松井久子(映画監督) ・女性の生きざまを撮り続ける
大学を卒業し、雑誌のライターなどを経て、39歳の時にTV製作会社を設立し、50歳で映画監督になりました。
20年近くの間に製作した4本の映画は女性たちのそれぞれの強い生き方を真正面についた作品です。
不思議な事に映画を見た女性たちが強力なサポーターと成って、ロードショーが終わると自主上映会が全国各地で開かれる様になりました。
その会場に松井監督が訪れて多くの方々と触れ合ってきました。
映画題名「何を怖れる」 女って非常にいろいろな事を恐れながら生きてきたんだなと思って、フェミニスト、フェミニズム、女性のために頑張ってきた女性たちにインタビューして、彼女たちのインタビューをしていて、恐れが無い、堂々として自分の思う事をなんのてらいも無く、主張できる、そのことを聞きながら物凄く羨ましいと思った。
自分は潔く自分の主張ができなくて、いろんなことを恐れてきたんだろうと思って、この題名が浮かんだ。
ドキュメンタリー的作品です。
2010年 「レオニー 」 世界的彫刻家イサム・ノグチのお母さんを題材にしたもの
映画作りに於いて幸せな体験ができた。 日米合作作品。
大変だったけどあんな恵まれた経験はもう二度とできないだろうと思っています。
映画を作るのにはその資金集めが必要で、お金が集まるまでに6年半掛かった。
1年半で製作したので公開までに8年掛かった。
私は50歳で初めて映画製作に取り組んだが、映画界で生きてきたわけでもない、助監督の経験もない中で、私が監督をして、なんで俺の上で監督するんだとの抵抗が有るだろうなと私の方が思ってしまった。
でもアメリカの体験はそうではなくて、女でも、キャリアーが無くても、有名で無くても、ハンディーには成らなかった。
2002年 「折り梅」 運のいい作品で苦労も3本の中で一番少なかったし、映画を作っている時に認知症の介護が深刻になって来て自分たちの向き合うテーマになって、ほんとうに沢山の人たちに見て頂いた。
今でも全国のどこかで行われていて、映画を作ってよかったと思う。
時代が変わっても、普遍的なテーマは見られ続ける。
1998年 「ユキエ」 夫婦愛がテーマでアルツハイマーがサブテーマになっている。
戦後間もなくアメリカに嫁いでいった日本女性が差別を受けながらも、男の子2人を育てて、やっと老いの時にも、夫と二人でなんの心配もなく、生きていくんだと思った時に、ユキエがアルツハイマーになる。
45年連れ添ったアメリカ人の夫が寂しさの中で介護をスタートさせる。
認知症の問題をもっと突き詰めたいと思って、「折り梅」を作ったわけです。
現在は認知症の介護のシステムも、社会的な状況も整ってきているが、当時は認知症、高齢化社会に向かって深刻になるぞという初めの事で、あまり関心が無くて、「折り梅」の頃になると深刻に向き合うテーマとして関心が高くなったので「折り梅」は関心が高くなった。
高齢社会になったが、若いころは映画に触発されたが、今は若い人の映画が上映されていて、
私の映画の場合は地域で介護のために活動している人、社会のために活動している女性が、地域の人と一緒に見ようという事で自分たちで動いてくれて上映会を開きました。
「ユキエ」で上映会を初めてやった方たちが「折り梅」、「レオニー 」、「何を怖れる」でも一生懸命頑張って、上映会を広げてくださって、そこに私が招かれて、自分の想いみたいな事をお話して、それがセットになって全国を歩いてきました。
なんてそんな土地土地に素敵な生き方をしている人が一杯いるんだろうと、出会ってお話を聞く事が出来、私にとって映画を作ってよかったなあと思っています。
人と人との心のつながりというものは、すごく人を美しくするものです。
1年半ほど前に亡くなった方(画家) 作品集を一周忌に残された遺族でつくったという手紙と共にお嬢さんが送ってこられた。 「内藤定一 歌集」 (素朴な絵と歌)
国鉄の組合で運動していて、そこで女性と結婚した人。
二人で定年を迎えて、これから二人で全国旅をと言う時に 奥様が60歳で認知症になられてそれからずーっと在宅で介護して、そんな中で折々感じたことを歌に詠まれていて、600首に及ぶ。
「それ行け 徘徊号と 名づけたる 自転車2台が 並ぶ我が家」
「老人の 福祉が商売に なるという そんな社会で 老いたくはなし」
「春キャベツの 重ね着一枚ずつ剥がす 今日を剥がせば 新しき明日」
「過去もない 明日も思わぬ 妻となり 言葉のいらぬ 国で居眠る」
「思わざり スローグッバイの 終着は テールランプを 消すより易く」
自身で抱え過ぎてしまって、人に弱音を吐けないと、時々ある介護殺人見たいな事は決して特殊な人がすることではなくて、物凄く最初のころに抱え込んで、追い詰められてゆく事もあるので、男性にはもっと人の助けを借りる事、家族のサポートを借りる事を心掛けた方がいいと思う、あまり抱え込まない。
戦争する国に向かいそうだなという感覚が有って、戦争だけはしない日本であろうよね、というのをドキュメンタリーで出来たらいいなというのを漠然と考えている。