2024年9月19日木曜日

岡本 信人(俳優)             ・〔わたし終いの極意〕 人生は野草のように

 岡本 信人(俳優)             ・〔わたし終いの極意〕 人生は野草のように

岡本さんは山口県生まれの76歳。 14歳の時にNHKの連続ドラマ「あすをつげる鐘少年福沢諭吉」で子役デビューしました。 以来、「肝っ玉かあさん」や「渡る世間は鬼ばかり」など民放のホームドラマで活躍、NHKの大河ドイラマ「鎌倉殿の13人」では源頼朝を支えた重鎮の一人、 千葉常胤を演じて煮にを集めました。 岡本さんはまた野草の人としても知られ、野草の観察や調理に関する本も出版しています。

千葉常胤は勇猛な坂東武者ですが、決して野心家ではなくて堅実で土の匂いのする武将だと感じました。 演じる上で意識したのが無骨さと誠実さです。 千葉常胤のオファーが来た時には当時は73歳でした。 そろそろ終活しようかなと思った時期でした。 野草の観察と同時に一日5000歩から8000歩のウオーキングをしています。 発声練習もして生活も規則正しくしています。 20代から体形、体重は変わらないです。 

父親がシベリア抑留されて、肺結核を患ってその治療のために色々な市に移り住みました。 そこで私は野生児になりました。 母は野草を摘んで、食卓には野草が並びました。 一緒に摘んだりしたのが野草の原点となりました。 萩市には小学校3年から6年まで居ました。 人生の中で一番楽しかった場所では無いかと思います。 その後父の仕事の関係で東京に引っ越しました。 自然の全くない環境でした。  友達も出来なくて、父が心配して児童劇団に応募し、合格しました。  「あすをつげる鐘少年福沢諭吉」で福沢諭吉の友達として子役デビューしました。(14歳)   大学に行きながら出演している時に父が「もう芝居を辞めて建築の勉強に専念するように。」と言われたのですが、「肝っ玉母さん」が終わったらやめると言ったんですが、次々とホームドラマに出演して、そのままになってしまいました。 

石井ふく子先生との出会いが、僕の俳優人生を決めたと言ってもいいです。 出会って後から「肝っ玉母さん」の出前の健ちゃん?に決まったと言われました。 そこから俳優の道が開けていきました。  ホームドラマなので身のまわりにいそうだなという風に受け取ってっもらえればいいかなと思います。  先生と一緒に野草を摘んで、先生のお宅で料理をして食べました。 先生は野草を食べたこともあるので美味しかったと言っていただきました。 ハコベの炒め物が一番おいしかったと言っていました。 

20代の前半に一人暮らしを始めた頃に、多摩川の土手でつくしの群生を観ました。 よみがえって摘んで炒めて食べたらまずかった。(あく抜きをしなかった。) 以後図鑑で調べるようになりました。 食べられる野草が一杯あり、レパートリーを広げていきました。  出版社の人の耳に入って本になって、テレビからも声がかかって、野草を食べる人、雑草を食うおじさんという事で一気に知られるようになりました。 野草は知れば知るほど奥が深いんです。 過酷な環境でも懸命に生きてゆく逞しさに生きることを教えられます。  野草はド根性です。 

9月の後半になると、つゆ草、ゆきのした、いぬびゆ、すべりひゆ、たんぽぽ、おおばこ、10月になるとむかごなどです。 料理法としては天ぷらが一番ポピュラーです。 よもぎ、ゆきのしたは天ぷらにいいですね。  ドクダミも天ぷらにすると匂いが80%オフになります。 すべりひゆはアクが強いので、アクだしをした後で一晩水に浸けておくと、水が真っ赤になります。 油で炒めて味噌と一緒に食べるとつまみになります。 つくしはハカマを取ってアクぬきをして煮て卵でとじて一緒に食べるとおいしいです。 私はヨモギが好きです。 天ぷら、草餅にするのもいいです。 

歩きながらセリフを覚えながら、野草を観察し、声を出したり忙しいです。 野草の様に精一杯生きた後に、潔く枯れて自然に帰るというのがいいなと思っています。 〔わたし終いの極意〕としては野草の様(野草の精神で)にという事です。