2013年8月28日水曜日

金子貴一(秘境添乗員)      ・世界の秘境を旅して

金子貴一(秘境添乗員)     世界の秘境を旅して
秘境添乗員は砂漠、辺境地域の仏教遺跡など、ありきたりの観光地とは違う、秘境の旅を案内する旅行添乗員です
金子さんが訪れた、国や地域は100を越えています
子供のころはおとなしく、引きこもりがちな子供でしたが、このままではいけないと、アメリカに1年間留学しました
中学、高校時代に世界にある数々の社会問題の解決方法が無いないかと考え、其問題を解決するためには、世界に目を向けなければと、高校卒業後、エジプトの、カイロ、アメリカン大学で文化人類学を学びながら、通訳、ガイド、報道機関の記者などを経験しました
7年間のエジプトの生活を終えて、日本にかえってきましたが、エジプトの生活からなかなか抜けきれず、日本になじめない日々が続きましたが、それを克服して10年前から旅行添乗員として仕事をしています

添乗員とガイドの違い 海外旅行 日本からお客さんの団体をお連れして、現地でも旅行が日程通りきちんとできているか、管理しながら、日本まで同行する人
ガイドは現地で一つ一つの遺跡や観光名所などを説明してくれる人
添乗員でありながら、同時にガイドも兼務してしているという事も多いです
英語、アラビア語ができる
秘境に行けばいくほど其国の言葉が話せた方がお客さんへの役にはたてる
秘境→アマゾンの川下りとか冒険しながら旅行するとかが多いかと思うが、私の場合はあまり日本人が行けない場所にある遺跡に皆さんを御案内することが多い
日本国内の場合 隠れキリシタンの旅行とか、五島列島、東北では イタコ祭り とか企画した
消えつつある日本伝統文化 等も楽しみ方の一つ

出雲の方である8年に一回の特別の神楽(観光案内していない) 明治維新に禁止されてしまったような神官 宮司等が憑依(ひょうい)現象を おこすという そのために必死になって神楽を行って神様に降臨してもらう  8年間努力して1昼夜にかける 
勉強しないと判らないので、ツアーに出ていないときはいろいろ時間をかけて探す

子供のころ 社交性のない子だった  いじめにあい、段々学校に行きたくなくなる
中学校では、下痢になったりして、親を悩ました
車で送ってもらったりするが、不登校になってしまったりした
高校は進学校でいじめは無かったが、全くお互いに干渉しない状況 子供なりに悩みが積み重なって、また不登校になってしまった
学校に行っても新聞などを読みふけっていた(あまり高校時代のことは覚えていない)
3年の8月に留学を考える 自分なりに解決策を見つけようと考えた
出来るだけ多くの文化を勉強して、其中から解決策を見出していこうと思った
アメリカに1年間交換留学生として行かしてもらった
親、担任の先生も理解があって行かしてもらった

思っていた以上に物凄い収穫があった
行った先はいろいろ社会問題を抱えている家族だった
父親は暴走族のロス支部長 母親はカナダから移住してきて、若いころ、すりとして名をはせていた  
弟は、中学生でギャンブルをして学校を首になってしまった  そんな家族
キリスト教原理主義の方  1週間に3~4日 聖書の勉強  布教活動 協会に行く
キリスト教が勉強できたことは有難かった
社交的なアメリカ人になれるように、育てていただいた(今でも交流は続いている)

帰国後3年生をもう一度やって卒業した
文化人類学を勉強して、社会問題の解決方法を見いだしたいと思った
カイロの大学に行けば、中東、アラブ、ヨーロッパ、アフリカ文化を勉強できると思って行った
7年間行っていた  到着後2カ月後、1982年にサダト大統領が暗殺された
戦争が起こったりする中で、学生時代が始まった
観光ガイドをやらしてもらったり、日本の支局でのアルバイトもした
マスコミ関係の仕事としてはいろんな勉強をさせてもらった
エジプト人のお父さんの役割りをしてくれた人がいて、どのように人と接するべきなのか、敵対する中でどのように人的ネットワークを作って言ったらいいのか、どうやったらより相手を説得できてスムースに仕事ができるのか、アラブの人間関係のノウハウを徹底的に教えてくれた
19歳~26歳までいたので、どのように行動すべきか、育てていただいた

80年代のエジプト人の若者は、物凄い濃厚な人間関係があった
初対面のエジプト人同士でも、90%以上は心を割ってしまって、兄弟としてお互いを扱うような人間関係だった
人と人の垣根の徹底的に低いところだったので、社交性と戦う事になる
誘われるパーティー、遠足など徹底的に参加してみたら、社交性とかが破壊されてしまったらしい
日本人としての自分、アメリカ人としての自分、エジプト人としての自分 3人の自分が存在してしまうような状況になり、自分の中で反発しあったり、自分の中で納まりきれない悩みがあった
そういった時期があった

両親が外国人のように見えた(自分が完全にアラブ化していた)
日本的な感覚に違和感が感じるようになった 自分が日本になじめない
仏教のお坊さんに話す中で、日本自体に対する憎悪を受け入れたりしてくれた
あなたは何故水と油のようにしているのですかと言われて、数日間家で悶々と悩んでいた
帰国後4年も違和感が膨らんでいた、怒り、違和感が、そのお坊さんの一言がきっかけで、4日もすると消えてしまった
それからやっと日本という社会でも生きていけるようにならしてもらった
それまでアラブ人から見ていたが、日本人としての自分が起き上がってきて、日本社会に入れるようになっていった

フリーライターとして始まった その後添乗員の仕事がはじまった
現在100カ国に行っている
一つ一つの国に親友を作りたいと思っている
独裁国家、破たん国家に行ってみたい(秘境が多くある)
ナイジェリア、トウゴ 西アフリカ 中央アジア 等に行ってみたい
どんな違う文化、言語、宗教が違っても仲良くしたいと強く思っているので、文化、信仰の違いが
知りながらも本当に違和感無くその国々の人達の中に入ってゆくことができるんだ、という事でしょうか  
それを理想としているが、できつつある
誠意を以って交流してゆく中に、本当に日本人の親友同士であるかのように、魂と魂が親友になれるという事が段々、そういう事が一つ一つの国で親友ができてきているので、有難いと思う

教育問題、社会問題  現段階の結論 個人個人の解決には結びつかない
知ることではなくて、一人ひとりの成長が結局そういう事を解決してゆくんだろうなと思うようになっている
一人一人の心の成長、人間としての成長、魂の成長、そういうものが今重要なんじゃないかと思っている
濃厚なコミュニケーションのなかで、お互いに成長しあいながら行くというのが、現段階での解決策
しっかりとした自分自身の考え方や、自分というものを持っていながら、異なる言語、文化、宗教にもすーっと違和感無く入っていけること、今私が思っている国際人なのかなと思っています 
イスラム世界に御恩があるので、どうやったらイスラム世界に御恩返しができるのか、最終的に自分自身が僧侶にならしてもらおうと思いたった
多くの方々が戦争で亡くなっているので、御供養、魂の癒し、人の癒しにできればありがたいと思っていて、出張する前にお世話になっている師匠に御供養をお願いしてから現地に行くようにしています
仏教で「和を以って貴しとなす」 どんな文化、宗教の相手とも常に融和、和合を尊重する
日本の文化が世界に、特にイスラム圏の方々に発信できるものではないかと思っている
お互いに学びあいながらも成長できればいいと思っています