2026年3月31日火曜日

伊与原新(作家)              ・わが心の人「猿橋勝子」

伊与原新(作家)              ・わが心の人「猿橋勝子」 

猿橋勝子さんは1920年東京生まれ、帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学理学部)を卒業後、現在の気象庁に勤務し、オゾン層や海水の研究に取り組みました。1980年気象庁を退官する「猿橋賞」を創設し、若い女性科学者を励ます活動を始めます。  2007年9月亡くなられました。(87歳)

伊与原さんは、昨年猿橋勝子さんの生涯を描いたいた小説「翠雨の人」を発表しました。 伊与原さんは1972年大阪出身、大学は神戸大学で、その後東京大学大学院に進み、専門は地球惑星科学、博士課程終了。 地球惑星科学と言うのは地学のことを最近はそういう風に呼びます。 2010年「お台場アイランドベイビー」で第30回横溝正史ミステリー大賞受賞。 その後もたくさんの文学賞を受賞します。   特に作家志望のスタートではありませんでした。昨年「藍を継ぐ海」で直木賞を受賞。

猿橋勝子さんは地球化学の分野の研究者でした。 猿橋勝子さんがどういう生涯を歩んできたと言うことについては全く知りませんでした。 資料を集め始めたのが10年近く前でした。  翠雨の人」、猿橋さん自身は幼い少女の頃から雨にすごく興味のある人で、雨の日は空を見上げて、なぜ雨は降るんだろうとずっと考えているような子供だったということです。 彼女の自然科学に対する興味の原点は、やはり雨だったわけです。  彼女のキーワードは雨です。 

1920年生まれ、帝国女子理学専門学校(現在の東邦大学理学部)の1期生として入学します。 中央気象台研究部に勉強に行くことになり、三宅泰雄先生の指導を受けます。 その後三宅先生のいる中央気象台に入ることになります。  終戦後も中央気象台の研究部はなかなか立ち直るのに時間がかかりました。 1954年アメリカがビキニ環礁での水爆実験を行い、第五福竜丸の乗組員の方が被爆します。  彼女はオゾン層の研究を、その後海水の研究、海水中に二酸化炭素がどの程度溶けているかと言うことを詳しく調べる研究をしてました。 当時から科学者は地球が温暖化するかもしれないと言う危惧を抱いていました。

彼女の研究が世界的に評価されて名前が知られるようになっていきました。   そんな折にビキニ環礁での水爆実験が行われました。 持ち帰られた「死の灰」(放射能を帯びたサンゴのかけらが灰として降ってきた。)を猿橋さんが分析して、それがきっかけで放射能汚染の研究に突き進んでいくことになります。  海水の中にどのぐらい放射能が含まれているか、あるいは降ってくる雨にどの程度の放射能が含まれているかと言うことを詳しく調べていきました。

環境汚染はないというのがアメリカ側の主張でしたが、三宅先生と猿橋さんが詳しく調べてみると、海流に乗って高いまま流れていくと言う事はわかりました。(アメリカの調査データよりも10~50倍の数値)  アメリカは、捏造ではないかと言ってきました。  アメリカと日本では違う分析方法でやっていました。   同じサンプルをそれぞれのやり方でやって、どちらが正しいか白黒をつけろと言う話になりました。 それで彼女がアメリカに行くことになりました。  女性が1人で行くと言うことが、当時としては前代未聞のようなことでした。

研究室はボロボロの小屋を与えられました。 海水の中に含まれているセシウムの量を第一回目は既知のセシウムを入れておいて、その値は知らされない状態で測定するわけです。 第1回目はわずかな差でアメリカが勝ちます。 猿橋さんは落ち込みますが、三宅先生から励ましの手紙をいただきます。  2回目、3回目は日本側が勝ちました。  4回目も猿橋勝子さんが勝利を収めました。アメリカはだんだんと猿橋さんを認めるようになっていきました。 アメリカと共著の論文を出すと言うことで幕を閉じました。

猿橋さんは研究者としては、日本よりも欧米で高く評価されている面があります。地球温暖化研究の先がけの1人として認識されています。  社会のために何ができるかと言うことを認識して活動されていたと、そこは見習うべきことと思います。三宅先生は科学者は哲学者であるべきだとおっしゃっています。 猿橋さんも後輩に伝え続けていきました。  猿橋さんは、日本学術会議で初めての女性会員(1980年)、東京大学理科系で女性で初めて理学博士になりました。 

自分が先頭に立って、後進の女性研究者が研究しやすい環境を作る義務があると考えたようです。 ですから、自分が先頭に立っていろんな壁を破っていくために学術会議の会員になったのもその理由だと思います。 その後の社会活動に力を入れていくのも、後輩の女性研究者のためにと思ってやられていたようです。    退職金等すべてのお金を全て後輩の女性科学者のために使えばいいんだと言う考えられたようで、女性科学者に明るい未来の会と言う会の設立に使ってしまいます。「猿橋賞」が作られて、女性の科学者のためを思って応援をすることになります。女性研究者はなかなか昇進できない状況でしたが、猿橋賞をもらうことによって助教授になれたとか研究費をもらえたりすることが、実際に起こっていきました。 そうそうたる方々が、「猿橋賞」をもらって育っていきました。

今は発達障害とかアスペルガー症候群(自閉スペクトラム症(ASD)の一種)とか、そういう子供たちがたくさん登場する小説を書いています。 彼らの存在自体が人類のために実はなっているじゃないかなぁってそういう観点で小説を書いています。 科学と言うものを歴史的に眺めてみると言うことが面白いと思い始めています。 時代、時代で科学はどういう役割を果たしてきたのか、そういうテーマで書くのは面白いんではないかと思っています。