菊池真理子(漫画家) ・〔人権インタビュー〕 神様のいる家で愛なく育った
今年10月に出版した『「神様」のいる家で育ちました 〜宗教2世な私たち〜』というノンフィクション漫画が話題となりました。 宗教2世という言葉、特にこの半年多く耳にしてきたのではないかと思いますが、菊池さんも母親が特定の宗教を信仰していて、自身もそれを信じる様親から求められてきた一人です。 漫画では菊池さんと同じように親の影響を受けながら育ったさまざまな宗教の2世達が描かれました。 宗教を信じることそのものは自由で尊重されるべきことである一方で、信仰を持つ親の元でその価値観に違和感を覚えて苦悩する子供もいます。 こうした問題を菊池さんはどう見つめているのか、又作品ににどのような思いを込めたのか、伺いました。
『「神様」のいる家で育ちました 〜宗教2世な私たち〜』というノンフィクション漫画をどうして書こうと思ったかというと、自分でカウンセリングを受けて、自分の生きづらさの中に宗教的なものが入っているんだと気づいたのが一番最初のきっかけで、そこから自分は宗教2世だという自覚が生まれました。 それを友達に話したら、他にもいるよと、何人かと会って、そのうちの一人がイベントスペースをやっている方で、宗教2世のイベントをやりました。 出版社の方が見ていて、「これを漫画にしませんか。」と言われて書き始めたのがスタートです。 注意したことは、完全の子供の味方で書こうと思いました。 親の意見、教団の意見はあえて書かなかったです。 この場面は無表情とか、当人に顔の表情とかはチェックしてもらいました。 体罰のシーンがありますが、母親が子供に体罰をする場面で、自分では激しい表情を描いたのですが、そうではなくて
それぞれの宗教の教えによる差異があるが、宗教2世として持っている生きづらさは凄く共通点があるなと感じたので、いろいろな人の話を聞こうと思って、いろいろな宗教を取り入れることにしました。 共通点は圧倒的に自分で選べなかった、という事です。 生まれた時から生き方を親に決めていたことに対して苦しむ人が多かった。 宗教から離れても世間からも浮いてしまっていた。 狭間で苦しんでいる人が凄く多くて、というのが共通点として多くあります。 宗教を獲得するにしても自分で決めたかった。
両親と妹がいましたが、母だけが宗教を信仰していて、私と妹を一緒に連れて宗教活動をするというような家のなかでした。 早朝3,4時に起きて宗教団体が発行する新聞を配っていました。 学校から戻ってきた時には宗教の行事で家には居なかったです。 夕方ご飯を作って、夕食後に又宗教活動に出てゆくという状態でした。 私と妹は、毎日ではないが、子供だけで夜を過ごす時間が長かったです。 妹と漫画を描いていました。 母に連れていかれる時には宗教の団体でわさわさとしたところに連れていかれました。
今思えば普通に家にいて欲しかったし、話を聞いて欲しかったです。 良いことをすると信仰のお陰だと言われて、悪いことが起きるともうちょっとお経を上げなさいと言われてしまうし、宗教と絡まない話をしたかったです。 学校では宗教のことをあえて話す事はなかったです。 小学校高学年から何となく違和感を感じるようになりました。 教団との人間関係がうまくいかなくなったのか、母が毎日泣くようになりました。 そうすると自分でもストレスを感じるようになってしまいました。 宗教活動では凄く時間を取られていました。 信者も獲得しなければいけないので、いろいろなところに布教活動に行ったりして大変そうでした。
母は交友関係は広かったが、本当に自分の心の底を話す人はいなかったんじゃないかと思っています。 今時点では、母と友達に成れるかどうかわからないがなりたいと思います。 母の死後は、宗教にすがろうとかは全く思わなかったです。 教えは全然抜けなかったが、教えは悪い事ではなかったので抜いたほうがいいとも思わなかったです。 怒ってはいけないという事がありましたが、理不尽なことがあると怒りは湧くわけですが、怒ると自分が悪いという事で自分を罰していましたが、それによって精神が不安定になり、カウンセラーに相談したら、怒りは感じていいんですよと言われて、感じてはいけないと言われていたので凄く吃驚しました。 宗教とは縁を切っていても、教えられたことはおかしいとは思っていなかった。 言われている言葉はそんなに悪い事ではなかった。 切り替えられてはいなかった。 生まれた時からいい人間に成るように言われ続けてきて、良い人間でいられない自分が零点です。 百点に成れなかったから零点になってしまう。 他人に話すという事はなかったです。
カウンセラーのハードルが高かったのですが、これ以上は自分でも危険かなと思ってカウンセラーに行きました。 しゃべれた瞬間に即泣きました。 終わった瞬間に解決できるかもしれないと予感のようなものがありました。
漫画のシーンで、自分は信仰しないけど友達でいることはできると思うので、漫画の彼は一緒に「お清め」はしないけど、やりたいならやればみたいな、でも友達だよとずーっといてくれた人は本当にありがたいと思って、みんなにああいうお友達がいてくれたらいいなと思います。 世間が冷たく怖いほど、より宗教にしかいないような人が増えてしまうのではないかと思います。 宗教2世がすべて苦しんでいますと言いたいわけではなくて、それを子供に強要するという事はちょっと考え直してほしいと思います。 自分が自分の生き方を選択してゆく権利があると思うので、それを人生の初期から奪ってしまうのは違うかなと思います。
元安倍首相の銃撃事件、宗教2世がこういうことをやって、危ない人たちなんだと思われたらどうしようという恐怖心が一番最初でした。 時間が経つにつれて、いろんなことが明るみに出てくる中で、宗教2世への目というのが冷たいんじゃないかと思っていたのが、実はそうでもなくて、同情というか、関心を持ってくれて、事件は最悪でしたが、宗教2世への眼差しは温かいなあと感じます。 宗教2世に関しては、子供の人権問題だと思っていて、自分で自分の人生を生きる権利が侵害されることが一番問題だと思います。 気づいて自分で何とかしていきたいという子たちの支援が足りないことが現実的な問題だと思います。
宗教2世だと言った時に、「ああ、そうなんだ。」と言って仲良くして欲しいだけなんです。 離れておこうという風にならないでほしいだけです。 旧統一教会のようなひどい宗教でなくても、親と一緒に旅行するといつも宗教施設だったとか、それがすごくつらかったが言えなかったというんです。 それを言語化するのは凄く難しいが、漫画でそれが描けていたならば、凄く嬉しいですが。 今一番伝えたいことは、もう一回宗教2世に自分の人生を選ぶ機会をください、ということです。 ちゃんと見てくれる親が欲しかったです。 宗教2世達が被害防止に向けた啓発活動を行う当事者団体宗教2世問題ネットワークを立ち上げました。 同じように苦しむ人たちに参加を求めると同時に、被害防止、法整備に向けた啓発活動を行ってゆくという事です。