2022年12月8日木曜日

辻本一英(阿波木偶箱まわし保存会 顧問)・〔人権インタビュー〕 消えかけた人形文化は私たちの誇り

 辻本一英(阿波木偶箱まわし保存会 顧問)・〔人権インタビュー〕  消えかけた人形文化は私たちの誇り

1922年の3月3日の水平社宣言から100年、今年の3月3日徳島市に「人形の村」という施設が開館しました。  徳島県には阿波人形浄瑠璃をはじめ多くの人形文化が根付いています。  この施設に飾られているのが、木偶と呼ばれる木彫りの人形です。   徳島の伝統芸能阿波木偶箱回しに使われます。  その中には三番叟回しや恵比寿回しなど様々な形があって、人々に有難いものとして受け止められてきました。   その人形文化は被差別部落で受け継がれはぐぐまれてきたもので、その地域では人形を操る芸人は差別の対象にもなったと言います。 こうした人形の芸能の中には一度消えかけたものもあります。   この人形を集め人形文化を保存しようと取り組むのが辻本一英さんです。  被差別部落の出身者です。    高校での教員生活の後、阿波木偶箱まわしの研究をはじめ、全国で公演を行い人権同和教育を行ってきました。   何故阿波木偶箱まわしが差別の象徴になったのか、何故それを保存するのか、差別と闘って来た辻本さんに伺いました。

「人形の村」では350体ぐらいを常時展示しています。  全部で900体ぐらいはあります。   伝統的な正月習俗として定着していた、三番叟回しや恵比寿回しなど、実はこれは被差別部落の人たちがやっていました。  時代の流れと共に評価されずに、この人形たちが消えかけていました。   次の若い人たちにも伝承していってもらいたいと一体づつ集めてきました。  三番叟回しは二人一組になって行います。   一人が4体の人形、千歳、翁、三番叟、恵比寿を操り、もう一人が鼓を打ちます。   お正月に五穀豊穣、無病息災、商売繁盛などを祈って家々を回る徳島独自の伝統芸能です。  阿波木偶箱まわしは人々に有難いとされた半面、差別の対象であったとも言います。   

夏休みに自転車で3,4kmかけて友達と遊ぼうと思って行くと、おばあちゃんが出てきて八幡様の東か西か聞かれて、答えるとまだ午後2時ごろだというのに「帰りなさい。」と言うんです。  被差別部落の子だとわかるんです。   社会にそんな差別がることは知りませんでした。   そのおばあちゃんと母親が喧嘩していたのかなと思って言ったら、「そんなこと知らんでもええ。」と大声で怒鳴られました。   母親としては一番ショックを受けた瞬間だったと思います。  僕らの地域が差別を受けるのは感覚的にわかっていました。   整理がなかなか付きませんでした。   親も解決する手段、方法、アドバイスなどもできなかった時代でした。  

故郷を捨てて違う土地で自分は生き直そうというような思いで、東京の大学へと逃げていきました。  解放されるかと思ったら全く逆でした。  放送の中では言えないような言葉を電車の中で聞くんです。  自分の住所も当たり前に書けなかった。  そういった苦しみが4年間続きました。   間違った観念を吸い込んで人間は差別するんです。    人権問題を勉強してゆくと、自分を見つめ直すと判るんです。  自分のなかにも差別意識がある。  しかし勉強しないとそのことに気づけない。   事実を知る事、それを認める事、如何如何と思う姿勢が持てたら人生大分違ってくると思う。  

夏休みなどで帰ってくると、差別をなくそうと地域の人が頑張っていて、故郷を捨てた選択は間違いであったと確信しました。  教員試験を受けて現地で長く教員を続ける事になりました。  子供達は差別意識におびえていました。  向き合うための根拠となる教材が必要になって来ると思いました。   その教材とは事実を直視して、他と比較して、そのものが社会的にどんな役割を果たしていたのかという事を客観的に科学することだと思います。  

古物商のおっちゃんから「君の村にはなくては成らないものが出てきた。  これを君に売ってあげる。 お金は要らない。」と差し出されたのが、恵比寿様の人形でした。     その人形を見て4歳ぐらいの時の記憶が断片的によみがえってきました。  家に持ち帰ったら知らないとか否定されました。  負の遺産となるものを継がせたくないという思いだった。  研究していったら、それは五穀豊穣、無病息災、商売繁盛などを祈って家々を回る徳島独自の伝統芸能でした。   戦争によってその習慣が途切れたこと、後継者たる若者が高度成長期のもと都会に働きに出てしまい後継できなくなってきた。  伝統的な正月の迎え方も変わってきてしまった。   1970年の二人の心中事件がありました。  三番叟芸人の娘さんと別の男性の結婚が反対されて、心中してしまいました。  それが決定的でした。  もう自分の代で終わりだと神棚にしまい込みました。  清祓の力を持っている人たちだったが、死を選択してしまった。  

あるがままを伝えようとして、その結果として若者の胸を張らせられるという事になればと思います。   子供達への受け入れられ方は様々ですが、この芸能が何を果たしていたかという事(福を運ぶ)が自然とわかって来ます。  親たちも反対はしないです。  確実に一歩一歩進んでいます。