2025年11月3日月曜日

竹見昌久(ろう学校教諭・日本デフ陸上競技協会)・ろうの子ども達の思いに寄り添って

竹見昌久(ろう学校教諭・日本デフ陸上競技協会)・ろうの子ども達の思いに寄り添って

 竹見さんは昭和49年東京生まれ。(50歳)  大学卒業後東京都の教員になりました。 20年ほど前にろう学校に赴任し、聴覚に障害の有る子供たちに指導を始め、陸上部の監督になりました。 竹見さんは短距離走に出場した生徒がスタートの音が聞こえず、悔しい思いをしたことに心を痛めます。 子供たちのために何とかしたいと思い、音と同時に光るスタートランプを作りたいと考えました。 試作品を作って改良を重ね、2019年に完成したスタートラインランプは、現在国内をはじめ海外の大会でも使われています。  今月の15日から聴覚に障害の有る人達のスポーツ国際大会、東京デフリンピックが日本で初めて開催されます。 デフリンピック陸上競技大会の運営に携わり、ろうの子供たちについて知って欲しいと取り組む竹見さんに伺いました。

デフリンピックは聴覚に障害の有る聞こえない、聞こえにくい人たちの大会ですが、聴力が片耳が55デシベル以上の人が条件です。(補聴器も外す。)  パラリンピックと一緒にやっていた時代があります。  今では70~80か国ぐらい、3000名ぐらいの方が参加しています。  コミュニケーションで大きな壁が出来てしまいます。  手話通訳をどういう風に配置するとか、細かく調整しているところです。  

スタートランプを開発しました。  色が変化することによってスタートの瞬間が判る様な装置になっています。  音を見えるようにする装置でして、「位置について」は赤が光ります。  「用意」は黄色、「ピストルの音」と同時に緑が光ります。  ボタンに合わせて光らせますが、「ピストルの音」の信号をスタートランプが貰って光ります。  同じ条件でスタートが出来るようになりました。  

大学卒業後9年目に東京ろう学校に赴任しました。  手話も出来ない状態でろう学校に行ったので、最初は生徒とコミュニケーションが取れない状況でした。  手話のできる先生に通訳してもらっていました。  筆談もしていました。  子供たちは観る力、周りを観察する力、愛で情報を得る力は物凄く長けていました。  全員が私の目を見て話をしてくれるので、聞くという事はこういう事なんだなと思いました。  高校、大学では陸上の100m、200m、走り幅跳びをやっていました。  

陸上部の監督を任された時には、遣り甲斐を感じました。  聞こえないためにスタートがでれないと努力が水の泡になってしまう。  高校3年生の女の子がいて、インターハイへの大事な大会で決勝へ行けそうな子がいましたが、結局予選で敗退してしまいました。 努力してきても聞こえなかったら意味がないじゃないか、 という事を言われました。  自分は何もやっていなかったと思った瞬間でした。  補聴器を使ったりしていましたが、他の雑音のためにピストルの音が判断しにくいとか、隣のスタートの動作を観てスタートするとかで対応していました。 

恩師の青山先生に何とかスタートランプを作って欲しいと相談に行きました。 先生の紹介で機器メーカーさんがやってみましょうという事で始めました。  筑波大のろう学校の岡本三郎先生と一緒に開発に携わりました。  試作品が出来て全国7か所ぐらい回ったんですが、なかなか理解されませんでした。  使ってくれる子供たちにアンケートを取ったり、審判の方にも聞いたいりして、改良を重ねていきました。  国内の普及活動をしながら、2016年ブルガリアのデフ世界陸上競技選手権大会の3か月前に行きました。 大会期間中全部使っていただきました。 素晴らしいという声を頂きました。  それから広がっていき、製品化されて行きました。  試作から完成まで8年ぐらいかかりました。 大きさは手で握れてしまうぐらいの大きさです。  互角に戦っている様子を見るとこっちも鳥肌が立ちます。 実際記録も伸び、関東大会に進む子も増えました。  スタートランプを置くことによって、聞こえない人の理解も自然と深まってゆきます。  全部の競技に使います。(マラソンまで)

スタートランプをドミニカ共和国に寄贈しました。 喜んでくれて、大会が盛り上がりました。一番伝えたいことは聞こえない方たちはまだまだ世の中に沢山困っていることがあります、という事です。   東京デフリンピックではアナウンサーが競技を紹介しますが、その音声を字幕に変えるのに、競技場の真ん中に大きなLEDのボードを2枚置いて、日本語と英語で字幕を流すという事をやります。(手話通訳と字幕が同時に観れる。) 

ろう学校を20年務めるなかで、聞こえないからこの仕事は駄目と言うような世の中の固定概念がまだ残っていて、もっともっとこういう仕事ができるよね、と言う子が沢山います。 テクノロジーを工夫しながら、障害者の方がもっと世の中で活躍できる世界に向かいたいと思います。  大学は障害者の受け入れが非常に進んできています。  進学の幅は広がりました。  自分の原動力は子供たちの笑顔です。  子供たちのお陰で今の自分があります、恩返しをしたい。