2012年4月18日水曜日

玄秀盛(歌舞伎町駆け込み寺代表) ・人生180度転じてボランティアに

玄秀盛(歌舞伎町駆け込み寺代表55歳)  人生180度転じてボランティアに 
歌舞伎町に駆け込み寺を開いて10年になる  
昨年から財団法人の支援を受けられるようになった  名称が「日本駆け込み寺」に変わった
誰でも駆け込み寺に来てどんな悩みや相談に応じる  
玄さんは自分の45年の波乱万丈の人生を生かして一人一人に真贄に取り組んでいます
生れは大阪市西成区 物心着いたときから転々としている 
父親は韓国の済州島から密入国できて 神戸で働いていた 
母親は在日で神戸のにしなりで働いていた

私は母親以外の処を、短くて半年、長くて1年半ぐらいで転々と住むところを変えて暮らしていた 
知っている人で5人 そこら5か所をそのぐらいの周期で変わってゆく
三重県 京都、奈良、大阪 行くたびに全く環境が違う、名前も変わるし、学校も違う  
名前も変わるし、国籍も変わる 小学校2年の時は3回変わっている  
3人親が違うと言う事で 誰が自分の御母ちゃんかなと言う事で 小学校2年の時は
北朝鮮の学校 全く違った環境 小学3年になったら韓国系の学校で全く違う
 三重県に行ったときは韓国の済州島から密入国してきた海女さんだった人がお母さんだった
三重県は転々とした 父親自身は働かないので常に女性に食べさせてもらっている 
だから女性の処に行ったらそこの家族に連れ子で連れまわされる

父親が又違う女のところに行くものだから、そこに居られないので当然家出する  
警察に報道が掛る 父親が呼ばれる 父親は密入国から外人登録を
持っていたから、そういう繰り返しを小学校で8回 中学校で5回 当然勉強も付けられないし 
兎に角自分の生活 飯、をどうしようかとのことしか考えていなかった
子守をし、新聞配達をしたが 忘れもしない1200軒の初任給を1000円を母親に取られて 
新しく入れてくれと言うところを10軒持っていた 
朝夕配って560円 5600円 その地区を集金もするので5600円が丸丸自分の懐に入る  
こずかいは貰ったことが無いので5600円を栄養補給に使った
自分がご飯を食べるのに必死しか言いようがない  中学生 煙草をやってたりシンナーを吸って
たりするので走るのに辛い 万引き、高校生に対して窃盗をする

中学2年になったら密入国した母親がかった家に一人で住むようになる 
手に負えないのでここに一人で居れとの事
月のうちの1週間分の食費しか貰えないので 恐喝をほとんどする 
補導は5~6回される 学校でも家庭環境を判っていたので退学とかは成らなかった
自動車修理工場に就職しようとした シンナーが吸えるからと  
仕事しながら半年ぐらいシンナーを吸いながららりっていた(食事もろくにせず)
先輩からこんなことをしていては駄目だと言われ、兎に角ここから出ろと 生みの親のところに行けと 
時計を餞別に貰った

生みの親のところに行っても、生みの親も男が入れ替わり変わるので 当然合わないので 
出たり入ったりしながら 寿司屋に就職(食べれるから)
その後転職する 職種で20職ぐらい、転職の数で40回ぐらい変わる   
殆どあらゆる職種を体験する 行き当りばったり  人の動きばっかり見ていたので
仕事作業は1回やると6割は覚えられた 実践すると自信が付く 盗み聞き 盗み見は得意であった   
20歳で結婚している 21歳で子供ができる  ローンで購入したので借金があったので
がむしゃらに働いた 糞尿処理とか効率がいい物 ちり紙交換 キャバレー店長
とか 一日14時間ぐらい働いた  速く認めてもらう為に一生懸命にやった 

大工の親方が逃げて 2か月半で完成しなくてはならず ハッタリでやりますと手を挙げて 
図面も読めないのに 監督等に聞きながら 完成させる  そこで200万円を貰う事になる  
それから建築の看板を挙げて立ち上げる
建築現場でぎっくり腰になってそれが原因で椎間板ヘルニアになってしまう  手術する 
1年間入院、及びリハビリに費やす 
肉体労働は出来なくなってしまった 大工で培った人脈で人を使ってやるしかないと思った  
人夫出し(今の人材派遣に相当)をするようになる
たまたま怪我をしたときは大手の処で働いていたので労災が適用されて収入への影響は大丈夫だった   
その時にがむしゃらに本を読んだ 如何に人を使うか どうしたら人に慕われる人間に成れるか  
いままで経験したことをちょっと脇から見直して見た

人夫だしは旨くことが運んだ 最大200人は使った1988年 バブルが終わる一歩手前の時代だった
当時1日1000円あれば食べていけた時代で凄く儲かった 簡易宿泊所作り作業員を集める  
6000万円/月儲かる  最盛期は会社10個作る 
 金融、不動産 等   サラ金とか 10日で1割 1月で3割  (今では規制があるが)  
需要は有った あこぎな商売ではあるとは思わなかった
回収率は100%だった  評判は抜群に良かった 飲食店不動産等  手形では決してやらなかった  
180日待って居られない
貯金をせずに夜は遊びまわって、妻と離婚することになる  2番目の妻との中で家庭を作り 
夢を実現したと思った しかし自分の居場所がない 

ホテル住まいが一番安心する  仕事に貪欲に邁進する 当時年商20億円 自分で使える金が8億円だった  
神戸で大金(100万円)を使って、飲み食いすると目立った
大阪でも目立つ たまに東京銀座で使っても目立たない カスみたいなもの 
関西弁を使うということでは人に目立った    東京にちょこちょこ行くようになる
天台宗で得度する 平成元年10月27日初めて出会う 
生れてこの方メモ取らない  いままでなにからなにまで頭の記憶  平成2年2月4日に得度する
(1990年に天台宗の僧侶、大阿闍梨酒井雄哉(2009年現在 比叡山飯室不動堂在住)のもとで得度)
知り合いに京都のお坊さんに会いに行くと言うので、坊主丸儲けと言うから行ってみようとその人と
一緒に会いに行った

「あじゃり」(阿闍梨)さんにあう  片方に最澄、もう片方に伝行大師と書かれた物があり 
どちらが偉いのですかと聞いたら答えなかった 
10分ほどしたら足が痺れてきたので立ち上がって不動明王をじーっとみた
右と左では顔が違うなあと 後ろは炎やなあと それから不動明王を見に通うようになった 
同期で7人が得度して坊さんに成った 私は得度だけして得度で終わりとしていた   
10年通った 毎日掃除しかしなかった 下働きが好きだった なにか気持ちいい
なにかいい事をしてやろうじゃなくて 何か自分を磨いてやろうじゃなくて 何かすがすがしい    
「行」らしいことはしなかった

36歳の時に29日間 阿闍梨さんが東北巡礼に行ったときに 栃木県の大慈寺から恐山まで
1600km 29日間行かれると言うので是非自分もと先立ちで歩かして貰った
出かけるにあたり、初めて赤の他人に仕事を2か月前に全てを任した  疑いも無く任した(手形 預貯金 等)
3日もすると足がパンパンに成り厳しく 電柱ごとに色んな事を考えて歩くようにしたが
そのうちにネタも切れきた 毎朝4時に起きて 終わりが9時10時となる事がある  
その間夜に飲みに行ったりして肉を食らったりしてはいけないのに牛タン食ったりした 
恐山に行く最後の夜にも居酒屋で飲んだりスナックに行ったりしていた 
二日酔いで まっすぐ歩けと怒鳴られた  
あっ終わったと 帰りに草津温泉で楽しもうぐらいの思いであった

頼んでおいた会社も8000万円から6000万円ぐらいに収入は落ちていたが挽回できると思っていた 
余り追い込まないでおこうとか中途半端な仏心が裏目に出始めた   
ちょっと緩めるちょっと明日の事を考えてここを緩む 待てよどこかでなんかの歴史書に書いて
有ったよなとふっと思い出した時に人間何百年経っても変わらないものなのだなあと思った
どっかでかすかに追い込みが効きにくくなる  あんなに寺を回ったし、般若心経も一丁前に
覚えたし、ちょっとした「許す」と言うかけらを、覚えるのでしょうね
そうしたら事業が傾きだす  弱みは見せられない