井筒和幸(映画監督) ・寄る辺なき世界を生き抜け
井筒監督8年ぶりの新作「無頼」が12月に公開されます。 荒くれた抒情と差別されたものへの優しいまなざし、アクションのみならず笑いと涙で重いテーマもエンターテイメントとして仕上げる職人技の持ち主です。 映画好きだった少年時代からその起伏にとんだ映画人生をたどって映画と若者たちへの思いを語ってもらいます。
僕らの世代は仁侠映画と言われる手のものを浴びるように見て、麻疹に掛かったように感じるものが多くて、いわゆるやくざ者はジャンルとしてあったが撮らなかったが、「無頼」は『二代目はクリスチャン』、『ゲロッパ! GET UP!』といったものの僕にとっての集大成というか、延長上のものですね。
「仁義なき戦い」のシリーズの中にあるいろんな有名なセリフが毎日のように浮かんでくるような映画人生でした。 「ゴットファーザー」は凄く感染された時代ですね。
フランシス・フォード・コッポラ監督はこの映画はマフィア映画と言われているけれども実は資本主義についての映画なんだといいました。 僕も戦後の資本主義を描こうと頭にこびりついてからじーと時間が経っていて、テーマの奥底にはそれがあるというか、最低辺の人間から見た欲望と共にある資本主義を彼らが体現してゆくという、時代を振り返れば政治家、庶民、学者も資本主義の中で金儲けとは何ぞやという事で生きてきたわけですから、同じことをしてきたわけで、アウトローたちからの目線で描けばどうなのかなという事はコッポラ監督から教わったことです。父親によく映画に連れて行ってもらったのが最初ですね。 小学校6年生のころ陸軍の残虐な映画だとかいきなり連れていかれとても怖かったです。 中学では一人でもみるようになりました。 「夕日のガンマン」、「卒業」「俺たちに明日はない」「猿の惑星」スティーブ”・マックイーンの映画など見ました。
奈良県立奈良高等学校では映画研究部に入って、「猿の惑星」など見てショックを受けました。 進学校でしたが、映画ばかり見ていました。 文化祭で一辺倒な学校体制を皮肉れるものは無いかと、8mm映画を作って出そうとしたら、先生から制止されそうになって教室を使ってやったら満杯でした。 賛否両論がありました。
大学には行かずにぶらぶらしていて、バイトをしながら映画を観ていました。
「ゴットファーザー」、「仁義なき戦い」などを見ていました。 監督の舞台挨拶があって、映画って監督が作るものだなと思いました。
そこからよし自分でも映画監督として映画を作ろうと思いました。
1975年 22歳で映画監督として、『ゆけゆけマイトガイ 性春の悶々』がデビュー作となりました。
「青春の門」に対して青春はもっと悶々としたものではないかと思って描きました。 三上寛さんを主演に選びました。
東京の週刊誌が取り上げてくれて、次もやろうと思いました。
山本晋也監督についてレンズの選び方から、アップショット、ロングショット、ミドルショットとかいろいろ基本的なことを習いました。
『ガキ帝国』昭和40年代前半の大阪を舞台にした不良少年たちを描いた作品です。 リュウ:島田紳助 で典型的な暴れん坊の役でした。
『みゆき』は、原作があだち充さんによる日本の漫画です。
考えがまとまらない日々が続いて、女子医大に行ったら精神病だと言われてしまいました。
プロデューサーに見せたら及第点だと言われてスーッと病が飛んで行きました。
『晴れ、ときどき殺人』『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS』『のど自慢』『ビッグ・ショー! ハワイに唄えば』という風に幅を広げてゆく。
『ゲロッパ! GET UP!』『パッチギ!』(「パッチギ」は朝鮮語(韓国語)で「突き破る、乗り越える」ならびに「頭突き」の意。)・・・京都における日本人の少年と在日コリアンの少女との間に芽生える恋を中心とした青春映画。
『パッチギ!』はキネマ旬報ベストテン1位、毎日映画コンクール最優秀作品賞、ブルーリボン賞作品賞を受賞。
映画製作はコロナ禍で春ごろにはやろうと思って準備しているところです。
いじめなんて嫌な世界ですね、昔はいじめなんてそんなになかったですね。
自分しか見なくなり、違和感のある者がいると排除するような動きになると思う。
人間はいじめに遇うという事を、そうではなかったようなのに思い出してしまったような気がします。 豊かな社会になったといわれているが、実はこんな不幸な社会はないと思います。
いい先輩を探して持って、いい芸術に触れてほしい。
それが自分よがりにならないことだと思います。
自分はしょせん孤独なんだという事を噛みしめて、もっともっと他者と接してゆくことだと思います。