この世界では虫が喋ったりもして、生き物たちの濃厚なドラマを、美しい挿絵と共に丹念に描く。 虚構を表す時に真実はどこにあるんだ見たいな、問いかけがある。  ファンタジーという事と直結しているんだろうなあと思います。

擬人化の文学とかに関する興味は「ぎふちょう」を書いているころからありました。  編集者の方と連作短編にしませんかと言われて、話が進んでとんとん拍子に原稿を書くことが出来ました。 虫は描きたくなくて、虫を描くと具体化されてしまってつまらなくなるので、分からないままにしたかった。 だから読んでいる人が虫になったり会話?になったりできたりするんですね。  背景、舞台だけを描かせてもらいました。 このためにした取材は無いんです。  若いときには自分がある様な気がするが、うすうす俺は何もねえなあとおもって、それを自覚した時に何が生まれるかというと、なんにでもなれる。 

年齢と共に諦めるのが上手くなる。 「駄目だこりゃ」「まあいいか」「しょうがねえや」とか、これが一番元気がでます。  どうせ何もないと思った時に凄くキラキラしたものが見えてくるという事が結構多いです。  最近はなにか教えてあげようというようなことは何一つ考えていないです。 うんこ虫を調べて行っても判らないことに行きついてしまって、その人によって見えてくるものが違うと思います。  判らないから面白い、だからそれを伝えたい。  虫はこう生きている、じゃあ俺はどうなのか、いつもそこですね。 みちしるべは虫なんですかね。  鏡の様に虫は見せてくれる。 虫は無垢で勇敢で潔い。 それに比べて俺はどうなんだ、虫は凄いなと思います。