香月修(作曲家) 和の心でオペラを作る
新国立劇場開場 15年の節目に創作オペラ「夜叉が池」が完成し、今月25日からの講演に向けて連日稽古が行われています
このオペラは明治時代の作家 泉鏡花がちょうど100年前に書いた原作をもとにしたものです
香月さんは35年以上前に出会って、作曲の機会を狙っていましたが、今回念願がかなって自身の2作目のオペラとして完成しました
作曲の狙いは日本の美しい旋律で物語を描くことで、このオペラを見た後は、だれでも口ずさめる歌を目指したという事です
オペラに対する考え方は作曲者に取っていろいろ違うと思いますが、オペラは歌と音楽と言うものがあるのでそれを中心に舞台を作ろうと思います
演劇的な要素と音楽とのバランスですよね 演劇が主体になっているオペラが多いといわれているので、私は歌、音楽でこのオペラを作りたいとの考えが、基本的にあるので、多分そうなっていると思う
オペラのある部分だけをコンサートとして、取り出して歌える
そういうものがたくさんあるようなオペラ、そういうイメージを持って作曲した
1913年に出来た作品 思いがけずに吃驚している
もう一回作りたいとの想いがあって、良い題材を探していたときにたまたまこの泉鏡花の作品をいろいろ知ることになって、私はこれが一番向いていると、直感的に思ったものですから、その時からこれをオペラにしたいとずーっと思っていた
越前 三国ヶ岳に伝わっている伝説を基にしたもの 言われているが
概要 あきらさんが日本全国にいろんな伝説があるわけですが、それに興味を持っている人で、探すために旅行していて、夜叉が池の 鐘つきのおじいさんのところにとめてもらった時に、ちょうどその四つに発作を起こして、死んでしまう 龍神との約束があって、日に3回突かないと、洪水になって、村の人の命は全部奪われてしまうと、言う事で誰か鐘をついてくれと言う事であきらさんが鐘をつくことになる
なぜそうなったかと言うと、百合さんと言う素晴らしい女性がいて、その人に惹かれて、妻にして一緒に住んでいる 親友が探して、あきらさんが住んでいるところに来た 再開する
百合さんは来たことを知って故郷に帰ってしまうのではないかと気をもむ
村が雨が降らなくて、村人が苦しむ状況だった 村で一番美しい人をいけにえにすることで雨を降らせるという迷信を信じて、とんでもないことをしようとする
あきらは抵抗する 村の人たちと争いになるが、百合さんはどうしようもなくなって自分で命を落としてしまう あきらも絶望して後をついで死んでしまう
鐘を突く約束が崩れてしまう 村全体が流されて、みんな死んでしまう
2人は浄化された世界で永遠の愛を誓う、と言うところで終る
台本がオペラを作るときに如何に大事かを考えているので、良いオペラが作れないと思うので、台本作りには凄く気を使った セリフが沢山あるので音楽が長くなってしまうので、それを基本的にはカット、大事なセリフは残す
或るところでは舞台が停止してしまうので、タイムスリップの技術を使ったりした
台本に合う音楽を作曲した 一番良い形で台本ができたと思う
深刻な場面が延々と続くと、お客さんも見ていてつらいので面白い場面も(非現実社会) コミカルな場面も作れた
台本作りは楽しかった 作曲は辛かったが
一番つらかったのはある場面ができ上って、下書きをして清書する 清書が全部終わってしまうと先が全くない状態になる お先真っ白になってしまって、その時が一番つらい
清書を遅くらしてもらいながら、次の下書きをして、ずらしながら、やってきた(止まってしまうのが怖い)
そういった事が2年間続いた
あきら役 望月哲也 百合役 幸田浩子 「水は美しい」
ヨーロッパでは長調、短調とかあるが、その前は旋法と言うものがあり、日本の民謡とか、童歌にちょっと共通するものがある 旋法に凄くひかれる
今回の物は、日本的な音楽になっている
生まれ育った風土は、知らぬうちに何か身体の中に入ってきていると思う
この作品に惹かれた理由 百合と白雪 (二人の女性)
あきら と友人の学円 村人を引っ張ってゆく代議士、鉱蔵(悪役 アクセントになる人間)
いろんな要素がある (これは絶対オペラになるとずーっと思っていた)
「夕鶴」にも子供たちが出てくるが、こちらにも出てきているが、和やかな雰囲気があり、重要な要素になる
歌の楽しさ、歌手に気持ちよく歌ってもらいたいと思っている
これからの日本のオペラの進むべき道? 演劇の要素の方がパーセンテージが多い
歌の場面が判って期待しているような歌の場面ができればと思っている
一番うれしいのは私の全く知らない人が、知らないところで演奏してくれること
曲は演奏すると育つ 自分の作ったのだが、自分の物では無くなってくる
曲が自立してゆく(子供のように成長してゆく 独り歩きを始める)