2025年6月15日日曜日

忽那健太(プロラグビー選手)      ・やるか、めっちゃやるか~プロラガーマンの挑戦

忽那健太(プロラグビー選手)    ・やるか、めっちゃやるか~プロラガーマンの挑戦 

最近は海外のリーグに挑戦するラグビー選手が多くなってきましたが、まだ日本人のプロ選手がいないスコットランドのプロリーグに挑戦した選手がいます。  忽那健太(くつな けんた)さん30歳。  忽那さんは愛媛県松山市出身で5歳の時からラグビーをはじめ、高校ラグビーの名門石見智翠館高等学校(島根県)から筑波大学、社会人のジャパンラグビートップリーグHonda Heat(現・三重ホンダヒート)でトップレベルで活躍しました。  その後膀胱がんの治療を行い、命に限りがある事を改めて知らされ、出来るうちにラグビーの王国イギリスでプレーしたいと一昨年スコットランドのあるクラブチームで活動を始めました。  目標はスコットランドで日本人がまだ誰もなし遂げたことのないプロ契約を結ぶ事でした。  2年間の挑戦を終えて帰国したプロラグビー選手の忽那健太さんにお話を伺いました。

今、全国を回っています。  小中高校大学、社会人の企業団体を回って、命の大切さとチャレンジすることお大切さをやっています。  講話とラグビーの練習もします。  モットーが「やるか、めっちゃやるか」です。  3年前に膀胱がんを患って命と向き合う時間を持ちました。 生きるか、めっちゃいきるか、と思っていまして、一回の人生を後悔無く生きるという思いがあり、「やるか、めっちゃやるか」と言う言葉を使っています。 本気で生きるという事です。  

父は陸上部でした。  団体で競技するラグビーに憧れを持っていたようです。  兄弟3人をラグビースクールに放り込みました。  現在兄が32歳、私が30歳、弟が28歳です。   兄を目標にしていました。   ラグビーは人間臭いスポーツだと思っていて、沢山の友達を作ることが出来ます。  強豪校に行きたくて島根県の石見智翠館高等学校に行きました。 (猛反対があったが。)  3年生ではキャプテンとなって全国大会で準優勝をしています。  大学は筑波大学を選択しました。   体育教員を目指しました。  中学からずっとキャプテンをやって来ました。  責任を負うという事が結構好きでした。  引っ張ってゆくには言葉と行動のバランスですね。  「挑戦する先には成功か成長しかない。」と思っています。 これはスコットランドへ行ってきた経験から得たものです。  挑戦する過程が成功なんじゃなかと思います。   

2017年ジャパンラグビートップリーグHonda Heat(現・三重ホンダヒート)に入ります。  トップリーグで戦いましたが、完全に鼻をへし折られました。  身長が172cm、体重が82kgで大きい方ではありません。  3年間プレーした後、26歳の時に膀胱がんと診断されました。   頭が真っ白になりました。  かなり大きくなっていて、2回手術を受けました。(1か月入院)  転移している可能性もあり、先が見えない時間でした。   死を意識末うと同時に人間は死を目前にした時に生の執着は凄いと思いました。  生きるとは何だろうと凄く考えさせられました。  未来に向けて時間を過ごそうと思って、自分が治った後は何がしたいのか、ノートに書き続けました。  もう一回ラグビーがしたいと思いました。  命はいつでも終わると感じて、今をとことん本気で生きようと思いました。 先生から「転移はなかったです。」と言われた時に、泣いてしまいました。  もう一回本気でラグビーをやってみたいと思いました。   

2023年選手として復帰、スコットランドでのプロ活動への挑戦を表明しました。  2回目の人生を貰っているんだという思いがあり、あてのない海外活動でしたが、不安感よりもわくわく感が上回っていました。  安いホテルを捜してチーム探しから始めました。  ヘリオッツ・ラグビークラブに入れました。   司令塔のポジションでした。  英語の会話はそれほどではなかったので苦労しました。  女子のラグビーチームのコーチも担当しました。仕事はチームメイトが紹介してくれた引っ越しやさんの会社で働きました。  週45時間契約で月~金まで働きました。 (何回かもう死ぬかなと思うほどでした。)  夜週3回の練習がありました。  1年目は国内3部リーグのアマチュアリーグでプレイ、年間25試合で24試合に出場、MVP4回選ばれる。  首に怪我をしてしまいました。 

2部リーグ契約直前で2部リーグが軽々破綻という事で解散になってしまいました。  日本に帰る選択肢もありましたが、残る決断をしました。  目標のプロ契約は出来ませんでしたが、思いつくことは全部行動に移したので、後悔はないです。  2025年4月7日、韓国実業団ラグビーユニオンからオファーがあり、プロ契約を結びました。  日本に戻ってきましたが、スコットランドで学んだこと、経験を伝えていきたい。  それと命の大切さを伝えたい。四国二日本一を目指すチームを作りたいという思いもあります。   情熱は磁石だと思います。