中尾知代(岡山大学大学院准教授) ・戦争の記憶に耳を傾けて40年
欧米、アジア、アフリカなどで戦争体験者や家族から戦争に関わる記憶を聞いて、平和を模索する研究を続けています。 オーラル・ヒストリーという学問ですが、研究のきっかけとなったのはイギリスに留学中、たまたま声を掛けた男性から思わぬ厳しい言葉を投げかけられた言葉からと言われます。
オーラル・ヒストリーという言葉は、後述記録という風に訳します。 20,21歳の時にイギリスのウォリック大学に留学、自動車産業で有名でそこに働いている女工さんのオーラル・ヒストリーを取って博士号を取った人と知り合いになって、どんなものか疑問に思ったのが最初です。(1982年) それから10年ほどたって、日本に対する感情が悪化してきているのを感じた頃に、イギリスでもそういう記録をとることを始めようと思って、それが学問の方の一つのきっかけで、もう一つ私が生涯かけて聞くことになった、捕虜の人たちの声をどう聞くかという事のきっかけになったのは、アベリストウィス大学に行って語学の研修をしていた時に、サッカーを教えていたおじいさんがいて、私に戦争で一人は義眼で、もう一人は足を失って、職も失ってしまったというんです。 怒っているのがもう一つのきっかけでした。 日本軍が捕虜扱いしていたことをもっと聞こうという気持ちになりました。
1995年に対日勝利記念日で物凄く盛り上がった時に、いろんな方に話を聞いてテレビ番組を作りましたが、それでは彼らの深い悲しみ、こだわりがうまく短い時間では出ないという事に気が付いて、長い時間をかけないとそういう思いは出ないという事に気付いて、オーラル・ヒストリーという学問を思い出して、エセックス大学に留学しました。
イギリスでは第二次世界大戦を民主主義を守った戦いと認識していて、日本ではそういう風には考えていない、イギリスと日本の戦争観の違い、捕虜扱いの厳しさ、消耗品としての労働力として取り扱われたという事が彼らの負担になったし、死亡率も高いし、トラウマになってしまったというところに、調査を進めてゆくうちに気が付きました。
捕虜の犠牲に関して極東軍事裁判記録では、イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、アメリカ、オランダなどを含めると13万人余り、亡くなった方は3万5000人余り。 ドイツでは4%だったのに対して、3割の死者が出ていて、日本ではジュネーブ条約を守っていなかったということもあり消耗品として労働力として使った。 邪魔だった捕虜も殺してしまったという事が行われた。 日露戦争と第一次世界大戦の捕虜扱いは良かったと言われていた。 ドイツの捕虜に楽器を与えて第九を初めて演奏したりとかエピソードが沢山ありました。
スマトラ鉄道の建設では7割近い人が命を落としたと言われる。 帰ってきた人たちは心身を痛めて後遺症で1950年代で次々亡くなって、又トラウマとなって苦しみが続いたという事も大きな問題です。 娘さん、未亡人の方にも話を聞くことが出来ましたが、父親が非常に暴力的だとか、怒鳴る、怒りっぽいとか、家族に影響を及ぼしているのが、問題を長く続くものにした原因です。 アメリカでは捕虜の子供の集まる会があって、子供に深い影響を与えているという事は、子供たちの共通経験として挙げられている。 子供に食べ物を粗末にすることを許さない、何かあるとすぐカッとなる、一緒にテーブルでものを食べることができない、と言ったことを聞きました。
捕虜の収容所でひどい経験をしたことが、暴力性、自分に対して自信がなくなってしまう、そういったトラウマがあります。 亡くなる前に捕虜の時代に戻ってしまって、異常な行動をしたりして、彼らの中に眠っている悪夢の記憶というものがとても強いものだと思います。 横に寝ている妻を日本兵だと思い込んで抑え込んで、「動いたら殺すぞ。」と言われるが、夫は半分寝てるんです、といった例もあります。 実際に殺人に至った例もあると言われています。 食べ物がない恐怖から、冷蔵庫にいっぱい貯めこんだり、冷蔵庫を3つ買っているとか、食べ物をソファーの下に隠すとか、あるそうです。
オランダでは毎月第二火曜日にハーグで日本大使館の前でデモを続けています。 日本兵士も同様にトラウマを受けた民族だと思います。(捕虜に対して与えた側としてのトラウマ) 人間には連想するということがあって、日本を連想させるものは見たくもないという人たちがいるわけで、トラウマを癒す一つの方法として、語ることで自分の中から取り出して、晒すことでセラピーに繋がるというやり方がありますが、私と話すことによってトラウマが癒えていった人々が一定数いることを感じました。 判ってもらうという事がトラウマを癒してゆく過程のものだと思います。 重い荷物を預けることによって、身体が、気持ちがが軽くなる。
私としては、オーラルヒストリーでこれまで聞き留めて来た
ものを、皆さんとシェアできる形にすること、日本人が何を責められているかを知り、話し合ってどういう風な態度をとるのか、日本の代表が捕虜たちおよび家族に対して言葉を発する、そういうプロセスを経てからでないと本当に許されてはいけないのではないかと思います。 本にまとめることが出来て、映像化もやりたいところです。 戦争体験者の記憶のかけらを集めておくことも大変大事だと思います。