市原美穂(NPOホームホスピス宮崎理事長) ・看取りの文化を地域に
NPOが運営しているのは重い病気や認知症などを抱えた人々のついのすみかとなることを指して作られた「かあさんの家」という施設です。
人生の最後に行き場を失った人や家で介護しきれず追いつめられる家族の思いを受け、その人が望む日常を丁寧に暮らしていける様サポートしています。
その先には最後の日をみんなで迎える地域でも看取りがあると言います。
老いの暮らしから看取りまでを支える地域コミュニティーの大切さを伺います。
一番最初 、開いた時は癌で高齢の方が多かったんですが、この頃は医療依存度が高い人、介護度も重い方が増えています。
認知症の方もコミュニケーションが取れない様な方が多いです。
寝たきりというわけではないです。
入居者5名が一つのグループ、普通の民家を使っているので、5人しか入れなかった、2人昼間はヘルパーが来て、夜は夜勤でヘルパーが一人来て、5~6人が二交代制でスタッフが24時間サポートしています。
高齢者にとって生活の機能が阻害する要因に空間、環境が大きいです、それがストレスになって混乱したりうろうろすると言う、問題行動があります。
「かあさんの家」に来ると、自分の家と殆ど変わらない環境ですが、自分のテリトリーだけではない。
認知症で幻覚がでる方がいますが、施設の中で夜中じゅう騒いで動きまわった方がいて、家では見られませんという方でした。
85歳ぐらいのその方をお受けした時に、家では座敷に布団を敷いていたと言う事でベッドではなく布団にしました。
スタッフを臨時に付けて、1週間経ったら落ちつかれました。(ここは自分の家だと言う居場所を感じたんだと思います)
家には椅子があると言う事で、椅子を置いたら日中ずーっと座ってにこにこ過ごす様になりました。
胃瘻(いろう)の方、入居した方で5人の胃瘻(いろう)を外せましたが外せない方もいました。
ちょっと食べられなくなった人に胃瘻(いろう)を着けっぱなしにすると、食べられなくなる喉になってしまうので、なるべく早く外すと言う事をします。
しゃべったり歌ったりするようにして、安全に食べられるように工夫しながらやっていきます。
五感を働かせるので、食べることは、脳も活性化するのではないかと思います。
食べることは、生きる意欲を取り戻せると思います。
家族は親には出来るだけ生きていてほしいが、本人は体重が落ちていって、言葉が少なくなったりしてきたときに、家族は心配になるが、私たちも一緒に揺れ動き寄り添う訳です。
私が言うことは、どなたも皆さん限界、到着点があります、と言います、でもそれは順番であり娘さんより早い、到着点までをどうお母さんに過ごしてもらうかが大事だと話します。
到着点があると言う事を考えたことが無いと言う方が結構います。
入居されてしばらくすると皆さん元気になられます。
もうちょっとここで生きていてもいいかなと思うのかと思います。
最終的には家族も本人もそうですが、どこかで覚悟をされます、そうすると納得ができると思います。
その方が生きてきた様に、その人の人生の考え方、行動の処し方と関連してくるような気がします。
生そのものが自分の思い通りにならない、誕生、生きていること。
今生きていることが意味ある様にする手助けはいっぱいある様な気がする。
命も、あの人こんなふうにして生きて逝かれたね、という事をどれだけ周りの人の心の中に生き続けて行くかなと思うんです。
最後の時はとても残された家族にとっては大事なんです。
家族が納得するには、多分本人が納得させるんです。
「順番なんですね」と娘さんがお母さんの横で寄り添って言いましたが、娘さんが親の息使いと一緒に呼吸をしていて、これがもしかしたら寄り添う事なのかなあと、その時思いました。
娘さんはお母さんの息使いを聞きながら納得して逝ったんだと思いますが、それはお母さんが多分伝えたんだと思います。(人が人を送ることなんだと思います)
そこに至るまでにはいろんなプロセスがある。
口があかないとか、少しづつ弱ってゆく、人が生まれて亡くなってゆく人間としてのプログラムされている事なんではないかと思っていますが、そうなってゆくと息使いなども静かなんです、それを横で見ている家族がこういう事なんだと言う事が判っていく。
子供達が臨終の場から離されているが、小さいからこそ、老いて亡くなってゆくという事を体験すると言うことはとても大きい様な気がします。
幼稚園の子がいて、「今からおじいちゃんは空に昇ってゆくから、御見送りしよう」と言ったら、「どうしてゆくの?」と聞いたので、お爺さんのところへつれていってたら、「じいじいバイバイ」と言っておでこをさすって部屋を出ていったんです。
そのことは後で絶対残っていて、悲しみの雰囲気を経験することは凄く大きなことだと思います。
バーチャルの世界では生き返ってくるが、一度死んだら生き返ってこない、だから今を大事に生きていかなければいけないと言う様なことが、生活の中から看取りが消えてしまいましたね。
病院の看取りと家族での看取りは質が違うと思う。
病院ではモニターに心臓が止まって、一本線になったら御臨終ですと言う事になりますが、家族の思いが一杯その時出てくる、家族の思いはモニターには映らない。
亡くなっても体温の温かさを感じることになるし、亡くなった後の1時間位が家族にとって一番大事な時間だと思います、本当に顔が綺麗になります。
一人一人、生きてきた人生が違う様に亡くなり方もいろいろです。
誰か傍にいてほしい人はいると思う。
人には群れるという本能がある様な気がします。
繋がりをしっかり作っておくことは必要です。
活動の原動力、みんなでこの活動はあるわけで、強いて言うならば、父を看取った時の事かもわからないです。
父は手術後ICUの中で亡くなりました。
母は傍にはいられなくて凄く悔いて、母まで逝ってしまうのではないと言うぐらい落ちこんでしまいました。
医療の有り様、後に残されたひとが生きてゆく力もなくなってしまうような医療は違うのではないかと思った経験があります。
付き添って世話をしていると、納得して最後にはみんな「有難う」といって、声を掛けてくれます。
そうやって見送られた人はきっと、有難うと思っていると思います。
母は3年ぐらいどこにも行きませんでした。
最後にお父さんは何か云いたかったのではないかと、繰り返し言っていました。
そういう訳で母は「かあさんの家」で看取りました。
タオルをサッと出してくれたり、お茶を出してくれたり、その時にこんなに有難い事だと家族として思いました。
人が亡くなるということは色んな事がいっぱい有ります、宝ものも一杯下さいます。
死を思うと言うことは、今を生きるという事を大事に思うと言う事になると思うんです。
人は老いる、人はいずれ亡くなると言う事を判っていながらそのことを考えないで、多くの人は来ていると思います。