| 酒井大岳 |
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| <概略> |
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| 国語と書道を教える中、卒業生に「悲心」の書を送り続ける ある時に教え子に出会い「悲心」の書との経緯について話を聞く事になる |
| 俳句もやるようになる 金子みすずの詩との出会いから、荻野義信、矢崎節夫氏と懇意になり ネパールと係わりを持つようになる |
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| 般若心経の心を先生が地で示してくれた |
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| それからは般若心経を一生懸命勉強した |
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| 先生 腎臓の手術をしてその晩亡くなる 45歳 立てないくらいショックだった |
| 私の心のど真ん中に杭のように刺さっている |
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| 卒業の時に仏教の言葉を贈り5000人余りになる |
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| 卒業生に送った書「悲心」・・・自分が悲しい体験をしたら、他人には味あわせたくない 体験から出てくる本当の思いやりの心 |
| 運命の風は絶対避けられない(悲風) どん底の悲しい体験をしたら もうこの悲しい体験は自分だけでたくさんだ 人には味あわせたくない |
| 真からの思いやりで人に親切を施してゆく温かい心を与えて心 |
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北海道へ講演に行った時(高等学校) 講演後「先生」と言って抱きついてきたおばちゃんがいた 教え子だった
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| その子は悲風の連続 夫を亡くし、息子が事故に会う、となりの家から出火して全焼してしまう、自分は病気をして手術をする |
| これがバタバタと続いてしまった 最後が火事で何もなくなる 机の引き出しの一番奥から封筒「悲心」が出てきた(焦げてなかった) |
| これを抱きしめて声を出して泣いてしまいました 泣きながら報告してくれる いまでは額に入れて飾ってあります 大変慰められた |
| 今度の大震災で立ち直ってくれたら本当にすごい悲心の持ち主になるでしょうね あったかい心を波紋のように拡げてくれると信じている |
俳句は子供のころから 高校で担任が俳句が得意で全校で行う 1,2位を取る富安風清先生 俳句大会在り 5句大会に出す
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| 全部入選せず 俳句の勉強を始める 毎日30句 2年半 「若葉」投稿 |
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| 「めだか散り めだか集まり 水動かず」 |
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| 子供が怪我をしたり、妻が病気したり人間生活には絶えず起こっていること・・・これは「めだか」だろう |
| めだかはさっと集まったり、さっと散ったりするが 水は泰然として動かない |
| 高いところから見ると何万軒と言う家があり、今日結婚式を挙げる人もいれば、交通事故で大騒ぎしている人もいるだろう |
| 合格を喜んでいる人もいるかもいしれない 悲喜こもごもが何万軒というなかにはいろいろ起きている |
| 今喜んでいる人には5年後には苦しい事が起きてるかも、又別の人には10年後に楽しい事が起きているかも・・・めだか |
| 大自然は頓着していない・・・水 |
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| 1993年に金子みすずの詩と出会う その前にネパールの仕事を既にしていた |
| 金子みすず・・・大震災のときTVに詩が流れている |
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| 昭和50年代の終わりにネパールの学校建設を始めてた |
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| オギノ芳信(群馬県の人) カメラマン ヒマラヤの写真を撮りに行って写真どころではない 子供たちは靴もはいてない 水道、トイレ無い |
| ろくなもの食べてない→彼らをすくうのをやらねば 小学校建設に着手する 講演会で一緒になり手伝うことになる |
| 矢崎節夫氏がネパールに金子みすず学校を建設しようと提言 募金を展開しその浄銭で第一みすず、第二みすず小学校を建設 |
今の日本人の子供・・・作られている顔 (かつては日本人の顔もネパールの子どもと同様な顔だった)
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| ネパールの子供・・・あからさまの顔、いじられていない顔、修正されていない顔、元々人間はこういうはつらつとした顔なんだ 眼が左右対称 眼がきれい |
| 道元禅師「切に思うことは必ずとぐるなり」 真から思っていればそれは必ず実現する |
| 「草に座って雲を見る」 草→大地、大自然 雲→「流れる」 人間は時代に流されまいとするが自然を見る中でしか感じられない |
| 自分は今滑って生きているのか、時代に流されて生きているのか あるいは遅れているのか 一番自分に解らせてくれるのは 青空であり |
| 雲であり、風であり、赤とんぼである |
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| 自分の真実を見るまなこ これを発見することが大切だ 余裕 偉くなると自分を見失うことが多い |
| 草に座るということは あらゆる世界をしっかりと落ち着いて静かな眼差しで見つめ、同時に自分を見つめる |