2024年1月1日月曜日

中村雅俊(俳優・歌手)         ・〔新春インタビュー〕 心はいつも"俺たちの旅" 前編

中村雅俊(俳優・歌手)     ・〔新春インタビュー〕  心はいつも"俺たちの旅" 前編 

中村雅俊さんは宮城県女川町の出身。 1951年生まれ、72歳。 慶応義塾大学卒業と同時にテレビドラマ「われら青春」の主役で俳優デビュー。 このドラマの挿入歌「ふれあい」で歌手デビューも果たします。 その後も「俺たちの旅」や「ゆうひが丘の総理大臣」大河ドラマ「花神」、「おんな太閤記」、「春の波濤」「春日局」などの作品で幅広い層の支持を受け、俳優としての地位を確立していきます。 歌手としても「心の色」や「恋人も濡れる街角」などのヒット曲で紅白歌合戦出場を果たし、毎年行うコンサートツアーも1500回以上を重ねました。 俳優と歌手といういわば二刀流で今年デビュー50周年を迎えます。これまでの歩みについて、お話を伺いました。

たまたまデビューが学校の先生役で、先生役は歌を歌うという事が決まってたんです。 ちょど5代目で、それがたまたま売れたという事で二刀流という形が出来ちゃったという感じです。 主役をやって、レコードも100万枚以上売れて、これから先何十年も続けられるわけがないと思っていました。 渡辺徹が色紙を持ってきてなんか書いてくださいと言うんで、「いつまでもあると思うな人気と仕事」と書きました。 彼は40年間ずーっと部屋に飾っていたそうです。 

大学に入るまでは役者になるとは思っていませんでした。 外交官と言う思いもあって、そのためには英語という事でESSというサークルに入りました。 英語劇に興味を抱いて、そちらのサークルに入って、御芝居をやることに心が芽生えてきて、大学4年になる時に親友と共に文学座の研究生になって、12月にドラマの主演と言う話が来ました。(「われら青春」) 「われら青春」では英語の先生で、「俺たちの旅」ではクラブでバスケットをやっているという事でした。(中学、高校ではバスケット部にはいっていた。) 自分の輪郭がはっきりしてくるほど、先に対しての不安はありました。 ただ性格的には楽天的なんで、どうにかなるだろうと言った感じでした。 

「ふれあい」は歌自身は凄くシンプルで、山川啓介さんの言葉もシンプルで、でも心に届くという感じです。  50年続けていますが、一番いい歌い方です。 思うまま素直にただ歌っているだけです。  

「俺たちの旅」 話し合いの中では、雅俊の学生時代の出せるところは出そうという事でした。 良く怒るという事をキャラクターにしていました。 三人(中村雅俊、田中健、秋野太作)が奔放に生きる姿が沢山の方から支持を受けました。 テーマが不変のテーマで、友情、人を愛する事、親子の問題とか、人生を如何に生きるべきかとか、あのドラマでは真摯に捉えていたので、50年近く経ちますが、それに向かってゆく若者の姿が、結果としてどうなったのか、一つのサンプルとして見せたところがあって、当時の若者たちは見て、こうしたいというような刺激を与えたような気がします。 かなりコミカルな部分もありました。  

津村浩介と言う役つくりには地をベースにしたという実感はあります。「その日その日を精一杯生きる」「自分に正直に生きる」と言ったセリフが良く出てきますが、あの頃はあんまり思わなかったが、今まさにそうです。  「時が過ぎるたびに寂しさが増してゆく。 でも心はいつも俺たちの旅」 これは「俺たちの旅」のテーマなんです。 人って、生きてゆくって、寂しいんですよね、だからこそ人が群れたり、優しい言葉が欲しく成ったりする。 寂しさは厭な言葉だけれど大事なフレーズであって、そこから行動、エネルギーが生まれると思ったりします。 

*「ただお前がいい」 作詞・作曲:小椋佳  歌:中村雅俊

いろいろなひとから曲を書いてもらっています。 これも津村浩介を見た世代です。 「俺たちの旅」と言うドラマとの出会いがあって、今があるという感じです。 「歌手として、役者としてやってゆくぞ」という覚悟が出来ました。

青春スターと言うようなこだわりはないです。 その後大河ドラマだとかたくさんやらせていただき、楽しいの一言です。 朝の連続テレビ小説「半分、青い」ではおじいさん役でギターをもって歌ったりもしました。 役作りしない役者、自分が出ちゃうんです。 歌でも言えるんです。 過去に3回アメリカの映画に出たことがありますが、結構撮影現場が楽しいんです。(日本人一人で一か月半) 緊張感、大変さも悪くはないなと思いました。 陽気な方が多いです。