2024年5月1日水曜日

ぶっちゃあ(お笑い芸人)        ・生涯一新人

ぶっちゃあ(お笑い芸人)        ・生涯一新人 

ぶっちゃあさんは1954年京都出身。 若手芸人の育成に情熱を注ぎ続けているぶっちゃあさん、その面倒見の良さから東京芸人の父と呼ばれているそうです。 相方のリッキーさんと活動をしているお笑いコンビ「ブッチャーブラザーズ」は今年で結成43年になるとのこと。

相方のリッキーさん が所属事務所(サンミュージックプロダクション)の社長になりました。 5年に一回単独ライブをしてきました。  毎年やろうとリッキーが言い出してやるこになりました。 再来年が45周年です。 相方のリッキーは森田健作さんの付き人でした。 僕は監督、俳優志望で、相方は映画のカメラマン志望でした。  俳優養成所で一緒になりました。 森田健作さんと仲良くなって東京に来ないかという事になりました。(23歳) 森田さんの家に居候となりました。 たまたまテレビで「笑っていいとも」の前に新人が出るところがありました。 出てみたらたまたまチャンピオンになってしまいました。 

当時、漫才ブームでそれに乗りたいなと思いました。 「ザ テレビ演芸」4代目のグランドチャンピオンになりました。  師匠につく時代から師匠を持たないような過渡期の時代でした。 チャレンジする番組3つとも出たのは、僕らとダウンタウンだけですね。  段々テレビには出なくなっていきました。 でもキャバレーに行ったりイベントに行ったり仕事はかなりありました。 辞めるきっかけもなくずるずる来ました。 

当時は師匠もいなかったし、協会に入らないと寄席などの舞台には出られませんでした。  自分はバンドもやっていたので、始めたのがお笑いライブなんです。 今活躍しているいろんな人たちはうちに来てくれていました。 打ち上げで飲みながらのコミュニケーションは大事ですね。 伝わることが一番大事ですね。(声の大きさとか)  「ヒロシです。」のヒロシ、ダンディー坂野などが弟子です。 小島よしおも後輩です。 以前、早稲田のお笑いサークルの5人組でやっていました。 

いろんな職種の人と会う事で勉強になります。  アドバイスの仕方自体も時代に合わせて教え方、伝え方は考えていかなければいけない。(上から決めつけていうのではなく。)  衣装とか、靴とか着て来たもの、履いてきたものでそのまま舞台にあがることは駄目だとか言ってきました。 

生でお客さんの声援とか、受けている笑い声を聞くとたまらないですね。 又挫折がないと駄目ですね。 獅子てんや・瀬戸わんや師匠から「あんたらの様に新しい人の方が、吸収して頑張れるから、頑張んなさい。」と言われて、それが無かったら辞めていました。

コミュニケーション能力の高いことが大事ですね。  「生涯一新人」 売れるまでが新人と思っていますが、売れたら新人と言うのを降ろそうと思っていますが、おろせないまま生涯が終わりそうなんですが。 今年11月には古稀を迎えます。