榊原晴子(大学講師) ・シベリア抑留を語り継ぐ 後編
シベリア3重苦と言う言葉があります。 飢えと重労働と厳しい寒さ。
①飢え ドイツとの戦争、飢饉のために元々食料事情が悪かった。 日本人にはわずかな食べ物しか与えられずに多くの人が飢餓状態になりました。 一日に僅かな黒パンとおかゆ、塩味の水の様なスープだけで野菜の切れ端が浮いていればましで、砂糖などは本当に少なかったそうです。 慢性的な栄誉失調が多くなり、そんな中重労働をさせられた。 死亡者が続出した。 抑留者の管理は日本軍の習慣をそのまま使っていた。(厳しい上下関係) 日常生活でも楽なことは上官が占めて、上官は不当な労働を強制して自分たちは楽をする。 食べ物も多くとってしまう。
②重労働 原則週6日で労働時間は8時間。 達成されないと残業が強制された。 たまたま気候がいい時には12時間労働になったこともある。 日本人はとても手先が器用なので、頼られてしまった。 ドイツ人は穴掘り作業を指示されると8時間かけて終わらせる。 日本人は早く終わらせれば休めると思って早くかたずけてしまう。 余力があるという事でそれ以上のことをやらされえてしまう。 建設工事でが工場、学校、大規模な都市建設まで任されて、水道工事、ダムの建設まで行った。 今も残っていてその土地の人は日本人に恩恵をうけたと感謝をしている。
③厳しい寒さ 気温がマイナス40℃から50℃になる。 想像を絶する苦しみだった。 全体の80%は初めの冬で死亡している。
1945年8月9日に旧ソ連は音全日本軍を攻撃してきました。 およそ60万人の日本人が約200か所ある収容所に拉致監禁され強制労働させられた。 その直前には第二次世界大戦は終結に向かっていました。 スターリンはすでに計画されていた日本軍への攻撃をずっと早めて8月8日に日ソ戦争を起こしてしまった。 日本とソ連には領土不可侵条約(5年間)が結ばれていて1年残っていた。 ポツダム宣言で日本に無条件降伏を促したが、ソ連が日本を守ってくれるかもしれないと微かな期待を抱いていた ソ連に仲介を頼むという動きもあったようです。 その返事を待っていたためにポツダム宣言を日本は黙殺してしまった。 ソ連はすでに連合軍側に加わっていた。 終戦と同時に満洲などにいる日本人はようやく日本に帰れると思っていたが、抑留されてしまった。
満州は現在の東北地方にあった日本が1932年以降統治していた地域でした。 80万人ぐらいが移り住んでいました。 男性はシベリアへ女性子供は日本へ自力で帰る道が待っていた。 女性の一部もシベリアに抑留された。(従軍介護婦、軍の補助の仕事をしていた人など) 万一の時のために青酸カリを持っていたそうです。 5万5000人ぐらいの人が現地で亡くなっています。
ソ連には収容所国家と言うのが実態としてあった。 スターリンの時代に農家が政府の集団経営に変えられて富んだ農民は個人の財産を奪われて、強制収容所へ入れられた。 合計数百万人の人が死亡している。 およそ200万人が収容所に入れられている。 ドイツとの戦争で1500万人ぐらいの犠牲者が出て、労働力が圧倒的に不足していた。 組織的なソ連の囚人労働者の実態があきらかになってきた。 日本人抑留者は戦利品です。 ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニアなどの国からも捕虜が送り込まれている。
ナヴォイ劇場の建設。 ソビエト連邦軍の捕虜となった旧日本軍の兵士が建設した劇場でも知られている。 1966年の大きな地震でも無傷でした。 日本人の勤勉な仕事ぶりの賞賛の対象となってきた有名な劇場です。
苦難を乗り越えて帰ってきた人たちはその後も苦しみがありました。 日本人の抑留者にも共産主義を勉強させた。 洗脳されてソ連の思い通りに動くようになると、食べ物を多くもらえるとか、早く日本に返してやるという事を言われる。 その人たちが抑留所に帰ってくると、軍隊の規律で動いていた収容所が、代わってその人たちが力を持ってくる。 上官がやられるようになる。 吊るし上げと言う様な個人攻撃が始まる。 密告されるのではないかと、お互いが信じられなくなる。 こういったことで帰って来てからが最大の難関となる。 シベリア帰りという事で仕事がもらえない。
戦後80年を迎える時になり当事者は亡くなってきた。 当事者から聞いた話についてその家族からの話も加えています。 亡くなった人の克明な抑留の記録を見出した人もいます。 平和な時代をもっと長く維持しなければならない。 自分が書いたようなことをよくくみ取って、人間の命を大事にしていってほしい、という事を伝えたかったようです。
本を書く前にウェブサイトを作りました。 閲覧者数は24万回を越えています。 若い学生たちの協力によってできました。 ウェブサイトには抑留に関するような音楽も入っています。 「シベリアの歌」も入っています。
*「シベリアの歌」