田辺青蛙(作家) ・怪談に刻まれた街の記憶を集めて
田辺さんは子供のころから怪談が大好きだったという事で、中学のころから人に聞いた話をノートやテープに記録してきました。 たとえば先祖の声が聞こえるびしー?,古い病院に現れる人影など、様々な数えきれないほどの話を「関西怪談」、「大阪怪談」、「京都怪談」と題する本にまとめています。 多くの怪談話からは町のもう一つの顔が見えるという田辺さんに怪談の魅力などを伺います。
大坂府生まれ41歳、2006年26歳の時に『生き屏風』で第15回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞。 「青蛙」(せいあ)ですが、「あおがえる」にしたかった。 小さいころから蛙は好きでした。 子供のころ水木しげるさんの「ゲゲゲの鬼太郎」などオカルト色の強いアニメがおおく出ていて、それを入口にして興味を持つようになりました。 親戚がお坊さんでいろんな寺院に連れて行ってもらって、幽霊の足跡などを見に行ったこともあって、現実と地続きのこの世ではないような世界に段々惹かれるようになりました。 妖怪や幽霊にまつわる話を集めるようになりました。(小学校低学年のころから) 妖怪、お化けが出てくる話が好きでした。
柳田國男の「遠野物語」を読んだりして衝撃を受けました。 他にも同様な話が伝わっているのかと思って、郷土史、民謡集などを読むようになって、結構怖い話があったりしました。 調べているうちに郷土史に通ずる怪談を探るようになっていきました。 色々なところへ行き沢山話があり感動しました。 宇治の橋姫伝説をもとにした話を書いて、入選しました。(夫が妻と離別し、別の女と暮らし始めた。 念願叶って鬼と化した橋姫は、夫の後妻は言うに及ばず、その親類縁者に到るまで次々と殺害。その後、誰彼構わず殺すようになったというのだ。 都中が恐れおののいたことはいうまでもない。) 土地にまつわる記憶は物凄く魅力があります。 ノートに書き込み80冊ぐらいになります。
大阪怪談の中に「堀江六人斬り」という事件があり、唯一生き残った 芸妓さんが大石順教です。 大坂堀江で芸妓をしていた女性が、養父が痴情のもつれで刀を振るって、6人を殺傷した事件です。 大石順教は両腕を失うだけで、命を取り止めました。 或る時鳥がくちばしでえさをついばんだり水を飲んだりしているのを見て、口に筆を咥えて絵や書を書き始めました。 展示しているところに行きましたが新しい建物で、2015年に火事で焼けてしまったという事でした。 書と絵はある人が火の手から守りました。
大阪城の天守閣の前館長の北川央先生によると大阪城は日本の城の中で一番怪談が多い城だというんです。 スケッチをしていた人が対岸で着物姿の女性が手を振って、お堀にはまってしまって、巡査が来て、それはもしかしたら淀君の幽霊かもしれないといったという事です。 武士たちが沢山書き残しているようです。
道頓堀の話ですが、地下に誰も入れない配管がむき出しのところに、お堂があって狸が祭られています。 淡路島からお芝居が大好きな狸がやって来て、商人に化けて葉っぱをお金に変えて、興行主がお金の中に葉っぱが入っていることを見つけて、狸がお客さんに化けて見ているんじゃないかということで、犬を連れてゆく。 そのうちにお客がぱったり入らなくなり、狸の祟りではないかと思って神様として祭っていまだに祀られています。
大坂では怪談に落ちを付けたがる、怖いものも楽しんだもの勝ちというか、娯楽の様に記録が残っています。 地蔵にまつわる話は関西に非常に多いです。 お地蔵さんを移動するとさわりがある、それはお地蔵さんがごてているから、といって今の位置に落ち着いて祭ったらそれ以上お地蔵さんはごてなくなった。 ごて地蔵と呼ばれています。 お地蔵さんにお酒をかけるという話もあり、それを欠いた人が頭を打ってしまったというような話とかいろいろあります。
遊女「かしく」は日常は従順な女性であったが、ひとたび酒が入ると人が変わって乱れた。 そのため寛延(かんえん)2年(1749)のある日、彼女の兄が見かねていさめたところ逆上し、あやまって兄を傷つけ殺してしまった。 かしくは死罪を申し渡され、市中を引き回されたが、その途中「油あげ」を所望し、それで乱れ髪をなでつけ斬首されたという。 この事件はすぐ芝居に仕立てられ評判をよんだ。 後になってかしくの墓石をかき取り、せんじて飲めば酒乱がなおるとの風評がたち、参詣人で賑わったという。
子供の怪談の話もたわいのない話であっても、古くからの伝承に繋がっていると言うようななこともありますから、子供の怪談も関心が高いです。 わからないもの、恐れとか、好奇心とかが怪談に繋がっていったという事がありますね。