2026年2月2日月曜日

鈴木俊貴(東京大学・動物言語学分野 准教授)・「動物たちも“言語”を使い話す!」

 鈴木俊貴(東京大学先端科学技術研究センター・動物言語学分野 准教授)・「動物たちも“言語”を使い話す!」

鈴木俊貴さん(42歳)は日本における動物言語学のパイオニアです。 高校生の時に野鳥の観察にはまって、大学時代に軽井沢の探鳥林でコガラが、ある特定な鳴き声で餌のあるところに集まっている姿と出会いました。 その後東大大学院に進み、林に巣箱を設置して行動と鳴き声を分析、シジュウカラの鳥もいくつか突き止めました。  さらに鈴木さんはシジュウカラが言葉を繋げて、いわば文章を伝えることも発見、鈴木さんはスウェーデンで開かれた国際行動生態学会で基調講演を行い世界から高い評価を得ました。  鈴木さんは研究の裏話をまとめた「僕には鳥の言葉がわかる」と題した本を執筆、全国の書店員が選ぶ2025年ノンフィクション大賞に選ばれました。  そして今、多くの動物たちが言語を持つ可能性を研究する動言語学を提唱しています。 鈴木さんに鳥の言葉発見の課程と、様々な工夫、そして動物言語学への夢などの話を伺いました。

「僕には鳥の言葉がわかる」の本の最初に企画を頂いたのは2018年5月でした。  実際に書き始めたのは2024年春でした。  2025年1月に出版しました。  小さいころから生き物の観察が大好きでした。  1歳5か月で公園で虫取りをしている写真がありました。  生まれは東京ですが、茨木に引っ越して自然豊かなところで育ったのが、僕にとって大きな経験になりました。  コガネグモ(大型の蜘蛛)の巣にカブトムシが引っかかって食べられてしまったことを観察しました。 図鑑にはカブトムシは森の王者と書いてあったが、喰われていて、図鑑に書き加えたらいいと母から言われました。 以後気付いたことを図鑑に書き込むようになりました。  

鳥の観察をしたくて、小遣いをコツコツ貯めてようやく双眼鏡を買えたのが高校生のころでした。  バードウオッチングにどんどんはまっていきました。  小学生の時には動物学者になりたいと思っていましたが、高校生3年になると大学に行って鳥の研究をやりたいと思いました。  長谷川博先生はアホウドリを絶滅の危機から救った人です。 その先生に憧れて東邦大学理学部生物学科入学しました。  大学3年生時の卒業論文のテーマを探しに軽井沢を訪れ、シジュウカラに出会いました。  どこにでもいる鳥ですが、鳴き声などは誰も研究してこなかった。  

シジュウカラの縄張りを主張する声(春)、餌を見つけた声(周りからシジュウカラが集まって来る)、警戒しろと言う声。 観察すると言葉になっているのではないかと思いました。  シジュウカラ、コガラの種を越えて会話しているのではないかと、観察してそう思いました。  それまでの研究者は人間だけが言葉を持っていると信じて来た。 動物行動学を立ち上げたコンラート・ローレンス『ソロモンの指環 動物行動学入門』の本のなかで、「鳥の鳴き声は遺伝的にプログラムされた感情を表す発声に過ぎない。」と書いている。

シジュウカラが敵を見つけた時に、鷹と蛇では鳴き声が違う。  周りのシジュウカラの行動も鷹の声の時には空を見て、蛇の場合は地面を見る。  感情の表れではなくて言葉になっている。 シジュウカラは言葉を組み合わせて文章迄作ることが出来る。  警戒しろと言う鳴き声と集まれと言う鳴き声の組み合わせた声がある。  シジュウカラに取っては危険な天敵のモズも集まって追い払う事が出来る。  組み合わせを逆にして、「集まれ」「警戒しろ」と聞かせてみると、集まってこない。  語順に従って理解していることが判る。 現在判っている動物の中では、人間以外で唯一、文法を操る力を持っている。  証明するのに時間が掛かりました。  

蛇と言う言葉に気付いたのが2008年でしたが、それがちゃんと蛇と言う概念に繋がる言葉であると結論付けることが出来たのが2018年でした。  鳴き声の組み合わせに気付いたのが2007年でしたが、文法であると結論付けたのが、2020年でした。

蛇、本土テン、カラスなどが天敵ですが、それのはく製とか生きているものを見せて、蛇の時の鳴き声とかを確かめていきます。 どのシジュウカラもそう鳴くのかを調べるためには、沢山のシジュウカラを対象にして鳴き声の解析をする。 蛇に対する警戒の声を聞いた時に、シジュウカラが頭にちゃんと蛇をイメージして、蛇を捜すような行動をしていたのかどうか、それを調べるのが相当大変でした。  

見間違いを使った実験を考えました。  シジュウカラが蛇という言葉をイメージしていれば、蛇に見間違えたりしないだろうか、という実験をしました。  「ジャージャー」と言う蛇の言葉の鳴き声を聞かせながら、木の枝に紐をつけて蛇に似せて動かすと、確認するために近づいてくる。 蛇の動きとは違って大きく動かしたりすると、近づいてこない。  蛇に対して見間違えが起きている。  人間以外で単語の証明が出来た初めてのものです。 今は動物言語学という事で世界に提唱しています。  

世界の方が注目して、2022年には国際行動生態学会で最新の研究成果を発表するんですが、そこでトリ(基調講演)を務めました。  言葉は人間だけという事を覆す研究発表に対して、みんなが声をかけてくれました。 世界中で動物言語学の認識が高まりました。  動物研究者の研究対象の動物についての言葉の研究を始めました。  チンパンジー、ボノボなどは鳴き声を組み合わせて言葉を文章にする力があるのではないかと発表した論文が出て来ています。 

昨年12月にイギリスで国際動物行動研究協会から表彰されました。(年に一人が表彰される。 世界的な大御所が表彰されている。)   日本でも東大でいろいろなテーマをもって進めています。 いま スペイン、スウェーデンに巣箱をかけて、鳴き声を調べていますが、シジュウカラの日本語とスペイン、スウェーデン語が違って、場所が違うと響きが違う。 ひょっとしたら語彙も違うかもしれないので今調べているところです。 天敵が違うので鳴き声も違うのかもしれない。  今興味を持っているのが、どうやって言葉を習得するのかという事です。  場所の違いによる比較もしていきたい。 














2026年2月1日日曜日

ビリー諸川(ロカビリー歌手)        ・ステージ4でも、ロックンロールでネバー・ギブアップ!

ビリー諸川(ロカビリー歌手)  ・ステージ4でも、ロックンロールでネバー・ギブアップ!

 ビリー諸川さんは1957年東京都出身。 高校生の時に出会ったエルヴィス・プレスリーの音楽やファッション、生き方などすべてに衝撃を受け、以来生涯ロカビリー&エルヴィスを座右の銘としています。 

25年毎月一回店に出て歌っています。 ステージ4のがんです。 抗がん剤を13回打っていて、副作用で指先がしびれたり痛くてギターを弾く時に、コードを押さえられなくて、唯一動くのが、左手の人差し指なんです。 

全日本ロカビリー普及委員会会長の肩書になっています。 座右の銘が「生涯ロカビリー&エルビス」  1972年中学3年生の時に、テレビで映画「フロリダ万歳」と言う映画を見て、エルヴィスにすっかりはまってしまいました。   将来エルヴィス・ピレスリーになろうと決めました。  53年間一心不乱にエルヴィス、ロカビリーを追い続けてきました。 

予備校に通っていて目標が定まらない日々を送っていたある日、呆れて見兼ねた兄(東大生だった)からビンタされ、毎年3000人も誕生する東大生と、100年に一人誕生するかしないかのプレスリーのような歌手、どちらに一度きりの人生を賭けるべきなのか、もう一度、その頭で良く考えてみろと問われたことにより目覚め、エルヴィスの道を選ぶこととなった。 翌日からエルヴィスの英語の歌をちゃんと歌うために、アテネ・フランセと言う英会話の学校に行きました。 シャネルズというドゥーワップ・グループのバンドリーダーの吉田憲右と知り合って、人前で歌うきっかけになりました。  カントリー歌手のジミー時田さんの元へ弟子入りに行きました。(1977年10月 エルヴィスは同年8月に亡くなる。)  

50年以上エルヴィスを研究してくると、彼の人間性と誠実さ、純粋さ、人間はこうあるべきだというお手本みたいな、人間性に最終的には惹かれています。  アメリカ南部の素朴な青年のまま、その心を持ったままスーパースターになって行ったところが魅力なんです。   ジミー時田さんのところへカセットテープを持っていったら全部聞き終わらずに、「帰りなさい、他の仕事を捜した方がいい。」と言われました。 反骨精神が湧いてきて、カセットボード、ギターをもってジミー時田さんが行く新宿のウィッシュボンの前で2時間半から3時間前にいってずっと立って待っていました。(毎週)   12月の或る日にカセットテープを聞くこともなく、「負けた。」と言われました。  外弟子として、ウィッシュボンで働けと言われました。 (カントリーの勉強)  1曲だけ歌わせてもらって嬉しかったです。(20歳)

1987年(12年)に音楽評論家の湯川れい子さんに同年制作した自費レコード(当時32万円かかる)をポストに入れておいたら、湯川さんから電話がかかって来て、センセーショナルなことをやりましょうと言われて、私がプロデュースするから、アメリカに行ってエルヴィスがレコーディングしたサンスタジオで、エルヴィスのメンバーと一緒にレコーディングしましょうと言われました。  ジェームス・バートンに自分のロカビリーを作りなさいと、言われました。 テレビ、ラジオなどにも出るようになりました。  

1994年にエルヴィスの夢を見て、その内容が面白くて書いているうちに原稿用が400枚近くになてしまいました。  ぼくはプレスリーが大好き」と言う本を書いた片岡義男と言う作家の家に原稿をポストに突っ込んでしまいました。  1週間後に出版社が決まってしまいました。  去年末に出した本が20冊目になります。 全日本ロカビリー普及委員会は6000人います。(会費などは取っていない)  この方たちが主に買ってくれます。  エルヴィスと長嶋さんに関する本も書きました。  

小学校のPTA会長を5年間務めたあと、2008年から16年まで、保護司を務めました。  2016年秋からは、「ロカビリーキッズツアー」と銘打って、ギター1本で子どもたちの施設を回る活動を始めました。  子供が絵を描いているがよくわからなかった。 爪とかから描き始めて、顔を描いていって褒めてあげる、終わるまで待ってあげる教育という事を学びました。 子供は身体を動かすのが好きで、ロカビリーが役立ったという事を実感しました。 

2025年の1月ぐらいから、大腸がんの前兆のような血便が出るようになりました。  2024年がエルヴィスがデビューして70年でした。  妻と2024年7月にエルヴィスの出身地 テネシー州メンフィスに行こうという事になりました。  結局12人に膨らんでツアーにいきました。  市長さんの前で歌う機会を得ました。  2025年の11月のジャパンフェスティバルで歌ってほしいと言われ、併せて3か所で歌う事になりました。  症状が重くなってきて、或る時に大腸ポリープの話になって、僕も軽い気持ちで血便が出てきたと言ったら、周りから直ぐ医者に行く様に言われました。  肝臓と骨盤に転移していました。  

2週間に一回の頻度で抗癌剤を打つんです。  一般的な副作用はありませんでしたが、しびれ、痛みがいろいろなところに出ました。  腫瘍マーカーの値が入院時は46でしたが、今は13回打ったせいか1.1しかないんです。 次週14回目を打ちます。  体重も落とさないようにしっかり食べています。   アメリカに行って帰ってきた後だったら手遅れだったと思います。 2025年の11月には行きました。  ジャパンフェスティバル、メンフィスのビール?ストリート、パーティー、総領事の前でも歌いました。  私の師は長嶋さんとエルヴィスです。  長嶋さんは脳梗塞で倒れた後、リハビリで皆に元気を与えました。 見習わなければいけないと思いました。

日本の文化の一つとしてロカビリーを残してほしいと、平尾昌晃さんから言われたので是非頑張っていきたいと思います。  ロカビリーは「優しさを持った反骨精神」だと思います。  私の生きざまになりました。