北村節子(ジャーナリスト ・〔わが心の人〕 「田部井淳子」
田部井さんは1939年福島県田村郡三春町出身。 1975年世界ではじめて女性としてエベレストの登頂に成功しました。 92年には世界7大陸最高峰の登頂者となり、多くの人に登山の魅力を伝え続けました。 2016年10月亡くなりました。 (77歳)
北村さんはエベレスト登山をきっかけに、田部井さんと親しくなり親交を深めてきました。
田部井さんの人生を描いた映画もこの秋出来て、田部井さんの役は吉永小百合さんが演じています。 北村さんの役は天海祐希さんが演じています。
田部井さんは声が通って明るく語尾がしっかりしている。 初めて会ってから53,4年になります。 田部井さんに直談判してエベレストのメンバーに加えていただきました。 メンバーは15人で一人はドクターで14人が実際に山に登りました。(山岳同人の組織) メンバーはあちこちから参加する形でした。 田部井さんがエベレスト日本女子登山隊 副隊長兼登攀隊長として、女性で世界初の世界最高峰エベレスト8848m(ネパール名:サガルマータ、チベット名:チョモランマ)登頂することになります。 田部井さんは相手の神経に触らずきちんと話すのが上手だと思っています。
田部井さんはいろんなことに挑戦する人でした。 小学校の時から習字には熱中、お琴、ピアノにも手を染めました。 目標設定してまい進することが好きな方でとことんやっちゃう方だと思います。 家事なども頭のなかで整理できているんですね。 段取りが上手で無駄がないんです。 これは登山でも重要な事です。 エベレスト登山には家を半年留守にしています。 ゆっくり体を高度順化するために、普通軽飛行機で飛ぶルートをずっと歩き通しました。 ご主人もクライマーですが、いろいろなサポートに対して当時の日本の男には出来ない事だったと思います。
田部井さんは54歳でマラソンの経験がないのにマラソンに挑戦。 小学校か中学校か、男子だけのマラソンに参加させてほしいという事で彼女だけ一緒に走ったそうです。 エベレストに参加することで悩んでいた時に、絵本のたとえ話をしてくれて、心配ばっかりしていると人生終わると言われました。 後々まで私が何かを決断するときには、印象深いエピソードとして残っています。 何故みんな難しいと言うのかと、じゃあどうすれば出来るか何故考えないんだろうと、本にも書いています。 やってみないと判らないという風でした。 登山では特にそうですが、誰に照準を合わせるかと言うと、一番体調に困っている人に照準を合わせるが、一番体調に困っている人に負担のないように上手にカバーしていました。(心遣いが出来る。) 田部井さんとは10歳違いますが、気安く付き合ってもらったと思います。
田部井さんは世界7大陸最高峰の登頂者となりましたが、そのうちの4つに一緒に登りました。 60歳で大学院に通い始める。 山の環境をきちっと勉強しようとする姿勢の表れだと思います。 音楽も好きで60歳半ばからシャンソンのステージに立った。 2012年深刻ながんであると宣告される。 まず抗癌剤治療を行う事になる。 副作用が厳しくなって、太ももが上がらなくなり階段も壁に寄りかかってずり上がるようにしないと上がれない様な状況の時もあったが、無理もない範囲で山歩きも再開。 「病気にはなるけど病人にはならない。」、というポジティブシンキングで乗り切ろうという気持ちはありありでした。 好奇心のある方でした。
東日本大震災で被災した高校生と一緒に富士山に登ろうという事を、2012年から始めています。 そのために募金活動もしました。 亡くなる3か月前、高校生たちと富士山に300mぐらいまで一緒に登る。 息子さんが後をついで現在も続けています。