映画やテレビ、そして舞台で活躍する高橋克実さんが師と仰ぐのは、舞台、演出の第一人者栗山民也さんです。 演出家栗山民也さんと俳優高橋克実さんの師弟関係を伺いました。
映画、ドラマに憧れてこういう世界に入りましたけれども、舞台と言う魅力と言うものがわからないでやり始めていました。 栗山さんと仕事をするようになってそう思いました。
栗山民也さんは、1953年東京町田市で生まれます。 早稲田大学文学部演劇学科卒業後、小沢昭一さんが主宰する芸能座に所属。その後演出家の木村光一さんに師事して、1980年「ゴドーを待ちながら」で、演出家としてデビューしました。 文化庁派遣在外研修員として、イギリスのナショナルシアターでの研修を経て、1996年「ゲットー」の演出で紀伊国屋演劇賞、芸術選奨新人賞などを受賞、演出化としての評価を不動のものとします。 2000年には新国立劇場演劇部門芸術監督に就任、監督就任後、目玉となった作品を井上さんに依頼します。 これが「東京裁判三部作」です。 第1部「夢の裂け目」第二部「夢の涙」そして第三部「夢のかさぶた」これで完結する「東京裁判三部作」です。 また芸術監督を7年間勤める一方で、新国立劇場演劇研修所の初代所長として、高い水準の演劇教育体制を確立しました。 2013年の紫綬褒章に続いて2023年には旭日小綬章を受賞。さらに今年、第82回日本芸術院賞・恩賜賞を受賞、活躍観続いています。
私の初主演作は2008年NHKテレビドラマ「フルスイング」大河ドラマでは、「龍馬伝」など数々のNHKのドラマに出演しています。 最近では連続テレビ小説「虎に翼」で演じた、新潟県三条市の杉田太郎役、新潟県三条市は私の出身地です。 最初は劇団に憧れて入りました。 劇団離風霊船に入団。 劇団主宰・大橋泰彦の作・演出作品の「ゴジラ」にモスラ役で出演、新進劇作家の登竜門と言われる岸田國士戯曲賞を受賞しました。
栗山さんを一言で言うと、初めて会ったプロの演出家です。 「メディスンの薬」?の稽古の時にサンダル履きで行った覚えがあります。 ジャージに裸足で行きましたが、靴の紐を結ぶというト書きに書いてあることが出来ずに、栗山さんから注意を受けました。 以後稽古への向き合い方が変わりました。 20代から30代に所属した 劇団離風霊船「ゴジラ」で岸田國士戯曲賞を受賞。(1998年 27歳) その時には、栗山さん自身のことも岸田國士戯曲賞がすごいっていうことについてもあまり知りませんでした
ミュージカル「阿国(おくに)」の初演が1990年で栗山さんの演出でした。 観客として初めて見に行きました。 木の実ナナさんが主演。 当時、日本のミュージカルが人気のあると言うものではありませんでしたが、力強さエネルギーを感じました。 「東京裁判三部作」の第一部の「夢の裂け目」が2001年、第二部「夢の涙」が2003年、2006年が第三部「夢のかさぶた」これに出演しました。 栗山さんとは1番距離が縮んだ時でした。 この三部作は自分にとってはターニングポイントとなりました。 井上さんの本と栗山さんは相性が良かったんだと思います。
それほど面白くない所でも栗山さんがやると面白くなるんです。 女優さんの仕草とかを女優さんよりも上手に栗山さんはやります、やってみせる。 栗山さんは、稽古場のときの仕事の場とそうじゃない時では全然リラックス感が違っていました。 2023年に栗山さん演出の「海をゆく者」にしました。 翌年第31回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞しました。 「海をゆく者」は、僕は初演も再演も見ていて、ものすごく面白かったです。
初演、再演は、吉田鋼太郎さんが演じた役を3回目の演出では、私のほうに栗山さんからオファーが来ました。 ものすごい大変な役なので、逃げたかったです。 どうなるかなと思いながらやることになりました。 苦労した甲斐があって、第31回読売演劇大賞優秀男優賞を受賞することになりました。 栗山さんとの出会いは、1992年の「メディスンの薬」?から、今回の「花よりタンゴ」で34年の師弟関係になります。 教えとしては、言葉と言うよりは、栗山さんの姿勢だと思います。 12ヶ月ずっとここ何十年と演出し続けていてすごい本数だと思います。 常に演出の事しか考えてないんです。 生きるという事は、演出そのものなのです。
栗山さんへの手紙
「・・・今日もどこかで大好きな演出をされていることでしょう。 誰よりも早く稽古場に来て、終わると颯爽と風のように去っていく。 1年12ヶ月休むことなく演出をやり続けて何十年、やや半世紀。・・・まさに日本演劇界のマグロ、栗山さんとの一番の思い出は、2001年の新国立劇場の 井上ひさしさんの「夢の裂け目」・・・なかなか台本が上がらずに稽古ができず、その分よく飲みに行っていろんな話を聞けたことです。・・・」