盛口満(沖縄大学人文学部教授) ・いきものたちの楽園"琉球諸島"に魅せられて
1962年千葉県館山市生まれ。 小学生の時に海岸で貝拾いに夢中になりました。 生き物たちを幅広く学ぶため千葉大学理学部生物学科に進学。 その後埼玉県の自由の森学園の生物学の教師となります。 2000年に那覇市に移住、現在は沖縄大学人文学部で教授として理科教育を担当しています。 教育の傍ら琉球諸島の各地に足を運び、鳥、動物、植物などあらゆる生き物たちの調査、研究に務め、著作は100冊を越えます。 琉球諸島の面白さや、島の人々への思いなど伺いました。
父親に連れられて海に行って、貝殻が落ちているのを見て、夢中で拾い集めて、それから貝拾いに海にしょっちゅう通うようになりました。 貝を図鑑で調べると、もっと綺麗な貝が沖縄にはありました。 それで沖縄には憧れました。 小学校5年生の時に近所のお兄さんから理科の雑誌を貰って読んだら、西表島の特集があって1mぐらいの大きさの豆の種を探検家が持っている写真があり、こんなに大きな豆があるという事が記憶に残っています。
大学は琉球大学に行きたかったが親に猛反対されて、千葉大学理学部生物学科に行きました。 サークルでは西表島に行くという計画があり、一緒に行くことになりました。船で2泊かけて行きました。 凄いなという印象がありましたがよく覚えていないです。 マングローブの林の中にも入りました。 父が理科の教員をしていて、大変そうで先生にはなるまいと思っていました。 大学で生物学を学ぶようになって、研究者には向いていないと思って、先生への進路を検討し、自由の森学園を知って、受験したら合格しました。 不登校問題、学校崩壊とか学校がおかしいという社会問題になったころで、先生の方で見つめ直して学校を作ろうという動きのなかで出来た学校が自由の森学園でした。
修学旅行では行く先を生徒と話し合う中で、西表島に探検に行くことになりました。 ホテルには宿泊せずに公民館を借りて雑魚寝をしました。 イリオモテヤマネコを保護している人に案内してもらったり、スケールの大きい自然に対して感じるところがあったと思います。 自分でも個人的に春や、夏休みに年に一回ぐらいは行っていました。 西表では散歩していてもジャングルに入れるというようなイメージです。 地元の人たちと自然とのかかわりも面白いと思いました。 民宿では親戚づきあいのような感じでもてなしてくれました。 酒を飲みながら歌、伝承などを聞いたりして面白そうだという思いがしました。
税金として明治維新前まではお米だったので、西表島周辺の小さな島は西表島迄渡って来て田んぼを耕して帰るという事をやっていました。 お米はほとんど食べられなくて、麦、サツマイモ、粟とかしか食べられなかった。 高校の先生は15年務めていました。 30代の後半にどこかでチャレンジしたいという思いがあり、那覇への移住を決めました。もう一つの理由は、先輩の先生が沖縄にフリースクールを作るという事でした。 その手伝いという思いもありました。 フリースクールでは7年間働きましたが、その後沖縄大学に採用されました。 准教授、教授、そして3年間学長を務めました。
学長を辞めてもまだいろいろ仕事があり、調査、研究には手が届いていません。 沖縄は面積が狭いわりにいろんな種類があります。 ただ自然を壊してゆくようなこともあり、自然の楽園と言っていいかどうかわかりません。 沖縄には狭いわりに150万人の県民がいて、自然を残していかなければいけないと思います。 ヤンバルクイナがいますが、クイナは飛べない鳥になって行って、ハワイクイナは絶滅、グアムクイナは野生では絶滅、動物園にしかいない。 クイナは太平洋の島々には2000種類いたという人もいます。 沖縄ではこれほど人が住んでいても、飛べないクイナがいるという事は奇跡のような状態だと思います。
たまたまイリオモテヤマネコのフンを拾う事が出来て、アルコール殺菌をして中をほぐしてみたら、ゴキブリとムカデだけでした。 普通の猫では食べられないようなものまで食べて生き延びてきました。 夕方になるとイリオモテヤマネコが活動するので自動車に轢かれないように気を付けないといけない。
宮古島が一番人気なのは宮古ブルーと言われるきれいな海です。 川がないので川から土砂が降りてこない。 サンゴ礁から出来てきた島で、平らで川も山もない。 島の成り立ちのなかで島が一回沈んだのに、昔から陸上で住んでいたとしか考えられない生き物が住んでいることが不思議です。 沢ガニは一生を淡水で暮らすカニで、一回海に沈むと全滅してしまう。 宮古島に沢ガニがいるという事は、宮古島と地続きの島だったころに、歩いてやって来てという風に思われるが、一体いつどうやって渡ってこれたのか、宮古島が沈んだはずなのになぜ生き続けられたのか、まだはっきりわからない。
カンムリワシ自体は東南アジアに広くいます。 日本から見ると、カンムリワシは八重山諸島にしかいない。 本にはイラストで描かれていますが、もともと絵が好きで、大学生のころから絵と生き物が合体して、生き物の絵を描くようになりました。 絵であるとプリントして子供達には伝えることが出来ました。
ゴキブリが結構好きです。 子供達が面白がってくれるものにゴキブリがあります。 知り合いが宮古島で綺麗なゴキブリを見つけて、ある業界では話題になりました。
琉球諸島は島の成り立ちが違っていたりして、平らな島と山がある島があります。 本土に近いか、台湾に近い島かで、大きく3つのグループに別れます。 ①屋久島のグループ ②奄美、沖縄のグループ ③八重山のグループ 宮古島の場合、いつどう繋がっていたのかよくわからない。
誰かに何かを伝えたいという思いが小さいころからあり、生き物を本にすると一区切りついた様な気がしていて、探求してきたことを含めて本にして、いつの間にか100冊ぐらいになりました。 昔は島という限られたところで自給自足をしなければならず、肥料などを含めて自然のなかでどいう利用できるか目配りをしていた。 山のある島はいろいろ調達が可能だが、宮古島のようなところは限られてものをどう知恵を働かすか、という事が聞いてゆくと少しづつ判って来ました。 これからの自然とのかかわりを作ってゆくときに何か道筋が見えてこないかなあというのが今思っていることです。
2021年に奄美大島から西表島にかけて世界遺産になりました。 プラスになったことは今後守ってゆくという事と、努力をしていかなくてはいけない。 マイナスは観光客がたくさん来るにはいいんですが、ことによっては小さな島が荒れてしまうのではないかと心配はしています。 昔の人と自然とのつながりをそのまま引き継ぐことは難しいので、もう一回自然と繋がり直す事を捜すことが必要なのかなと思います。