あまんきみこ(児童文学作家) ・〔人生のみちしるべ〕 子どもの私は、ずっと戦争の中にいた
あまんきみこさんは昭和6年旧満州で生まれ、敗戦の2年後15歳の時に中国大連から日本に引き上げてきました。 あまんさんは2人の子供を育てながら物語を創作するようになり、昭和43年37歳で「車のいろは空のいろ」でデビュー、以来60年近く子供たちに向けた作品を書き続けてきました。 その中には教科書で知られる「ちいちゃんのかげおくり」をはじめ、「鳥よめ」、「あるひあるとき」など戦争を描いた作品もあります。 戦後80年となる今年、あまんさんは「さくらがさいた」と言う物語を絵本として刊行しました。 この絵本は旧満州中国の大連と言う街から、敗戦後日本に引き上げる家族と犬との別れを描いた物語です。 あまんさんの子供の頃の体験がもとになっています。 出版した「さくらがさいた」について、子供たちに伝えたい平和への思いについて伺いました。
「さくらがさいた」は作るのに30年掛かったとあとがきにも記しています。 大連から引き揚げる時には金魚とか小鳥などは貰ってもらえるんですが、犬だけは貰ってもらえない。 家には2匹の犬がいました。 「レオ」は私と同じ年でした。 「ロン」は私よりも若い犬でした。 「ロン」?は他人に貰ってもらいました。 泣いた覚えがあります。 「レオ」はそのままずっと家にいました。 引き上げる1週間前ほどで永眠しました。 お墓に埋めて、父が「これで思い残す事は無くなったなあ」と言ったんです。 その言葉が子供心に沁みました。 このことを書こうと思いました。 書きたかったことが書けた時にはホッとします。
人と言うものは年輪のように幼年時代、子供時代があり少女時代がありそれに全部自分が抱え持っているんだなと気が付きました。(40代) 50歳の時に「ちいちゃんのかげおくり」、1999年に「おはじきの木」、2014年に「鳥よめ」、2020年には「あるひあるとき」、2025年に「さくらがさいた」を出版。
私が生まれた時に満州事変が起こっています。 子供時代はずっと戦争の時代でした。 私は自分のことを書けないんです。 戦後教育が真っ逆さまになり、これは本当にショックでした。 私たちは平和のための戦争と習っていました。 満洲のことは知らなかったので国会図書館に行って調べました。 兵隊にとられて亡くなったり、集団自決が有ったり沢山の人が亡くなっています。 開拓団の人たち棄民のこととか、読めないで涙が出ました。 私が苦労したとかそういったことはないんです。 自分自身としては書けないが、自分が小さくなったら書けたんです。(幼少期)
引き揚げてきて熱が出て、目が覚めてみたら広島の風景を観ました。 原爆と言う言葉は知らなくて「新型爆弾で広島はなくなった。」と父が言っていました。 93歳になり、もう亡くなった人も多くてお祈りするために生きていますと言っています。 物語に込める思いは、戦争だけはいけない。 殺される前に殺すというのが戦争の原則です。 戦争のない世界になって欲しいと思います。
自分の中に思っていることが出てくる時、書けると言った感じです。 書きたいものはたくさんあるような気がするが、それが一つになる時と言うのはそんなにないんです。 子供の頃は身体が弱かったので本を読んでいました。 本を読むことによって扉を開けて向こうの世界へ行ったり戻ったりしていました。 戦争がない世界でないと一杯笑えない。 子どもが笑うという事が一番素敵です。