2025年6月23日月曜日

頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 兼好法師「徒然草」

頭木弘樹(文学紹介者)          ・〔絶望名言〕 兼好法師「徒然草」 

「日が暮れたが前途がまだ遠い。 我が生ももはやよろめく力なさである。  一切の世俗関係をうっちゃらかしてしまう時期である。  約束も守るまい。 礼儀をも気かけまい。」 徒然草

清少納言の「枕草子」、 鴨長明の「方丈記」と並んで日本三大随筆の一つ。 

兼好法師とは卜部 兼好(うらべ の かねよし)と言って出家後は俗名を音読みした兼好(けんこう)を法名とした。  鎌倉時代の終わり頃に生まれて南北朝時代、70歳以上は生きたと言われている。 「徒然草」を書いたのは40~50代と言われているがそれもはっきりしない。   兼好法師が亡くなって100年後ぐらいに、正徹という僧侶が徒然草」をひきだし高く評価し、そこから有名になった。  

『徒然草』序段

つれづれなるまゝに、日くらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ。」

することもなくもの寂しい暮らしの中で、朝から晩まで筆を手にしては、心に浮かんでは消えるたわいもないことを、とりとめもなく書きつけてゆくと我ながらわけの判らないように感じられる。 と言う様な内容です。

「つれづれなるまゝに」と言うところも、「退屈で寂しい」という意味にとる人もいれば、孤独の楽しみとか行の境地と言う意味にとる人もいる。 

「あやしうこそ物狂ほしけれ。」も妙にばかばかしい気持ちがすると言う様な謙遜に意味に捉えるのと、熱中しておかしくなるほど興奮しているという高揚感を表現してるとも捉えられている。  専門の学者のなかでも意見が分かれる。

ドイツ文学者の中野孝次さんが「徒然草」の本を出している。

「日本の古典文学の中で「徒然草」は私も最も親しんできた作品だ。  親しむと言っても鑑賞とか研究とかとは程遠くその中の好きな部分を勝手に我流に読んで、それをもって身のやしないとしてきただけだから、専門家から見たら随分偏った見方と言う事になろう。  しかし私は一般の読者が古典に近づくにはそれが一番と信じているのである。 中には自分で読むより先にまずカルチャーセンターのようなところに通って、専門家から字句や事項の説明を聞き、正しい解釈を知ったうえでないと古典に近づかないと言う人もいるようだが、それではどこまで行っても古典は我がものにはならないのじゃないかと言う気がする。  古典がわがものになるにはそのなかの一句でも半句でもいい、ある言葉に打たれそれがわが心のうちにはいり根付いて、もはや古典の文言なのか我が言葉なのか区別がつかないぐらいになり、我が生を導く様になってだと私は思う。」 

まず感動が先だと思います。  どこか一か所でも感動していただけたらと思います。

「日が暮れたが前途がまだ遠い。 我が生ももはやよろめく力なさである。  一切の世俗関係をうっちゃらかしてしまう時期である。  約束も守るまい。 礼儀をも気かけまい。」 徒然草  112段の一節

人生短いので本当にやるべきことをやった方がいい、という事ですね。

188段

「或る人がその子を僧にして、仏教の学問を知り、因果の哲理をも取得し、説教などして世渡りの手段としてするも良かろうと言ったところが、子は親の命の通りに説教師になるためにまず乗馬を稽古した。  それは輿(こし)、人を乗せて担ぐ乗り物や、車、牛車のない身分で導に来た場合に、鞍に尻が座らないで落馬して困ると思ったからである。 その次には仏事の後に酒の振舞などあった時、坊主がまるで芸がなくとも施主は曲がないと思うだろうと、早歌と言うものを習った。   乗馬と早歌が段々上手になると益々やって見たくなって、稽古している間に説教を教わることが無くて、歳をとってしまった。  この坊主ばかりではない。  世間の人はこの坊主と同様なところがある。 」  「徒然草」

兼好法師はやるべきことをちゃんとやれと言っているが、なかなかできない。 

第137段

「花は満開を、月は名調なものばかり賞すべきものではあるまい。 雨に対して月に憧れたり、家に引きこもっていて気の付かぬうちに春が過ぎてしまっていたなど、情趣に富んだものである。  もう咲くばかりになっていたこずえだのちりしおれた庭などこそ、見どころが多いのである。」 「徒然草」

兼好法師は時間を惜しんで頑張ってきて、成功しろとか、なにごとかなせと言っているわけではない。  そういった価値観に振り回されずに、本当に自分が生きたいように、そう言っている。  

「木に坊主が登って、木のまたのところで見物していた。  木にとっ捕まていてよく眠っていて落ちそうになると目を覚ますことが度々であった。  これを観ている人が嘲笑して、実に馬鹿な奴だなあ、あんな危ない枝の上で平気で居眠りしているのだからと言っていたので、その時心に思い付いたままを、我等が生死の到来ただ今にもあるかもしれない、それを忘れてものを見て暮らしている、この馬鹿さ加減はあの坊主以上でしょう、と言った。」「徒然草」第41段の一節

こういった教訓話遺体なものは「徒然草」にはたくさんあります。

第109段

「「木登りの名人と言う定評のあった男が、人の指図をして高い木に登らせて梢を切らせたのに、非常に危険性があると思われた間は、何も言わないでいて降りる時軒場ぐらいの高さになってから、怪我をするな、気を付けて降りよと、言葉をかけたので、このぐらいなら飛び降りても降りられましょうに、どうして注意しますか、といったところが、そこがですよ、目のまわる様な枝の危ないところでは自分が恐ろしがって用心しているから申しません。  過失は何でもないところできっとしでかすものですよ、と言った。」  「徒然草」

「剣聖も信頼できない、強者は滅びやすい、財産の豊富も信頼できない、時の間に無くなってしまう。  才能が有っても信頼出来ない。  孔子でさえも不遇で有ったではないか。  徳望がるからと言って信頼は出来ない。  顔回、孔子の第一弟子でさえも不幸であった。 君子の寵遇も信頼できない。 たちまちに誅せられる。  罰として殺されることがある。  従者を連れているからと信頼することも出来ない。  主人を捨てて逃げ出すことがある。  人の行為も信頼できない。  きっと気が変る。  約束も信頼できない。  相手に信を守るのは少ない。」  「徒然草」 第211段の一節

あらゆるものが信頼できない。  このぐらいにい思っていれば、腹を立てたりがっかりしないで済むという事ですね。  何があっても動じるなという事です。

「悪人の生まれだと言って人を殺したら悪人である。  千里の駿馬、一日に千里を走るという名馬にみならうのは千里の駿馬の仲間である。  大聖、舜 古代の聖典を学ぶものは舜の一類である。  うわべだけにしろ賢者を手本にするのを、賢者と言っていいのである。」  「徒然草」 第211段の一節

兼好法師はうわべだけでもいいと言っている。  

「筆を取ればその気になってものが書かれ、楽器を取れば音を出したいと思い、盃を取れば酒を欲しいと思い、賽を手にすると賭博を欲する。  心というものは必ずそのことに触れて、催してくる。  いやしくもよからぬ戯れをしてはならない。  形式を尊重しているうちに、内容も充実してくる。  うわべだけの人を見てもむやみに不信人呼ばわりをしないがいい。  むしろ褒め尊重すべきである。」 「徒然草」 第157段の一節  

「いなばの国(現在の鳥取県)になにの入道とか言うものの娘が美貌だと言うので、多くの人が結婚を申し込んだが、この娘はただ栗ばかり食べて米の類は一向に食べなかったので、こんな変人は人の嫁にはやれないと言って親が許可しなかった。」 「徒然草」 第40段の全文

結婚を断る口実にしては栗しか食べないと言うのは、変な理由ですね。  

「盗人を捕縛しほかの悪事を詮議するよりは、世の人の飢えず凍えないような社会にしてほしいものである。  人は定収入が無いと方針も持てないものである。  切羽詰まって盗みもする。  世の中が上手くおさまらないで凍えたり飢えたりするような苦痛があると、犯罪者は絶えないわけである。  人民を苦しめて公金をおかさせるように仕向けて、それに罪を課するというのは不憫な技である。  しからばどうして人民を恵んだらよいかと申すなら、社会の上流に立つものが奢侈、浪費を止めて民を愛撫し、農業を奨励する、こうすれば下民が利益を受ける事疑いはない。  衣食住が人並であるのに、盗みを働く者こそ本当の盗人と言うべきではある。」  「徒然草」 第142段の一節  

「ふいにこの世を去ろうとする時になって、やっと過ぎてきた生涯の誤っていたことに気付くであろう。  誤りと言うのはよそ事ではない。  急を要することを後回しにし、後回しでよいことを急いで過ぎてきたことが悔しいのである。  その時に後悔したって間に合うものでもあるまい。  「徒然草」 第49段の一節 

人生の後悔について。