大空眞弓(女優) ・ピンピンコロリでたまご葬
大空真弓さんは1940年生まれ、東京都の出身です。 1958年映画「坊ちゃん天国」でデビューしたあと、映画喜劇『駅前シリーズ』などに出演、1964年テレビドラマ「愛と死をみつめて」で不治の病に侵される大島みち子役で注目を集めました。 NHKでは大河ドラマ「春日局」に豊臣秀吉の妻茶々役で出演、1990年に出演した『人生は、ガタコト列車に乗って……』で第15回菊田一夫演劇賞を受賞。 現在も映画やテレビで活躍しています。
1940年生まれで85歳になりました。 最新作映画「ら・かんぱねら」 有明海で海苔師を営む男性が、フジコ・フェミングが弾いた「ラ・カンパネラ」の演奏を聞いて、俺も弾いてみると言った実話をもとにした映画です。です。 ベテランピアニストとして、一生懸命頑張る男性に自分のピアノをあげてしまう先生の役です。 「夢があれば生きて行ける」というセリフが何回も出てきます。
東洋音楽短期大学声楽科に行きました。 幼稚園の先生になりたかった。 生まれた時には超未熟児でした。 どうせ生まれても何日しか持たないという事で届けてないから本当の誕生日は判らないんです。 これなら生きられるだろうという時に出生届を出しています。 身体が弱くて小学校はほとんど休んでいました。 音楽学校で声を出すようになってから、健康になって行きました。 高校2年の時に、国語の時間に朗読してみろと先生に言われて、朗読したらあとで聞いて泣いていた子がいたよと言われました。 女優になるように勧められました。 母・安重と共に歌舞伎を観に行った帰りに歌舞伎座の前でスカウトされました。 父の前で3時間正座させられて怒られて、そんなに怒るんだったらなってやろうと思いました。 3年経って芽がでなければ除籍すると言われました。
映画「坊ちゃん天国」の高島忠夫さんの妹役でした。 「台所太平記」豊田四郎監督により製作された日本映画ですが、豊田先生には1~10まで教えていただきました。 松山善三先生にも憧れていました。 1964年、『愛と死をみつめて』が大ヒット。 不治の病に冒される主人公・大島みち子役を演じ、お茶の間の人気を不動のものとした。 大島みち子さんは写真しか見てないですが、綺麗な方でした。 私が25歳で姉が29歳の時に胃がんで姉を亡くしましたので、思い出に残る作品です。 私みたいな健康な人間がこんな役をやってもいいのかなと思ったら、石井ふく子先生からは、「健康な人がこういう病に侵されたからこそ悲しくて、健康の有難さを感じられるから、健康であれば健康なだけ悲しくて有難さが判るのよ。」って言われました。 たった一人の姉を亡くしてしまって、石井先生に「お姉ちゃん」と呼ばせてもらっていいかと言ったら「いいよ。」と言われていまだに「お姉ちゃん」と言っています。(先生は100歳になります。) 仕事が凄く好きな先生で、今の仕事をやっていて次のことを考えています。
迷惑かけたくない、しんどい思いをするのは厭、楽しみたい、生きているうちに遊びたい、美味しいものを食べたい。 (全部自分の歯です。) 出来る限り自分の足で歩きたい。 本も大好きで読みます。 石垣島が好きで石垣島にも家があります。 以前は焼酎一升飲んでいましたが、以前より飲めなくなってきました。 53歳の時に乳がん、60歳で胃がん、63歳で食道がん、全部で9回です。 なるようにしかならないと思っています。 寝る前に楽に臨終が迎えられますようにと祈っています。(カソリックです。) 病院も先生と話をするのが面白いし、他にもいろいろな人と話せるので面白いです。 面白い事は見つけるといろいろなところに転がっています。 卵は大好きです。 葬儀委員長は誰にするか困っています。(こっちの方が先に行きそうだとか言われる。) 最後にかけるのは誰にしようか考え中ですが、若原一郎さんにしようかなと思います、初恋の人だから。 「山蔭の道」をかけててもらおうかなと思います。