高木俊介(精神科医) ・「地域がつなぐ"こころとこころ"」
2004年から京都のクリニックを拠点に在宅訪問医療を始めました。 医師や看護師、精神保健福祉士などとチームを作って、重い症状を抱える精神障害者が地域で生活できるように支援を続けています。 患者の多くは統合失調症という幻覚や妄想が特徴的な精神疾患を抱えています。 差別や偏見のため自宅でなく病院での長期入院を強いられるケースも多い中、高木さんは自宅での生活を優先し、地域との接点を保つことが重要だと考えています。 地域とのつながりを大切にしながら、統合失調症への支援を続ける高木さんに現在に至る歩みを伺いました。
重度の精神障害を持った人に訪問診療を行っています。 福祉と医療を総合したいろんな人のチームで24時間365日の体制でやろうという方法で、アメリカで始まったアクト ((Assertive Community Treatment) - 包括型地域生活支援の別名。精神障害者に対する支援プログラム)、というやり方です。 高木さんは一人の患者に対して医師、看護師のほかに生活に必要な能力を回復させる作業療法士や、社会への自立をサポートする精神保健福祉士らとチームを作ってあたっています。 スタッフがそれぞれの専門性を生かすことで、多彩な支援ができる様にしています。 20人ほどのスタッフで京都市内を中心におよそ150人をケアしています。 医師は薬でなんとかしようとするが、ケースワーカーは経済的なケアをするだけで、医師が薬を出さなくても、幻覚や妄想の世界に行かなくても済む。
在宅訪問医療の人はおおくは統合失調症を抱えています。 統合失調症は100人に1人は発症するといわれています。 周りの人には理解しにくい症状に苦しみ、誰のことも信用できなくなるといわれます。 統合失調症の人は現在80万人いるといわれ、地域の理解や支援を受けられないことで病院での長期入院を余儀なくされる人もいます。
何かわからない世の中、世界に対して何か不信感がある、だから世の中からこもってしまう。 思考のまとまりが悪くなる。 物事を順序だてて考えていったり、冷静に周りのことを認識するという事がすごくしにくくなる。 そのために感情が不安定になります。 そういったことを含めて統合失調症といいます。 薬でその人の症状だけ抑えてしまうと、周りはこれでよかった、薬を飲んでさえいればいいんだと思うと、背後にある問題や、その人の人生の生きずらさとかをほったらかしにされてしまうから、その人にとっては余計苦しいです。 統合失調症の症状は一人一人違って、穏やかな時には周りから脅かされずに安心していられるところで、自分がこれをしたいといった時にすっと受け入れてくれる人が周りにいる、そういう安心感を得ているとき、統合失調症の人がよくなっているときだと思います。
1957年 広島県因島で生まれ、医師だった父が開業することになり、一家は岡山に移ります。 1977年京都大学医学部に進学、1984年精神医療を問う衝撃的な事件が起きます。宇都宮市の900床ある大きな精神病院で看護職員の暴行によって2人の患者が死亡した「宇都宮病院事件」です。 病院内での日常的な暴力や患者を強制的に働かせていた事実も明らかになる。 国際的にも大きな批判を浴びました。
それまでにも小さな事件は一杯あったが表ざたにならなかった。 高度成長期、都会に人が集中し、精神障害者の病院への隔離、収容が国策として進められ、病床数は増加の一途をたどる。 産業構造が変わって地方の労働力を都会に集めなければいけない。 精神障害者は病院が必要だという事で、精神病院がどんどん建てられ、それまでは1万、2万のベッドだったが、35万ベッドになる。
「宇都宮病院事件」で衝撃を受けて大阪の病院に勤務する。 患者さんを開放しようという動きが全国にようやく広まったころでした。 精神障害者の人権を守ろうと活動している病院があり、そこの病院に就職しました。 精神医療改革をやらなければ駄目じゃないかと思いました。 開放的な病院だと思ったが鍵のかかった病棟はたくさんありました。 狭い部屋にベッドが並んでいて臭いにおいもしていました。 ベッドがあるのはましなほうで、おおくは畳部屋で10人以上の人が雑魚寝している。 超過入院と言って病床の120%入れているのが当たり前だった。
患者がけんかをして頭にけがをして、被害者、加害者の双方の家族が来るわけですが、言い出したのが「先生、このことは公にはしませんから、お願いですから病院から追い出さないでください」という言葉でした。 何が起ころうが捨てられた人たちなんだと思いました。 6年目に超過入院もなくなりプライバシーが守れるような病室になりました。 そうすると見事に暴力沙汰がしょっちゅうあったのがなくなりました。 荒れた状況は環境のせいだとわかりました。
往診に行って患者さんを連れてくるわけです。 入院のための往診はたくさんしました。 入院して治療をすることは良いことだと思っていたから。 患者さんをこちらの思いだけで引っ張ってきて、治療して薬を飲ませていたら、患者さんはよくなって、家族からも地域の保健士さんたちからもお礼を言われるわけです。 うずくまっていたりするような人を自分は一杯作ってしまったなあと或る時思いました。 病院という力を利用して個人にバイオレンスしていたんだなあと思いました。
1993年日本の精神医療に大きな転機が訪れます。 精神分裂病は差別的として、精神障害の家族会が病名の変更を要請します。 私もこの運動に参加しました。 病気の苦しみと病名の苦しみの二重の苦しみを負っている。 2002年精神分裂病は統合失調症に変更されることになる。 精神の働きによって物事を統合して判断などをしているが、統合が何らかの原因で崩れてしまって今目の前にあるものが何なんだと、どうまとめ上げていいかわからない、自分の経験の中にないものになってしまう。 それを何とか言葉でまとめ上げようとすると妄想になったり、何か世界が大変なことになっていると思ったりする。 統合失調症はずーっとそうではないから、元に戻るんです。 崩れる時と崩れない時もある。
2004年統合失調症の在宅医療を始めました。 入院させるのではなく自宅での生活を続けながら、地域が支えてゆく仕組みを作りたいと考えました。 多彩な支援ができるように医師、看護師だけでなく精神保健福祉士などの人を集めました。 患者さんとの信頼関係を築くことを大切にしています。 一人一人に合った寄り添い方で患者さんが心を開くきっかけをいろいろ探しています。
暮らしなれたところで馴染んだ人たちが周りにいるなかで、自分が安心できる生き方を見つけてゆく、幻覚や妄想があってもそれに付き合いながら、現実を見ていけるような生活を探していけるという事だと思います。 人間は生活する中でいろいろな苦労が、生きているという事に繋がってゆくわけです。 苦労が無かったら生きている感じもない。 日本の精神医療の体制は家族への苦労を強いてきたと思います。 家族もSOSを持っていて家族への支援も重要になってきます。 病院はそこまでのことはできない。 地域がかかわる必要が出てくる、アクトが同時に支援してもいいし、家族を支援できるような組織、人達を家族のもとに私たちが引っ張ってきてもいいと思います。
今回の案内役の釈 徹宗(しゃく てっしゅう)さんが目指すのは認知症の人も地域の中で、ともに暮らせるような施設です。
偶然の力を集めて、その偶然の力がどっかで楽にする、それをぼくらは引き寄せることを仕事にしている。 様々な出会いや関わり合いから生まれる偶然の力、この偶然の力を高木さんは母親の看取りから実感したといいます。
母も認知症で、気位の高い人でした。 癌になって最後を看取る時に、最後まで機嫌がよくてニコニコしていて、僕としては死に目に会わないことも覚悟はしていました。 周りからはもうすぐ息子さんが来るから頑張ってと言って、僕が来たら息を引き取りました。 まわりからは「息子さんの顔を見て安心して逝かれました。」という風でした。 それは本当に偶然なのか考えるわけですが、その場の力が母親を生かしてきたんじゃなかと思いました。 僕が来たとたんに周りの人たちが安心してしまって、命を支えていた力みたいなものがふっと緩んだんでしょうね。 母もそれで緩んでふっと逝ったんでしょう。 偶然は起きるんですよ、いい結果をもたらす偶然は奇跡といっていいと思うんです。 偶然を集めたとことで縁を作って、縁によってよりよく結果をもたらす、そういう力を溜めていきたいです。