2024年5月3日金曜日

浦田理恵(ゴールボール元日本代表)    ・一歩踏み出す勇気をもって 後編

浦田理恵(ゴールボール元日本代表)    ・一歩踏み出す勇気をもって 後編 

2008年最初のパラリンピックが北京大会、「よしやるぞ」という思いで北京に乗り込みましたが、大舞台なので凄く緊張しました。 8か国中、7位と言う結果でした。 帰りの飛行機ではずっと泣いていました。 何が足りなかったのか、どうしたらいいのかなと、自分の足りないものと自分の必要なものを考えて、次のロンドンでは絶対に金を取ってやるぞと思いました。(決勝はアメリカと中国だった。)  まずは弱気な私のメンタルだなと思い、メンタルトレーニングをやりました。  筋力と同じで、地道にトレーニングすることで少しづつ自分をプラスに持っていくやり方を自分で作っていきました。 

コートに立っている時にどんな思いでいるのか聞かれた時に、「日本のゴールを守るのが自分の役割なので、失点してはいけないんです。」と言ったところ「その言葉を変えたらもっと強くなる・」と言われました。 「失点してはいけないんです。」という否定形ではなく「パーフェクトディフェンスで行くぞ。」と言う風に変えてみたらどうかと言われました。 言葉をポジティブに変えて行って、自分のマインドをポジティブに持っていく。 それで変わって行きました。

日本は体格的にも小さめで、パワーの部分が劣ることが否めなかったが、一人一人の力は小さくても、それを繋いで一つになる、それは日本は強みなのでそこにたどり着きました。 チームで一つのボールを追ってゆく、カバーリングの動きをしてゆく。 攻撃も同じです。 コミュニケーションも増えて、チームも繋がって行きました。 

2012年のロンドン大会を迎えました。 「金メダル取りました、ありがとうございました。」と言うような勢いで行きました。 体力も前回に比べてしっかり作っていきました。 予選が1勝1敗1引き分けの2位で通過。 準々決勝がブラジル戦、準決勝がスウェーデン戦(残り30秒で同点に追いつかれて延長戦で勝つ)、決勝が中国戦。(優勝する。)  金メダルを獲得。 すべてに「ありがとう」と言う思いでした。(チームメンバー、周りの支え、日本からのからの応援など)   金メダルを取ったことで、自分自身が生きてゆくことに自信を貰えた感じがしました。   家族からは「まさか金を取るとは思わなかった。」と言われました。 凄かったです、感動しました、と言うような言葉を沢山の方から頂き、本当の意味でゴールボールをやる目的がその時に気付かされました。  

リオデジャネイロ(2016年)では5位になってしまった。 キャプテンを任されて挑んだ試合でした。 準決勝で中国に1点差で敗れてしまいましたが、次が母国開催なので挑戦しないわけがないです。(40歳を迎える頃ですが年齢は気にはならなかった。)   2016年以後あまり順調ではなかった。(後輩も力を付けて来た。) 2019年アジアパシフィック大会(東京大会の代表を兼ねている大会)へは代表落ちをしたりしました。 2020年3月には何とか代表入り内定を得ましたが、その直後にコロナで延期が決まって内定が白紙に戻されました。  体力と音の感覚を落とさないようにいろいろ工夫して対応しました。  

東京大会の代表に選ばれました。 チームのバランスをとる事と、ディフェンスが私の役割なんだなと言う思いでした。 金メダルを取ってやるというような思いでした。 心の状態も最高でした、ぶれないんです。 予選が2勝1敗1引き分け 決勝トーナメントでは準々決勝4-1でイスラエルに勝ち、準決勝でトルコに5-8で負ける。 予選の初戦がトルコ戦で1-7で大敗しました。(大丈夫なのか心配になる。)  その後も波に乗れない状況でした。 ブラジルに勝って胴メダルを獲得することが出来ました。 私は持っているものを全部出し切れました。 表彰台に上がった瞬間に引退を決めました。 仲間の成長が凄く嬉しかったです。  どんな言葉を発するかで、自分を変えて行けると思っています。  言葉が有るから思考を深めることが出来る。  言葉があるから人と繋がれる。  言葉って本当に凄いと思います。 

ゴールボールは真剣に生きてゆく、やるって楽しい、挑戦することの楽しさ、難しい、悔しい、厳しさを私に教えてくれました。  今自分があるのは、自分ひとりの力ではなくて、ありがとうと言う気持ちに気付けたときに、次の一歩に繋がりました。  壁にぶつかっていても、心持ちをちょっと変えたらそこに光が差してくる、そういう風に思っています。 一度きりの人生なので、自分を信じて自分を大事にして、自分を大事にするという事が相手を大事にするという事です。