井上頌一(放送作家) ・放送作家はオモシロイ
井上頌一さんは1943年大阪府出身。 早稲田大学在学中に永六輔さんの門下となり、「クイズ面白ゼミナール」「クイズ百点満点」「クイズの五本人の質問」と言った数々のクイズ番組や、「コメディーお江戸でござる」「爆笑オンエアバトル」などの演芸バラエティー番組、大晦日の紅白歌合戦の構成にも関わって来ました。 現在もNHK朝総合テレビで放送されている「演芸図鑑」の構成を手掛けています。
「演芸図鑑」の構成を10何年間行っています。 放送作家は1970年から始めました。(54年間) 1966年大学は荒れていました。 放送に関する求人広告がありました。(永六輔) 当時永六輔さんはヒットメーカーでした。 応募したのがこの世界とのつながりでした。 マイクロバスの運転手をしていろいろな人を乗せて行っていました。 桂米朝師匠なども乗せていました。(プライベートで寄席もやっていた。) 大学は学校へは行かずに在籍していただけでした。 沢たまきさんのラジオジョッキーの原稿を書く仕事があり、私が採用されました。 放送作家としての一番最初の仕事でした。 NHKの音楽番組「ステージ101」でも採用されました。
紅白歌合戦の構成にも34年間も携わることになりました。 当時バードウオッチングなんてなかったが「クイズ面白ゼミナール」で取り上げていたので、紅白の審査員採点を赤と白を上げてもらって、双眼鏡で数えて貰ったらどうだろうと思いました。 そういったアイディアをだしました。 通常はボタンを押せば一瞬で出てくるのですが、それでは面白くないと思いました。 数はピタッと合っていました。
20年以上NHKのクイズ番組の構成をやって来ました。 雑学が好きで雑学を何とか市民権を与えられないだろうかと思いました。 当時雑学は軽くみられていました。 子供時代はラジオぐらいしかなく、何でも見てやろうというような知識欲は有ったと思います。 古本屋では戦前の本があってすべての漢字にかながふってあるんです。 古い本を買って読むのが趣味でした。 仁徳天皇陵のそばだったので、これは何だと思いました。 そういったものが点在していて、知りたいなあと思いました。
横山やすし師匠とは中学校が同じで彼は一つ下でした。 後に番組で一緒に仕事をしたことがあり、これも縁ですかね。 「爆笑オンエアバトル」1999年から11年間やりました。 何か新しい審査の方法が何かないかと考えてボールを使う方法を考えました。 ボールの数え方も目方を測る方法でやりました。 81歳になりました。 放送作家は私に一番向いている職業だったと思います。 永六輔さんは怖い人でした。 内容のことで番組のスタッフと喧嘩するんです。 意見が合わず、台本を全部撤収して帰ったこともあります。