2013年6月2日日曜日

大竹史郎(シンガーソングライター)    ・南米フォルクローレ・ギターに魅せられて

大竹史郎(シンガーソングライター)   ・南米フォルクローレ・ギターに魅せられて
東京都出身 単身ニューヨークに渡って、25年 ニューヨークに住んで、南米アルゼンチンを中心としたフォルクローレ・ギターのシンガーソングライターとして、ファンが多く活躍しています
5月25日に東京表参道の能舞台でのコンサートの為に、日本に滞在中の大竹さんにこれまでの
人生を伺いました

5月7日に日本に帰国 8日にアルゼンチン大使館でミニコンサートを行った
日本の「ユパンキ」 と言われている ユパンキは亡くなって20年経つ 
スペインと先住民との血を受ける 父は先住民系 母はスペイン系 
ユパンキ の大図鑑のような本がアルゼンチンで出た その中に4人 直系の弟子として考慮されるような文があるが、その4人にアルゼンチンから2人、ブラジルから1人、日本人から私が選ばれた
ユパンキのまねをしてギターを弾いているだけでなく、彼の音楽を自分が日本人なので、日本人の魂とか心になんとかそれを融合させて、自身の音楽を作ろうと、その自分の音楽の中からユパンキが見えてくれば、精神性が反映できればと、そういう考えでいます

ユパンキとは違うスタイルでありながら、各々の個性を出して、それをさらにユパンキの精神性を反映させるというアーティストが4人直系の弟子として認められる
コピーとかまねでなくて、自分の中に融合させて、それに自分の音楽を磨いてゆくと考え方でいるので選ばれたのは嬉しい
ニューヨークにいると刺激に敏感になる 歩いているだけで、地面の下からゴンゴンゴンと鼓動が伝わってくるような感覚 音楽を作るのはいつもニューヨークです
街自体が移民を受け入れて、発展してきた街なので、独特な力強さ、独特なエモーションがあるし、エネルギーがある

25年ニューヨークにいるが、あの街を一言で言うならば、みんなの故郷になり得る街、そういう印象を持ちます
最近バッハの音楽を南米の調べに取り入れているが、「アルゼンチン風バッハ」 なんて言う風に名を打っているが、ユパンキの文学 (ユパンキは音楽家だけでなく素晴らしい詩を書いた) その詩を私がバッハの音楽を演奏する バッハの音楽にあわして詩を朗読してもらう
ジュリヤードという音楽学校があって、知り合いがピアノで講座を持つというので、参加した
そこで彼女がバッハの名曲中の名曲と言われた無伴奏バイオリン パルティータ 第二番シャコンヌ
シャコンヌのリズムがもともと中米のマヤにルーツを持つという、そういう話をして、それが今の自分を支えているぐらい、凄いインスピレーションを受けました

ユパンキもやはりバッハが好きで、自分の好きなバッハのシャコンヌがマヤ文明のルーツを持つという事で、これは自分がバッハを演奏する大義名分を得たような気がした
マヤ文明はスペインが滅ぼしたわけですが、スペイン軍がマヤの土着の踊りであったシャコンナをヨーロッパに持ち帰ってそれが爆発的にはやった
これは自論ですが、もしかするとこれをバッハが踊りを見て、聞いて、これはとても面白いなあと思って作ったんじゃないかと思う バッハは子供のころペルーの歴史に興味を持って研究していたと本に記載されている

バッハの宇宙的エネルギーというかエモーションはラテンアメリカにも少しはそのルーツがあるのではないかと自論を立ち上げて、「アルゼンチン風バッハ」と言うものをやりだした
「アルゼンチン風バッハ」を2度ほど東京でリサイタルした
ニューヨークへはダンスを勉強しようとして出かけた 大家のところで踊りの練習をしていた 或る日ギターが一本置いてあって、懐かしいなあと弾きだした 「ユパンキの栗毛の馬」という曲が出てきた  そうしたら大家のおじさんが顔色変えて出てきた  
「おーいなんでその曲を知っているんだ」と怒鳴った  私はアルゼンチン出身でユパンキの大ファンだと大家が言う   ユパンキに子供のようにかわいがられたギター奏者の友達がいて、彼が聞いたら感激するから、彼を家に呼ぶから彼と話してくれと言われる 

彼はエドワルドという名前 これは驚いたという これはまるでユパンキと同じ音だと言って アルゼンチンに行ってあってこいと言われる(ダンスではそこそこやっていてようやく面白くなってきた時期で3か月後ぐらい)  
「ギジェルマおばさんにささげる歌」も好きだといった  エドワルドがニコっとした
ギジェルマおばさんは私のおばあさんだよという 吃驚した(ニューヨークでないと起こらない出会い)
行った方がいいのではないかと思った 天命に近いものではないかと思った
ユパンキは別荘を持っていて、風光明美なところ そこに呼んでくれた
ユパンキが来る前に、バーの様なところで飲んで、若い男性、特に若い女性が多くいる、歌を歌えて、ギターができて、踊りも踊れるという事でアイドルみたいになってしまった 
夜中に一段落してスペイン語講座が始まるが 綺麗な女性が10人ぐらい周りにいてスペイン語を教えてくれる(まるで竜宮城のような感じだった)
その後ユパンキにあって、歌ったり、演奏したりした

ユパンキはちょっとがっかりしたらしい(踊りで来ていたのでギターはあまりやっていなかったので)
でもちゃんとクラッシックギターを勉強しているなあと思ったらしく、一曲クラシックを弾いてほしいといわれて、バッハの曲を一曲弾いた  そうしたらユパンキが、バーっと身をのりだして聞いていた
凄い良いと感動する 俺のギターの曲を何か弾けないかと言われる
「恋するハトの踊り」を弾く  と違いを指摘してギターを持ちだして、教え始めてくれた
村の川のせせらぎ、風の音、小鳥のさえずり、と音が同化した
13歳の時に聞いたユパンキの音とタイムスリップして、感動がワーッときた
いまこの巨匠が出してくれた音を追い求めることができるならば、一生追い求めても、悔いはないのではないかと、直感した  この村で自分の人生は180度転換した

ユパンキが書いた詩に「広島 忘れ得ぬ街」 がある  その詩を私が見て、本当に感激した
それに曲を付けた 自然にメロディーが直ぐに湧いてきた(演奏許可をもらった)
1992年に広島に迎えられて、そこで披露した  10分近くある(朗読ふう)
今回、能舞台でコンサートがある 一番期待しているのは、様式美なんです 
能舞台は日本の伝統芸能の中で最も様式美にみちたアート  能舞台が持つスタイリッシュと音楽にあるスタイリッシュは パフォーマーとしてのスタイリッシュは面白いものになるのではないかと思う
「はるか遠方より来る語りべ」である自分が一体、どんな形で融合するのか、楽しみです
子供たちの指導にも力を入れているが、アメリカの子供たちは目が輝いている(すぐ反応する)
日本に来て、今日ここまで歩いてきたが、肩で風を切っている奴はほとんど見ない
ニューヨークでは肩で風を切って歩いている奴が多い 見ていて気持ちがいい