2025年8月14日木曜日

山口輝人(元兵士 山口静雄の次男)     ・木の上で闘い続けた男

山口輝人(元兵士 山口静雄の次男)     ・木の上で闘い続けた男

俳優の堤真一さん、山田裕貴さん主演の「木の上の軍隊」と言う映画が公開されています。  舞台は沖縄戦の縮図とも言われる凄惨な戦いがおきた伊江島、作品はそこで終戦を知らないままガジュマルの大木に身を隠し、2年間生き延びた2人の兵士の実話をもとに描かれています。 映画のモデルの一人となったのは宮崎県出身の兵士山口静雄さん、35歳のころ伊江島に派遣されました。  今回インタビューしたのはその静雄さんの次男である山口輝人さん(87歳)です。  父の背中を見て感じる平和への思いとは何でしょう。

昭和20年4月16日にアメリカ軍が上陸して伊江島を一気に制圧しようと猛攻撃を浴びせました。  6日間の戦闘で日本兵の戦死者およそ2000人、住民も逃げ場を失って集団自決に追い込まれるなどして、当時島にいた人たちの半数に上る1500人が犠牲になりました。  その島で静雄さんは2年間生き延びました。  父は断片的に話をしてくれました。  壕の中にいたら全然逃げ場がない。   自分の身を隠すことを考えた時に、ガジュマロの木が点々とあるぐらいで、身を隠す場所がなかった。  木の上にあがることを決めたようです。木の高さは8~10mぐらいです。  幹の太さは二人が手を広げたぐらいの木です。  葛が巻いたようになっているので登り易い。  

登って2,3日して木から落ちて、へこんだ地面のところに身を隠して、佐次田秀順さん( 一緒に木の登ったもう一人の人)が落ち葉、木の枝をかぶせました。  数週間すると米軍のブルトーザーが畠の整地をし始めた。  父の隠れているすぐそばまで来て、その時にはもう駄目だと思ったそうです。  運よく手前で止めたそうです。  傷を負ったところから膿が出てきたが、衣服の切れ端を細い枝に巻いてその部分に付けていたら、その後傷が良くなってきたそうです。  その間は佐次田秀順さんがイモとかとうきびなどの食料を調達してくれました。 昼間は木から降りられないので、夜遅くこっそりと出ていったんでしょう。  身体の具合も良くなってきて、助けてもらいながら、木に昇ったそうです。  木の枝で身を隠す工夫をしていました。   マムシなどの心配もありました。  空き缶に糞をして木から離れたところに臭わないように捨てた。   

2年間も木の上で生活していたという事は考えられないです。  二人で何とか手を取り合って頑張ったと思います。(意見の合わない時もあったと思いますが。)   二人だったから生き延びれたと思います、一人ではできないと思います。  父、山口静雄も体調がよくなってきて食べ物を探すようになりました。  食料を小屋の隅に隠して置いて、行ってみると少なくなっているので、「食べ物を取らないでください。」と書置きを2,3回書いたらしいですが、「日本の兵隊さん出て来て下さい。」と書置きしてあったそうです。  「戦争はもう終わりました。」とも書いてありました。  最初は信用しなかったが、出てゆく事を決断した。  

家では母親が中心となり細々と農作業をしていました。  父が帰ってきたのは小学校4年生でした。   服は米軍の服で、帽子は日本軍の帽子でした。  自立しろよ、と言うような父親でした。  兄弟で相撲をとったりしているところを見て、喜んでいました。 平成9年に父親が登っていたガジュマロの木に登りました。  「苦しい苦しいなか、2年間よく支えていただき、本当にありがとうございました。」、と独り言で話をして帰ってきました。  命の大切さをお互い考えて、平和な国であることを願うばかりです。