西のぼる(挿絵画家) 能登の風土に育まれて
昭和21年生まれ 数々の歴史小説の挿絵を手掛けて来ました
平成13年に第32回講談社出版文化賞受賞
今年直木賞 安部龍太郎 「等伯」の新聞連載の挿絵も担当されてきました
これまで関わった直木賞作家の数は40人、500編以上の小説の挿絵を書いて来られました
日本の挿絵画家の第一人者です
挿絵は私が思った通りに書くというわけではなく、出版社から原稿を頂いて、それを書くわけですが、地方に住んでいるので、スピードが要求されるので、ハンディーを背負っているかなと、思いますが、なんとか35年間頑張ってくることができました
小説にもいろいろあって、一遍の小説の中に何枚も入れることもあるし、単行本みたいに表紙だけという事もあります
小説を読むが、ビジュアル系の人間なので、映像が立ち上がってくる
初期は映像の立ち上がりがおおすぎて、どこを描いていいか悩んでいたが、文学は文字で書かれているので文字を大切にしないといけないと思って、何を書こうとしているのかを見つけて、ビジュアル化していこうと思った
書いてくれと言われているような感じ
絵はどこまで踏み込んでいいのか自分で判断しなくてはいけない
自分の特徴をみせるというよりも、文学作品のいいところを読んでもらう、其為に挿絵があるんだ
という事に気付いて、引きのほうに回っている
時代小説を得意としているが、想像に頼るしかない 時代考証が一番大事だと思う
そんなに歴史が好きではなかったのでプロになってから、歴史を勉強するようになった
私の画家人生の分岐点、早乙女貢氏が、地方でしっかり勉強した方がいいよと言われた
石川県白山市にアトリエを構える
挿絵画家になりたいと思ったのは小学校4年生、2番目の兄(20歳ちょっと前)が挿絵画家を目指して、通信教育を受けていたので、よく見ていて、この世界で生きてみたいと思った
三代続く竹細工をしている家だったが、農業もしていた 小さい頃農作業場に連れて行かれたが、何もすることが無く、土で人魚姫を作ったら、母が物凄く喜んで、近所中に見せて回った
喜ぶ母の姿を見て、喜んでもらうために、絵を描くことが根付いて行った
父親が画家を目指していたらしい 父の一番多かったのがサムライの絵だった
子供のころ、一般的には目の前にあるものを書くが、制約をかけられた中で書くことが好きだった
性格がどうも敏感で、小学校5,6年ごろに毎日頭痛が襲ってくる
(友達との関係で学校に行きたくなくて) 5時間目、6時間目によく頭痛が起きた
小学校5年生で父が癌で亡くなるが、そのあと直ぐに祖父も亡くなってしまった(大きなショック)
なんで自分ばっかり不幸なんだと思ったら段々閉じこもってしまった
唯一絵が私に光をともしてくれて、そこから深入りしてきた
中学1年から大人の小説を読むようになった (恋愛小説とか)
兄から図書館から本を借りてくるように言われて、段々その本を読んでから返すようになった
挿絵画家の条件
①絵が描けないといけない
②文学が好きでないといけない
③歴史認識ができていないと駄目
中学、高校で知らずにそのようなことをしていた
学科の中で歴史が一番好きだった
24歳まで兄の通信教育の教材があってそれを見ていて、家で絵の勉強を続けた
一番癒されたのは海ですね 立山がよく見えた ゆったーりした波に癒された
山は別な意味で、緑に癒された
湿度が高くて、此の湿度のフィルターを通して生きてきた、湿度が自分にとって心地よかった
湿度のある絵 私自身が持っている身体に沁みついている心地いいもの、をずーっと書いていたらこのような色の絵になってしまったが、落ちつかせるためにそこにはほんの若干のグレーが入っている
グレーとは 雲が垂れこむ時間が長い、そうすると知らず知らずのうちに、頭がスカーっとしない、そういうのがずーっと来るとそれが普通になってくる
どっか重みのある空気感が凄い好きで、長谷川等伯という人の 松林図屏風 国宝第一号の作品で等伯は七尾に生れて、もっとここよりも湿度が高かったと思います
松林図屏風はまさに湿度の頂点を描いた絵だと思う
湿度を描くことによって、プラス、プラスで絵を描いてきたものが、マイナスに転じている
引きの美学で絵を描いた最高傑作だと思う
同じ風土を背負っているという意味で、大先輩に感謝します
グレーを入れないと自分らしさが無くなる、これを描いているとホッとする
風景を見たときに、緑を見ても、空を見ても、ストレートの色ではなく、このフィルターの部分が私の能登、珠洲ではないでしょうか
100色を越えた色 沢山作り置きをする(乾かないようにラップをかけて中央が空いている)
新聞の場合には凄くスピードが要求されるので、作り置きしておく
私は指で小説を読む 目だけでは限界がある
(視覚と触覚の二つの感覚を使うと読むのが早い)
絵をスケッチするときに、スケッチブックは使わずに、手のひらに繰り返し繰り返し描いていって、記憶させてゆく 「手のひら スケッチ」
難しい字でも手のひらに書いてゆくと、覚えやすい
鉛筆で書くと凄くリアルになるが、手のひらだとあいまいになるが、大事なところだけが映像として残ってくる
出版社の人に言ったら、これは昔からあったことですよと、昔、太ももを使って描いたと言われた
締切日を指定日よりも一日早く設定して、ハードルを高くしてやるようにした
締切日よりも一日早く届くので編集者に凄く喜ばれた
編集者、出版社、読者に喜んで頂ける絵を描いていきたい
挿絵は制約の中の芸術なんだという、私にはぴったり(ハンディーだらけだが)
考えてみたら生きる力の方に倍化してきたように感じる
考えてみたら、ハンディーではなくて、むしろ生きる強い力になってきてくれた様な気がする
生きて残すものもあれば、亡くなって残すものもあることを感じた
(両親の死によって残してくれたもの)
長い間仕事が無かった、お金もなくて、仕事がない時の苦しみをなんと辛いとずっと身に沁みていたので、今どれだけ入ってきても、苦しむななんて思ったことが無くて、嬉しくて嬉しくて、来たものは全部引き受ける、生きるエネルギーになっている
と