風間杜夫(俳優) ・ダメ親父の哀愁を背中で表現
1949年東京生まれ、8歳の時に児童劇団に入団、子役として活躍されましたが、中学を機に学業に専念、早稲田大学入学後演劇活動を開始、22歳の時に大竹まことさん、きたろうさん、斉木しげるさんらと劇団、表現劇場を結成、その後劇作家で演出家のつかこうへいさんに出会い、劇団の主要キャストとして「熱海殺人事件」「蒲田行進曲」などに出演します。 1982年映画「蒲田行進曲」で一躍人気俳優に、現在もTVドラマ、映画、舞台と活躍しています。
「セールスマンの死」、「女の一生」、「白昼夢」という作品で第46回菊田一夫演劇大賞を受賞。 先月読売演劇大賞上半期ベスト5で男優賞にも選出される。 菊田一夫演劇大賞は吃驚しました。 「セールスマンの死」はアーサー・ミラーの戯曲で社会派の作品で、演出家の長塚圭史さんがウイリー・ローマン役をやってほしいという事で、大役なのでやれることが出来てうれしかったです。 2018年が初演で再演することになりました。 舞台が回想と交錯するので、混乱するかと思ったが、意外と整理できていました。 内容が何ともつらい劇でした。 「女の一生」は主人公の布引けいのよき理解者であるいいおじさんの役。 作品として優れています。 作品の力強さを感じながら演技していました。 「白昼夢」は駄目なお父さん役で前2作とは全く違う役です。 赤堀さんが僕とやりたいという事でどんな内容なのか知りませんでしたが、引き受けました。 その父親は家族には強圧的にふるまうが、心の中では引きこもっている息子がいとおしい。 駄目おやじいという風にくくられるのは気の毒だなと思います。 父親というのは息子の懐に入ってゆくのが苦手なところは有りますね。 「白昼夢」の親父は昭和の名残がありましたね。
お芝居をすると1か月ぐらい旅公演が続くので、年に3本も仕事をすると、そうそう時間が取れません。 息子が中学の時に「野球の試合を一度も見に来なかったよね」と責められたことがあります。
つかこうへいさんの作品は読んだことがなかったんですが、「旅立ち」という作品をやらないかというグループがあり、呼ばれていって、稽古場につかこうへいさんが現れて、「お前には垢が付いているので、俺のところに来て垢を落としてゆけ」と言われました。 それからつかこうへいさんの元で7年以上いました。 「熱海殺人事件」(つかこうへいの初期の代表的戯曲) 木村伝兵衛の感情の起伏が激しい。 よくできた芝居であれはずーっと残る戯曲ではないかと思います。
稽古場でつかこうへいさんが言った言葉をオウム返しに言ってゆくんですが、身体をつかこうへいさんに投げだせば色を付けてくれるような絶対的信頼感があったので、カセットテープで録音して台本らしきものを作りましたが、あまり役に立ちませんでした。 全貌が見えるのは本番の10日前ぐらいでした。 感情の表出はつかこうへいさんの音で判るわけです。
「蒲田行進曲」の銀ちゃんのヤスに対する思いはよく僕らは判ります。 好きだけど嫌い、愛しているけど憎いというか、ヤスのなかにある根深いところにある恨みつらみみたいなもの、それに近いようなものを我々はつかこうへいさんに持っていました。 つかこうへいさんは天才だと思う反面、なんで自分たちはここまで言われなければならないんだという思いはありました。
解散しましたが、僕は一晩泣きました。 女の一生ずいぶん前から決めていたようでした。 作品選びというより誰の書いて誰が演出するかという事で、ほとんど決まってます。
1997年水谷龍二さんとはひとり芝居「旅の空」でスタートして、2019年までに上演回数が993回。 「旅の空」は記憶喪失の男 しみじみとしていい芝居だなあと思います。 「カラオケマン」を第一部、「旅の空」を第二部、記憶喪失ののまま旅芸人の一座に入るというそういう三部の展開にしました。 2002年に三部一挙に上演しましたが、評判がよかったです。 牛山明シリーズが四部、五部もできて一気にそれをやりました。(5時間15分) 出てくるのは僕一人でした。 (2010年) 2014年から平和シリーズで三部一挙上演しました。
口説かれてひとり芝居で「旅の空」をやりましたが、本当に難しいと思いました。 子供の頃一人でちゃんばらごっこなどをして遊んでいましたが、ひとり芝居は〇〇ごっこでいいんだとおもって、目いっぱい遊んでやろうという、そういう腹づもりです。 ひとり芝居では見えない人間をどうやって現出させるかというのが難しいです。
牛山明シリーズのその後という事で「帰ってきたカラオケマン」をやります。