乾弘明(映画監督) 日本とアジアの関係を映画で見直す 2
乾さんは北海道の出身 ドキュメンタリー番組を中心に活躍したTVディレクターです
この10年は映画に活躍の場を移して、、「よみがえる玉虫の厨子」「海峡をつなぐ光」など飛鳥時代から続く日韓の文化交流と、平成の市民や、職人、学生たちの交流を描いてきました
今回の乾さんの映画のテーマは李藝、室町時代に活躍した朝鮮王朝の外交官のことで母を、倭寇に殺されながらも、日本に40数回渡航して文化交流に尽くした人物です
製作は乾さんとともに日韓の市民交流を描いた、映画を製作してきた日本のプロダクションで、
韓国側は韓国のTV局が協力、ナビゲータは韓国の俳優、ユンテヨンを起用
映画の中では韓国を訪れた日本の大学生たちと、韓国の学生たちの議論をする様子などもつたえています
6月から公開が始まりましたが、好評で上映館は全国各地に広がっています
東アジアの国々との関係が多く、多くの課題を抱える中で、日韓の文化を中心とした、交流をテーマにした今回の狙いや、取材の中で感じたこと等をお聞きします
報道ドキュメンタリーをTVでやっていた
NHKの10時からの番組で、環境、水中撮影、 自然の美しさ、、諫早の問題、干潟の干拓の問題、川辺川ダムの問題とか、自然破壊につながる公共事業とか、世界の美しい自然をつたえるとかやっていた
最初、1作目の「平成職人の挑戦」はイランとの合作映画のメーキングを頼まれたが
その一場面に山車の製作の映像があって、それを見たときに、凄いと思い、それが1本の映画になるのではないかと思った(飛騨高山の山車 100年ぶりに作ると言う話がありドキュメンタリーにした)
職人の人たちが凄くかっこいい セリフを聞いているだけで、自分の生き方を問われているような気がした
「よみがえる玉虫の厨子」 日本と韓国の別の意味での職人さんともいえる感じ
復刻版を作ろうとの事で、高山の山車を作ったチームと同じチームが作ることになった
朝鮮半島とのつながりがどうしても出てきて、ちょっとだけ触れることになる
「海峡をつなぐ光」 朝鮮半島とのつながり 新羅で玉虫を使った馬具 同じ技法があり、たまたま韓国で復刻版を作っており、それを韓国MBCがドキュメンタリーで追っており、日本と同時にやっていたので、それでは一本にしましょうと、韓国側と共同制作のような形で、それを一本の作品にまとめた、それが「海峡をつなぐ光」
基本には、日本の伝統の凄さ、文化を受け入れて日本の中で消化させるという日本人の力は3本を通じて感じる
日本の職人の技の凄さ、システム 完全分業制 職人が特化していて、本当のスペシャリストが集まってチームワークで物を作る日本の技術力の凄さが、その時代からつながっているんじゃないかと感じる
蒔絵の技術 日本で昇華させてゆく
現在の先端技術にも通じている
李藝 (イエ) 初代の日本通信使 「海峡をつなぐ光」で日本と朝鮮とも関係を調べてゆく中で、朝鮮通信使は江戸時代来ていたが、室町時代に先駆けとなった人がいたことを知って、この人物は面白いと興味を持って、是非取り上げていたいと思った
資料が全く日本側にはない 韓国側に残っていて、紐といたり、知恵を拝借しながら、事実だけを拾ってゆく作業を先ず始めて、どうドキュメンタリーにするか、難しかった
江戸時代の朝鮮通信使の資料は残っているので、それをベースに韓国の俳優に旅をしてもらい、日韓の交流を改めて今、考えてもらうという形にした(ラフスケッチ)
倭寇が日本海、から朝鮮半島にあらしまくっていた
ちゃんとした国間の条約が出来ていなかったが、そこを調整したのが李藝
いくつかの条約の締結に至ることになる
李藝は地方の役人の子供として生れる 母は倭寇に日本に連れ去られた(李藝 8歳の時)
母を取り戻そうと思って、外交官になったと思う
母に会いたいと日本に何度も渡ったのではないか(推測)
40数回 日本を往復する 海賊にあったり、難破したりして命からがらが、何度かあった様だ
通ううちに日本人を好きになって、信頼関係が生まれて、いろんな条約を残したり、文化交流などするようになれたのも、憎しみが信頼に替って行った瞬間が絶対あったのではないかと思う
朝鮮通信使が残した書等がお寺など各地に保存している
中国の文化を朝鮮を通じて、学ぼうとしていた
韓国のウルサン支局 (李藝の出身地) 協力してきた
縦軸がナビゲーター 案内役 ユンテヨン 韓国の俳優 子供のころ日本に2年ぐらい住んでいた
釜山から京都までの旅を追ってゆく 韓国と日本の歴史の問題 豊臣秀吉の時代、日韓併合
のことを、考えてもらいたいと思っていたので、取り入れた
映画の後半、日本と韓国の学生たちの議論 韓国大使館の主催でいろんな歴史的なものを見た後で率直な若者同士の議論の場ができた
現代史を若い人たちと一緒に観てみたいと思った
SNSリポーターをやっていて、今回 朝鮮通信使をテーマにしてくれると言う事もあり、一緒に旅をすることになる
最後の討論は私がお願いして、討論会をやってもらった
韓国の学生は被害者としては忘れられないよ、でも文化交流は大事だ
日本の学生は歴史の認識が違っていたが、日本と韓国の小学校からの教育制度の違いが根本的にあるので、教育の大切さ、間違うと良くないと思ったりした
人と人の交流が一番大切だと言う事は、彼らは気付いているので、政治になると、国と国となると難しいという問題がうまれてくるのは何故だろうと言う事は、両方とも感じていると思う
その後も学生同士はメール等でやり取りしている
日本と韓国の間では、ぎくしゃくしているので、タイミングを見ることは有りました、苦労はあった
先の大統領を含めて、どうしてそこまでしちゃったんだろうと思う
寺院、自然の美しさ 日本、韓国のおのおの良さ
建築 技法が似たものがある 韓国は戦争で再建物が多いので色あいが新しい
日本の寺院はわびさびの世界 色落ちした世界 緑とのコントラストがいい風景になっている
日本の文化は朝鮮に影響が与えたものは?→食べ物、 サツマイモは日本から韓国に持ち帰った
水車の技術、船の技術は室町時代は日本は高かったので、李藝が持ち帰って、韓国で広めて船の改造をしていったと言われている
ユンテヨン 気さくな俳優で旅の中でおばちゃんたちと段々交流が深まって言った
今の日韓関係の状況を考えながら、私たちは何をすべきなのかを考えたと言う意見が多いのでやってて良かったなあと思う
映画のテーマでもあるが、人と人とのふれあい ふれあう事でしかわからないことはいっぱいあると思うので、ふれあう事によって広がる事が一杯ある、ふれあう事によって理解できる事がいっぱいある、そのことに賛同してくれる人が一杯あり、嬉しい限りです
日本と言う国は、選択肢はいろいろあると思うが、基礎を抑える事も発信していきたいと思っていて、日本人とは何だ、と言うところをもう一回見つめ直してみたい
ドキュメンタリーの面白さ 予想しないことが起こる 自分の思った通りにはいかない
新たな発見があったりする チームワークの面白さもあったりする