河合純一(スポーツ庁長官) ・スポーツ庁長官への挑戦
河合純一さんは静岡県生まれ。(50歳) 幼いころから目が見えずらく15歳の時に見えていた方の目も見えなくなって全盲になりました。 しかし好きだった水泳と教師になる夢は諦めませんでした。 河合さんは1992年17歳の時に開催されたバルセロナパラリンピックから、2012年のロンドンパラリンピックまで6大会連続出場、金メダル5つを含む21個のメダルを獲得し、日本初のパラリンピック殿堂入りを果たしました。 2020年からは日本パラリンピック委員会の委員長を務めて、2025年10月にスポーツ庁長官に就任しました。 夢を持つことは人生を豊かにし、前に進むための力となる、人生は学びの連続であると語る河合さんにこれまでの歩みとスポーツ庁長官への意気込みを伺いました。
11月にデフリンピックが開催されて、28万人もの方にお越しいただきました。 2020年には東京オリンピックパラリンピックがコロナ禍で1年延長して且つ無観客でやりました。 直接生で観たいという思いはあったと思います。 人こそレガシー(次の世代に受け継がれる価値あるもの、功績、遺産)だと思っています。 単なるスポーツのイベントと言うだけではなくて、生活とか生き甲斐にも寄与するようなものになってきてるのではないかと思います。
小さいころは弱視で或る程度は見えていて、身体を動かすのが好きな子でした。 5歳のころからスイミングスクールに通いだして、空手、ソフトボールなどもしていました。 中学3年の時に見えていた右目が0.1だったのが見えなくなりました。(15歳で全盲) どうする事も出来ないことは理解しながら、何故自分だけなのかなどいう事、自暴自棄はゼロではありませんでした。 恩師、家族、友人たちが見えるか見えないかではなくて、河合純一として受け止めているというのが、一番の安心感だった気がします。 小学校4年生から教師になりたいという夢は持っていました。 水泳など好きなことをやるというのは続けていました。
筑波大学附属盲学校高等部に進みました。 1学年20人ぐらいいました。 半分ぐらいは大学に行くような状況でした。 寮生活でした。 1992年バルセロナパラリンピックに高校2年生で出場、銀メダルを2枚、銅メダルを3枚獲得した。 続けてゆく事は今と当時では条件が全然違っていました。(自分で働いて遠征費を出すとか当時は普通だった。) 1996年アトランタパラリンピック(50m自由形B1、100m自由形B1で初の金メダルを2枚と銀メダルと銅メダルを1枚ずつ獲得)、2000年シドニーパラリンピック(金メダル2枚、銀メダル3枚は特に印象的でした。 金メダルが教えてくれたものは、自分の努力とか喜び以上に、支えてくれた人への感謝の気持ちなんです。 世界一になるためにはいろんな人たちの世界一のサポートであって、世界一になれんだという事に、気付かせてくれました。 シドニーは教師をしながら行かせてもらったので、子供たちに夢をという思いで向かったのは懐かしいです。みんなのためにと思うとより頑張れる気がします。
成功体験は自分の体調などいろんなものと社会的な要因とかいろいろマッチして、上手くいっていることが多いんです。 そこをうまく組み合わせてきたことが続いたという事かと思います。 6回の大会全て自分の所属が違います。 そのなかでの自分のベストを尽くすという事に歓び、面白さを感じながらやっていました。 安定はアスリートにとっては停滞なんですね。 不安定の方がチャレンジがしやすい、新たな気付き、イノベーションも生まれる。ピンチこそ絶好のチャンスなんです。 人生に無駄だったという事は何一つ無いですね。
公立の中学校の社会科の先生になりました。(生徒たちは見える。) 大学の時には教育哲学が専攻で、人ってなんで学ばなければいけないの、教育って何なのか、と言ったことを考えさせられました。 困った時の羅針盤にはなりました。 カセットに自己紹介を録音してもらい、声と座席表を組み合わせて授業をしていました。 教育は子供の成長を保証するものだと思っています。 そのための導き、情報提供の時には立ち止まらせて考えさせるきっかけを提供出来るかという事だと思います。 基本的な事としては時間を守りましょう、挨拶をしましょう、約束をしっかり守ろう、という事をよく言っていました。 あとは自発的に考えて行動して貰いと言う事を主にしていました。偶然ですが、教え子がスポーツ省にいるんです。
中学3年生の時の自分で決めるという自己選択、自己決定と言うのが凄く重要なんだという事と思っています。 決めて不合格だった時、決めた責任は自分で負うという、人生の最初の経験になるわけです。 他人転嫁するような人生を歩み始めると、その先も苦労するるんですね。 その年齢なりの結論、決定を詰み上げていかなければならない。 それが正しいか、正しくないかではなくて、その年齢のその時までに正しい自分に出来うる決定が出来るように育っていることが重要なわけです。 それが教育だと思います。 大なり小なり、人生は選択の連続だと思います。
夢と言うのは自分のキーワードになっていて、それに向かってゆくエネルギーみたいなものです。 夢は人生におけるビジョンなんです。 イメージでききるビジョン。 一生懸命になれるものに出会えることに価値があるわけです。 ミラノ・コルティナオリンピックパラリンピック、アジアパラ大会とか大きな大会もあり、これをサポートしてゆく事も大きな役割ですが、昨年改正されたスポーツ基本法があって、人種、性別、年齢、障害の有無を越えてスポーツを楽しんでもらえるように、豊かな人生を歩めるようにという事を大きな理念にして、改正されているわけですが、誰もが自分らしく生きられる社会をスポーツを通じて実現してゆくという事が、私たちに課されていると思っているので、多くの皆さんと力を合わせて行かなくてはならない。