桂玲子(声優) ・〔時代を創った声〕
「サザエさん」にイクラちゃん、カツオの片想いの相手アオイちゃん、「新オバケのQ太郎」の二代目のO次郎(Q太郎の弟)、一休さんのさよちゃんなどを演じてきました。 「サザエさん」は放送されて今年で55年になります。 イクラちゃんを演じて50年になります。 「ハイ」から始まってもうちょっと話せるようにと言うことで「バブー」も始めました。 もっと話せるようにという事もありましたが、「ハイ」と「バブー」を使い分けるようになりました。 前後のセリフを聞いて、それなりに反応するようにしています。
福岡県福岡市出身。 小さいころは写真館に行ってはポーズをとったりしていました。 幼稚園の卒園式の時には代表でいう事になりましたが、最初の言葉はいくつか言えたのですが、その後は言えなくて大失敗しました。 小学校の入学式の時にはたくさんの子が怒涛の様に押し寄せてきて、どうしようと思ったのを覚えています。(大勢のところは苦手でした。) 中学生のころに新舞踊を習いました。 「どんたく」では父親と舞台で踊ったのを覚えています。 高校では演劇部に入りました。 ベニスの商人とか勧進帳などいろいろやりました。 その後地元の九州朝日放送放送劇団に入りました。(ラジオドラマなどいろいろ)
或る時に芥川比呂志さんから主人に声がかかって文学座をうけて、私も受けることになりました。(三期目) ただ楽しく過ごしました。 日本舞踊をやるようになって名取となりました。(放送劇団のころ) 当時声優になろうとは思わなかったです。 声優の役を段々やるようになりました。 言葉にならない赤ちゃん役はどうしようか、難しかったです。 イクラちゃんはそんなに苦労はしませんでした。 「フランダースの犬」にアロアもやっていて、「一休さん」のさよちゃん、この二つは女の子を実感しながらやりました。 好きな役でした。
「新オバケのQ太郎」の二代目のO次郎は非常にやりやすかったです。 「バケラッタ」で感情を表現する。 考えたら駄目だと悟りました。 日舞は役に立ったと思います。 主人が亡くなって、坐骨神経痛があり、体力的にも気力的にも落ちて、リカちゃんがしばらく出ていなくて、出来なくなって一生懸命に考えて、やればやるほど違って、或る時に考えないようにしました。 その世界に飛び込めばいいと思って頭では考えないようにしました。(2年前のこと)
何でもできるというのが声優の魅力だと思います。 もうちょっと体力があったら舞台をやってみたいですね。 声優という事に抵抗を感じなくなったのは割と最近です。 若い人への提言としては、若いうちはやりたいことをどんどんやればいいと思います。 でもすぐには生活が出来ないので、頭の隅に置いて挑戦すればいいと思います。