2026年5月2日土曜日

海原はるか・海原かなた(漫才師)      ・目指せ!しゃべくり漫才で生涯現役

 海原はるか・海原かなた(漫才師)    ・目指せ!しゃべくり漫才で生涯現役

はるか、かなたさんといえば、はるかさんの髪の毛をかなたさんが吹き飛ばすギャグでお馴染みです。 愚直に磨き続けたしゃべくり漫才で、文化振興などに貢献した人に送られる大阪市市民表彰を受けるなど、名実ともに関西の笑いを牽引してきたベテランのコンビです。  大阪を中心に舞台に立ち続けて、去年55年目を迎えたお二人に、漫才人生につきましてお話を伺えました。

コンビ結成55年、はるかさんは熊本市出身で76歳。かなたさんは奈良県天理市出身の77歳。 2人でやってると楽しいから辞めたいとは思わないです。  熊本弁を大阪弁に直すのに苦労しました。 今やめたら今までやって来た積み重ねであろうが何であろうが、全部無駄になるという気持ちの方が強かったです。 (はるかさんの髪の毛を、かなたさんが吹き飛ばす)このギャグはある時、3組が楽屋にいるときに、順番に楽屋話をしてたんですが、我々は苦手なので、それまで隠してた髪の毛をオールバックにしたんです。 戦国時代の落ち武者みたいな感じです。  楽屋で盛り上がって2回目の舞台に上がったときに、夫婦喧嘩のネタをやってるんですが、私がはるかくんの髪の毛をアドリブでふっと吹いたんです。 そうしたら経験したことのないような大爆笑でした。  やったときには「これや」と思いました。 これは我々の商品だと思いました。 40代の肺活量はは平均が3700位です。 けれども、私はその時まだ4900ありました。 だからあのギャグができたんだなと思いました。 なるべくギャグができるような雰囲気の頭にカットしていただいてます。 その美容師さんには20年以上ご厄介になってます。

最初お互いに役者になりたかったんです。 養成所へ同期生として入門しました。      その後、私(はるか)は小浜師匠の住み込みの弟子になりました。 コンビを組む時になって相方しか思いつかなくて手紙を出しました。 お浜・小浜師匠の弟子になることになりました。  師匠からは「長いこと芸人として残るのには紳士的な漫才をしなければいけない。いとし・こいしさんみたいな紳士的な漫才をしないと長くは続かない。」と言われました。 2人とも不器用なんで稽古は一生懸命やります。 稽古が好きですね。 稽古をやってる間にまた新しいネタが浮かびます。

1980年代頃、漫才ブームと言われた時代でした。やすし・きよしさん、ツービートなどがいました。 当時は我々は注目されていませんでした。 あのギャグが見つかってからは、東京の方にも仕事に行くようになりました。  私(かなたさん)が健康を害した時は、脊椎管狭窄症と言う神経を圧迫するもので、手術の2週間ほど前から立てなくなって紙おむつでした。 そこから筋肉つけていくまでで1年以上かかりました。 自信を持っていけるようになったのは17ヶ月位ですね。 漫才をやれて、漫才ってこんなに楽しいものなんだと改めて思いました。

若いものがどんどん出てきてくれるというのはうれしいなと思ってます。 「辛抱が大事だと言う事は常に言ってます。」 「石の上にも3年。」という言葉がありますが、死語になってるような感じがして残念でなりません。 毎日楽しく仕事にときめいて喜べる自分を少しでも多く作りたいなと思います。  お笑いに対しては人それぞれの考え方があるんでしょうけれども、どうしたらお客さんが笑うのかと言う前向いた考え方を自分なりに持っていきたいと思います。 そのためには健康でなくてはいけないと思ってます。