松岡 和子(翻訳家・演劇評論家) ・シェイクスピアにつかまって
日本では3人目、女性では初のシェークスピア戯曲全37作の完訳の偉業を達成した松岡和子さん(82歳)は、シェークスピアに出会ってから何度逃げてもまたシェイクスピアにつかまってしまったと言います。 満洲から命からがら引き揚げてきた幼少期からシェイクスピアとの出会い、結婚、出産、育児、介護、看取りなどを経験しながら翻訳家としての意志を貫いたドラマチックな人生をシェイクスピアの魅力と共に伺いました。
満洲国新京生まれ。 父は裁判所に務めていましたが、進められて満洲に渡って、母と結婚して私と妹と弟が生まれました。 まだ3歳だったので、引き上げの時は母が大変だったと思います。 弟が生まれたばかりでした。(出産した翌日から移動) 父はソ連に抑留されました。 或る所から足取りがつかめなくなってしまいました。 どこかから戻って来るのかと思ってラジオの「尋ね人」の放送を聞いていました。 点々として最終的にはモスクワの独房に入ってという事でした。 私が小学校6年生の時に当然一枚の往復はがきが舞い込んで生きているという事が判りました。 中学2年生の時に父が帰ってきました。 帰ってくる時には病気になって脳溢血で倒れました。 写真の姿は立派でしたが、母が「この写真の通りではないから、大事に面倒見なければいけないわよ。」と言っていました。 知らないおじさんという感じでした。
私は東京女子大学ですが、母も同じでした。 英語の先生の資格を持っていましたので、女子校の先生をしていましたし、家庭教師もしていました。 母はラジオで「100万人の英語」を毎晩聞いていました。 父も身体が良くなってきて、公証人役場に毎日通っていました。 私の恩師のC・L・コールグローヴ先生先生に出会って、シェイクスピアへの道に導いてくださいました。 英文科だったので卒業までにシェイクスピアの一冊を読まなくてはいけないと思いました。 シェイクスピア研究会に見学に行ったりしましたが、ハムレットを読んでいて難しくて、逃げたりしました。(一回目の逃走) 原語でシェイクスピア劇をやることを毎年やっていて、「夏の夜の夢」をやることになり、やってみたら面白くてお芝居が好きになりました。 C・L・コールグローヴ先生の1週間に1本英米の戯曲を読むクラスを取ることになって、本当に芝居が好きになりました。 演出をやりたいという気持ちになりました。
シェイクスピア翻訳者の福田恆存さんが主宰する劇団「雲」が研究生を募集しているというので、試験を受けて合格しました。 親に打ち明けたら大反対されました。 1年半いましたが、もう一度シェークスピアの勉強をしようと思って、東大の大学院に入りました。 そこでは難しすぎて止めて、シェークスピア後輩の劇作家のジョン・フォードについて勉強し始めました。 フォードを勉強するにはシェークスピアを勉強しないといけないことが判りました。 親としては安定させたかった。 お見合いをして気に入らないと言う事で逃げられると思って、2回目までは上手く行きましたが、3回目でこの人と結婚しそうと思って、結婚に至りました。 子供も生まれて、その間に東大闘争もありました。 修論?を仕上げるのに大変でした。
その後段々翻訳の仕事が増えていきました。 戯曲も訳すようになって、非常勤で東京女子大学に勤め始めました。 C・L・コールグローヴ先生からシェークスピアのレクチャーをないかと言われました。 シェークスピアのPRでいいからと言う事で、引き受けることになりました。 1993年に「夏の夜の夢」を訳してほしいという要望がありました。 「夏の夜の夢」には縁を感じます。 演じるための新しい訳が欲しいという事でした。 「間違いの喜劇」「ロミオとジュリエット」「ハムレット」「マクベス」を翻訳して舞台にかかりました。 蜷川さんは「世界を掴みたいんだ。」という事はよく言っていました。 世界を掴むのには世界を描いているシェイクスピアをやるという事とつながったのではないかと思います。
蜷川さんがシェークスピアの全作品を埼玉芸術劇場でやるという事になりました。 日本語で上演するのには全部松岡さんの訳でやるという事を蜷川さんから言われました。 37の戯曲を全部訳すことになりました。 実際に稽古場で訳した言葉に立ち会いました。 それが楽しかったです。 日本語全訳は、坪内逍遥と英文学者の小田島雄志さんに続き3人目となる。(女性では最初。) 女性の言葉を訳す事には意識していました。
「To be, or not to be,」の翻訳 「世に在る、世に在らぬ」(坪内逍遥)「このままでいいのか、いけないのか」(小田島雄志)「生か、死か」(福田恆存) 最初は「生きてとどまるか、消えてなくなるか」(松岡和子)途中から「生きてこうあるか、消えてなくなるか」(松岡和子)に変更しました。
マクベスの「Tomorrow, and tomorrow, and tomorrow」の翻訳 最初は「明日(あす)も 明日(あす)も また明日(あす)も」でしたが、現在は「明日(あした)へ また明日(あした)へ また明日(あした)へ」になりました。 Tomorrowを分解するとTo morrowになり「朝へ」と言う意味になります。 Tomorrowは明日(あした みょうにち)になります。 明日(あした)だと(みょうにち)とmrningと両方の意味になる。 20数年後に変えました。
シェークスピアは一貫して人間の愚かしさを描いてきたと思います。 でも 全体が人間と世界を肯定する劇になっていて、「馬鹿だなあ そんなことしなければいいのに」と言う様な人間がこれでもかこれでもかと出てくるが、でもそれが人間だという風に言ってくれる。 唯一「馬鹿だなあ」じゃないキャラクターがハムレットだと思います。
シェークスピアは多層になっています。 400年ぐらい前に書かれたものが、現代劇として上演されていて、凄いなあと思います。 37の戯曲を翻訳して文庫本として出版いています。 『終わりよければすべてよし』が2021年で完結です。 文学で、演劇で、生身の人間を扱っている作品に関わっていると、人間の喜怒哀楽、生老病死と言うのが全部自分の人生と、劇の中の様々な人間の人生とが絡み合うから、シェークスピアだからこそやっていられます。