2024年7月27日土曜日

高橋亜美(子どもや若者の自立支援ホーム所長)・〔ことばの贈りもの〕 生きてきてくれてありがとう

 高橋亜美(子どもや若者の自立支援ホーム所長)・〔ことばの贈りもの〕 生きてきてくれてありがとう

総務省によるとDV、ストーカー、児童虐待の被害者を保護するDV等支援措置の利用が、2023年10月の時点で、10年前の3倍近くに昇っているという事です。 被害を受けた人たちにはどのようなサポートが必要なのか、児童養護施設や、里親家庭などを巣立った子供や、若者を支える自立支援ホーム、アフターケア相談所「ゆずりは」の所長高橋亜美にお話を伺います。 高橋さんは社会福祉法人が運営する自立支援ホーム「あすなろ荘」の職員として9年間勤めた後、2011年からこの法人が立ち上げた自立支援ホームの所長に就任しました。 現在19歳の女の子と10歳の男の子の二人のお子さんを育てながら活動しています。 被害を受けた人たちが安心して暮らして生きる社会に繋げていきたいという高橋さんの活動にかける思いを伺いました。

児童養護施設や、里親家庭などを巣立った子供が高校卒業して社会で生き得てゆく中で、大変な状況に陥った人から相談を受けてサポートするというのと、養護施設で経験できなかったけれど、ずっと家庭で苦しい思いをして来た人たちが、やっと家庭から逃れられた、あるいは逃れたいという人たちも相談対象として、様々なサポートをしています。 年齢層は10代後半から60代の方まで相談があります。 10代後半から30代がいちばんおおいです。 安心して子供時代を過ごせてこなかった人たちが、私たちのところにたどり着いています。 

私は児童福祉施設で職員をしていて、衣食住を共にしながら、虐待の被害を受けた子供たちが一緒に暮らしますが、その人たちをケアする仕事をしていました。 18歳から20歳でその施設を離れなければならない。 その後の社会で大変な状況に陥ってしまうという人がとても多くて、その人たちが安心して相談できる場所を作りたいという思いから、「ゆずりは」の立ち上げに至りました。  相談の年間の延べ件数は5~6万件になります。   600人ぐらいの相談者がいます。  段々増えてきています。 

ほとんどが虐待をうけて家庭で生きて来た。 施設に入ってトラウマが消えるというわけではなくて、トラウマを抱えながら施設を出た後も生きて行かなければならない。  人間関係の中で再発、爆発してしまう。  トラウマを抱え、家族からは逃れて生きて行かなければならないという厳しい現実があります。  出産をして子育てを機に、子供の時に受けて来た被害を思いだしてしまうとか、ライフステージごとにトラウマが顔を出してくる。  どの年齢になったら大丈夫という事はないです。  虐待された人がケアをされないまま大人になったりした時に虐待の連鎖が起きてしまうという事もあります。 

安心であるという関係をまず作って行きます。  1週間に一回ジャムを作っています。  外で働くことが難かしいという人たちです。   トラブルが起きても大丈夫というような関係作りを大事にしています。  共通のしんどさはあっても、共感しあえるばかりではなくて、安心して人間関係を育むという事が出来てこなかった人たちが集うという事もあるので、気持ちをぶつけあう、傷つけあうという事も起きてしまいます。 スタッフが一緒に葛藤しながら日々積み重ねている様な感じです。 

子供時代に父との関係が苦しかった時代がありました。 父は卓球をやっていて、自分の夢を娘に託すみたいな形で、小学校4年生から父と一緒に卓球を始めました。 普段は優しい父が卓球になると、怒鳴られたり、手を上げられたりしました。(2年間)  抵抗してたりしたが、そうするとさらに暴力を振るわれたり、狭い部屋に閉じ込められたりしました。 恐怖と何を言っても聞いてもらえないというあきらめになって行きました。 母親にも相談したことがありましたが、卓球に関しては口出しは出来ないと言われてしまい絶望しました。   知らず知らずに万引きをして警察にも捕まりました。  友達にも意地悪をしたりすることがどんどん増えていきました。 気が付いたら周りには友達が居なくなっていました。 先生に対しても反発しました。  父からの暴力などの反動で、そういった行動に出てしまったのかなと思います。 

自立支援ホームは養護施設と似ていて、虐待などで家庭で暮らせない子供たちが生活しています。  対象が中学卒業してからです。 15~20歳ぐらいまでの子たちが外で働きながら生活する施設です。  暮らしの中で元気になって行く。 死んでもいいといっりた子が生きててもいいかなというような感じに変わってゆく。  施設を出た後に、仕事が続かなくなってしまうとか、自殺未遂などが起きたりして、施設を出た後も安心せて相談できる仕組み、場所を作りたいと思いました。 それが「ゆずりは」に繋がって行きました。 

初めは怒りをむき出しにしてきました。 やり取りをしてゆくと、怒りが本当は寂しいとか、本当の母への怒りをぶつけてきたりしていました。  施設で当たりまえの生活を続けてゆくという事で安心が生まれてくる、という事をスタッフも学んできました。  段々と表情も柔らかく変わって来ます。  どんどん話すようにもなって行きます。 安心な場所、安心な人間関係が出来るとこんなに語りたいんだと思いました。  

「ゆずりは」では、苦しみを代わりに受け取るとか、代わりに解決するころは出来ないが、キャッチボール、ボールが行き交うようなやり取りをしてゆく、そのためにはどう言ったスタンスでとか、どういった言葉がけをするか、などについて考えて心がけています。  「ゆずりは」の以前の施設で暮らしていた子が、「生まれてきてありがとう。」という言葉が大嫌いだと言っていました。 自分が生まれてくることに対しては選べなかった。 でも「生きることを選択し続けてきたから、いま私たちは出会えたよね。」といいます。   「生きてきてくれてありがとう。」は揺るぎない声で伝えられる。  私にとってもお守りみたいな言葉になった、という事はあります。 その言葉に対して、改めて振り返るような、そんな表情をしたりします。 これからは自分で選んでいける、決めるんだという、そのスタートでもあるよと、いいます。 

過去に苦しんでいた人たちが、その後大人になってからも安心して生きて行けるような社会を作ってゆくというサポートがもっともっと広くなって行くといいなと思います。