2022年12月3日土曜日

大塚善章(ジャズピアニスト)      ・僕は大阪・天王寺育ちのジャズメン 後編

 大塚善章(ジャズピアニスト・関西ジャズ協会会長) ・僕は大阪・天王寺育ちのジャズメン 後編

関西のジャズプレーヤーの草分けの一人 大塚善章さん、昭和8年生まれの88歳。  今も現役のプレーヤーです。  大塚さんは昭和30年代半ばから関西を拠点にジャズピアニストとして長く活躍してきました。  戦後プロとして音楽活動を始めた頃の話から始まります。

音楽学校に行くことは親から賛成されませんでした。  2年浪人して関西大学が受かりました。  軽音楽部に入ってジャズをやるようになりました。  古谷充さんと出会いました。 彼との出会いがなかったら、プロにはなっていなかったと思います。   ジャズで、音楽の三要素、メロディー、リズム、ハーモニーありますが、メロディーの部分しか考えていませんでした。  リズムがつかめませんでした。  楽しくて仕方がありませんでした。  レコードから譜面を作ってコピーしましたが、大変でした。   

古谷充さんとバンドを組んで、テクニックが凄くてこの人とやったら何とかなるかなと思いました。   私は編曲能力があったので、編曲をしてグループに提供していました。   1959年の秋に古谷充(As)とジャズグループ「THE FRESHMEN」を結成しました。   ジャズ喫茶で演奏しているうちに、ロックンロールが増えてきて、ジャズの仕事が無くなくなってきました。  ナイトクラブに行くようになりました。  ナイトクラブでは踊りがあり、モダンジャズは禁止でしたが、なんとか30分だけ演奏が出来ました。  そこでレパートリーを増やしていきました。  

古谷充さんは2020年9月に亡くなりました。  関西にいて全国的に名が響いたのは彼だけです。  彼がいないと今の僕はないです。  1960年代フォークソングが流行って寺山修司さんに歌詞をつけたフォークソングがありました。  私はフォークは苦手でした。        1984年に、ピアノコンチェルト『上町台地'84』を発表しました。  50歳の時で、30周年記念リサイタルの時でした。 

『上町台地'84』  

『上町台地'88』もよくできていると思います。  上町台地という名のもとに8曲作っていますが、この二つが気に入っています。   

1999年能楽師、能面師とのコラボレーション 『組曲・面-OMOTE-』 スイスのモントリオールジャズフェスティバルで披露。   能楽堂の舞台にピアノ(480kg)をジャッキで下から補強してセットしてしたこともありました。    能面を並べた時に初めてインスピレーションが湧いて曲が出来ました。   

東京への進出の話もありましたが、ジャズグループ「THE FRESHMEN」の事を考えると全然なかったです。  大阪発という思いが強かったですね。   坂本スミ子さんとは一緒に全国を回りました。   ラテンで音楽のステージを構成するわけですが、中に一曲だけ演奏させてもらいました。   ジャズとの接点がある筈だとか、いろいろ勉強になりました。  

コロナ禍でなかなか演奏が出来なくてつらかったです。  ライブハウスも営業が出来なくなりました。   ネット配信とか起きましたが、生演奏へのこだわりもあり、それが出来ないというのは辛い、虚しいです。   ここにきて演奏が出来る様になって、生演奏に飢えていらっしゃったというか、ひしひしと感じました。                ゴールデン・シニア・トリオ 或る人がこの3人でやってもらえませんか、と提案がありました。宮本直介(ベース)鍋島直昶(ヴィブラフォン)、大塚善章(ピアノ)        2008年に結成しました。  2015年7月 ギネスブックに「世界最高齢のバンド」として認定される。     ペースメーカーが入っていて85歳で入れて、電池を95歳で入れ替えます。  それまでは頑張ります。