佐々涼子(ノンフィクションライター) ・命の重さを知るからこそ
佐々さんは1968年生まれ、神奈川県出身。 早稲田大学法学部を卒業後、家庭に入り転勤族の夫と共に2人のお子さんを育てる中、日本語教師となり39歳でフリーライターへの道を歩き始めました。 長編2作目となる『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』で第10回開高健ノンフィクション賞を受賞。 2014年に発表した『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』が東日本大震災で被災した工場の復帰を描いた作品で、多くの賞を受賞しました。 2020年には終末期の在り方を考える『エンド・オブ・ライフ』で第3回Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞を受賞。 去年秋に日本に辿り着いた人たちをどう受け入れてきたのか、私たちの心の中に境界線、ボーダーがあるのではないかというご自身の日本語教師としての経験を踏まえた作品、『ボーダー 移民と難民』を発表し、次回作を始めた直後悪性の脳腫瘍と診断され、闘病生活が始まりました。 取材者から当事者に立場が変わったことを佐々さんはどう受け止めているのか、病の中でどんな思いでいるのか、御主人に付き添っていただきながらお話を伺いました。
CTを撮ったら腫瘍があると言われ、手術で腫瘍を取ったのですが、コロナでずーっと一人部屋でした。 死ぬのかなあと思ったりして驚きました。 頭痛薬などで耐え忍んでいたんですが、まさか腫瘍だとは気が付かずにいました。 10割のうち8割取って2割は残っているらしいんですが、本当にそうなのと今でも信じられません。 子供達、孫たちに助けられているという気持ちがあります。 トイレで泣いてしまったりして、空元気なところもあります。 私には価値があると、それぞれの自分があってそれぞれに価値があるんだと、そう思って毎日トイレから出ます。 書く能力もリハビリで少しは良くなるはずだと、自分自身を励ましています。 病を得て、もしかしてそんなに長くは生きられないかもしれないと思うと、なんで私は幸福に生きることを諦めてしまったのかなあと思いました。
しばらくしてお金は何の意味はないと思たんです。 お金を儲けて何になるのかなあと思いました。 あれは駄目とか、これは駄目とか、いろんな差別があるが、一体これは何の意味があるのだろうか、と思いました。 死んじゃうのかなあ、死ぬのは厭だなあと毎日毎日くよくよしてたんですが、蜜柑を食べた時に凄く極楽のような味がして、蜜柑はこんなにおいしかったのかと思いました。 助けてください、一日でも長く生かしてください、お金も一杯儲けたいです、とかいろんなことをお願いしていたけど、蜜柑を食べさせてくれてありがとう、富士山見せてくれてありがとう、とか本当に感謝していた方がいいなあと、人は許し合った方がいいし、幸せでいた方がいいと思うようになりました。 こんなふうに幸せな思いで生きられるんだという事は大発見でした。
大学卒業後すぐに結婚して、転勤先について行って30代になって働きたいという思いがあり、日本語学校の教師になりました。 職業ライターになりたくて、何を書きたいかと言われた時に人間を書きたいですと言ったら、エッセーを書くことにしました。 これを書きたいという意欲が高まって行って、ノンフィクションにのめり込んでいきました。 自分にとって本当に幸せな人生だと思ったのは、書くことだったり、それが本になって沢山の人に読まれたことだったなあと思います。
本は小さいころから好きだったと思います。 『紙つなげ! 彼らが本の紙を造っている 再生・日本製紙石巻工場』の取材では3月11日に吹いてくる風は、雪は降ったのか冷たかったのか、など想像しながら、誰もいない小名浜町を一人で歩きました。 いろいろな人たちを思うと胸が熱くなります。 自分ではこの本が好きだなあと思っています。
病気になる前はボーダーのことを判っていなかったと思います。 大手術でいろんな機能を失って、自分が尊厳をもって障害者として生きることはどんなに難しいか、それは外国の人たちも同じで差別をされる、その人たちの喜び、幸福とかを一切奪って、辛い思いをする人たちがいっぱいいるなかで、私は差別をしなかったのか、可哀そうだとか、情をかけるとか思っていたのではないか。 自分たちが尊厳をもって毎日生きる人たちがいるのではないか、そういったことに気が付かず私は育ってきたのではないか、と病院の中で凄く思いました。
この春ドラマ化された『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』は出版から2年後、文庫本になりました。 あとがきから「・・・死は自然に日常生活に入り込み、私は日々何とかして丁寧に、尊厳を傷付けずにと願いながら、死を読者の元に届けている。 相変わらず死については素人だ。 判った振りをするのだけは辞めようと思っている。 この作品には不思議なめぐりあわせを感じる。 ・・・ 『エンジェルフライト 国際霊柩送還士』のゲラが戻ってきた時に母が亡くなったのだ。 10年間の壮絶な闘病の死だった。 ・・・出版からずいぶん時間が経った今でもネットに本書の感想が上がってくる。 人は時々死について語りたいのだと思う。 両親は身をもって私に生きるとは何か、死ぬとは何かを教えてくれる。 母が元気だった頃、生きながら自分の身体を子に食わせる母蜘蛛がテレビに出てきたことがある。・・・母が独り言のように「親って有難いわね。」とつぶやいたのを覚えている。 死しても親は様々なことを教えてくれる。 10年もの間24時間介護を休まず続けた父は死にゆく母にこう言って別れを告げた。 「面倒見させてくれてありがとう。 もっと面倒みたかったよ。」 死が豊かに教えてくれたのは、生の限りない尊さと人間存在のいとしさだった。」
癌になった当初は隣が癌になってくれればよかったのにとか思っていました。 隣には居ませんでしたが。 今は私はこんなに幸せだったんだなあと思います。 家族も葛藤があったと思いますが、家族ってすごいもんだと思います。 子供もよくやってくれました。 戻ったら戻ったで沢山のチャレンジがあると思います。
日本の入国管理問題を取材した『ボーダー 移民と難民』の後は子供のホスピスの取材をしました。 尊厳をもって死ぬとき迄一瞬一瞬本当に幸せであるという権利を皆さんに共有したいし、そういう活動がこれからどんどん進んでいったらいいなあと思います。 私も参加させていただけるのであれば、リハビリして少しづつやっていきたいと思います。一番大切にしていることは嘘をつかないこと、正直であることだと思っています。 真実の先に希望があったり、そこに生きる意味を見出しているとか、そういったものが私の中に見えてくるんです。 それが私にとっては救いです。 辛い先に見えるかすかな希望、そういう人生を歩めることも、幸福さというか、そう心の底から思います。
誰かに書かせてもらっている感じがしてしょうがないんです。 そういった手伝いをさせてもらっていることがどれだけ幸せなのかという事が本当に判らない、こういう機会を与えてもらったことが本当にありがたいと思っています
n
w