2011年6月11日土曜日

高石友也(69歳) フォクシンガー    ・自分探しのフォーク人生

高石友也(69歳) フォクシンガー  
<概要>
ちいさいころの母からの虐待に対してずーっと内に秘めていたが最近になってこの事を告白すること
によって 心の重みが溶けた
大学時代にフォークソングの先駆けとなり 「受験生ブルース」が大ヒット  アメリカにも一時行って 
ここでの学んだ事がその後の人生に大きく影響する
妻を大腸癌で失う まだキズは癒えない  西国33所観音霊場巡りを行い歌を作って奉納する
イベントをする 
北海道 雨竜町 小さい頃母親から虐待されていた(話して心がすっきりした) 私の母は親から
勧められた結婚(嫌な結婚)だったと母親から言われる
お前は憎らしい 、お前は嫌いだ 無理やり合わしてきた 母親を好きになれない  
近所におばあさんがいてくれたので愚れなかたのかも(心の受け皿)
虐待は何十年も引きずった・・・フォークソングが必要だった
卒業する前に関西にゆく ギターでフォークソングを英語を日本語にして歌う・・・この歌が受ける   
関西フォーク始まる
ビクターには演歌で入った・・・森進一と同期  フォークと言うジャンルはなかった

大学紛争・・・学生たちの大学にしたい  心の改革が60年代にあった 60年の時に大学一年だった
鶴見俊輔 (ベ平連 哲学者 同志社大学の教授) 「 高石君ギター 一本でずっと続けなさい 
それがフォークソングだよ 他の音楽はパーフェクトを求めるけど
ギター一本だったら人間的でいいんだよ 何とか近づこうと信頼関係が出来るから   
不完全で良いんだよ」
歌詞も言いたいことを言う
69年 受験生ブルース 会社は大きくなるが関係なかった  みんなニューミュージックに代わってゆく
米国に半年近く行く  30~40代の若い教授が集まって話す 日本車を持っている 大型の車の時代
は終わるよ ジョギングも教わる 
サーフィンのように走ってごらん→太陽と波と遊ぶだけだよ お話しながらゆっくりやりませんか
(日本では勝つ走りしか知らなかった)
音楽も同じ・・・大好きなお客さんとのんびり一緒に楽しくやってゆけばいいんだよ→生き方が変わった
(顔まで変わったんじゃないか)

福井県の田舎に引っ越す ナタショー村 自分探しの歌(朝から晩まで 歌い 音楽を聞き)
京都で野外コンサート・・・永六輔と出会い やろう ゲスト 渥美清、倍賞千恵子、黒柳徹子、・・・
よいよいやまコンサート 二人称  一般に音楽は三人称 知り合いのコンサート 
(やり取りがある 不特定多数ではない) 最後の小屋だねとの言あり
30回で最後 永六輔の具合がいまいちになる (本締めはない)・・・今年で最後のよいよいやま
コンサートが行われた(あとでNHK TVでも紹介された)
走って西国33所観音霊場巡り
歌を奉納する

一番寺(青岸渡寺:天台宗寺院 西国三十三所 第一番寺)
「遠い南の海の果て 観音浄土を目指して 老いた僧侶が舟を出す 補陀落(ふだらく)目指し 死出の旅
 僕らは今 旅に出る 真っ白な服に着替えて
熊野は黄泉の出入り口 儂(わし)は生まれ変わる 山青く海青く 心清く 一番札所見上げれば 那智の滝 
手を合わす青岸渡寺
神の住む社があり 仏の住む寺がある いのち信じて歩きだせ 巡礼ここに始まる 山青く 海青く 
心清く 一番札所 見上げれば那智の滝
手を合わす青岸渡寺
壺坂寺
信じ合うお里沢市千日詣り 眼を閉じて 心の眼を開く 壺坂詣り 生きてゆける あなたとわたし 
仲良く 仲良く 生きてゆけるあなたとわたし
仲良く 仲良く 幸せ願う小巻を炊けば おのが罪 目を閉じて 手をかざす 壺坂の秋 
生きていけるあなたとわたし  仲良く 仲良く 生きていけるあなたとわたし  仲良く 仲良く

長谷寺
訪ねよう 五月の初瀬山(はつせやま) 花の寺 訪ねよう 山深く 咲き誇る白牡丹 登りゆく この階段を 
一歩ずつ一歩ずつ 生きることは訪ねること
長谷寺の観音様   登りゆく登廊(とうろう)階段 一歩ずつ一歩ずつ 生きることは祈ること  
長谷寺の観音様 
生きるとは訪ねること  長谷寺の観音様

妻が大腸がんであることを宣告される(半年と宣告される 四年半に延びてくれる) 
亡くなった日の翌日 東日本大震災となる  人は誰も人生に躓いて・・・ 歌うと泣いてくる
怨みつらみを言い合えるのが本来の家族 本来の友達   遠慮しすぎて突然キレてしまう人間関係
の時に言えてしまうと心が休まる
東日本頑張ろう・・・被害を受けてない人の言葉  被害を受けた人達はこれからどうするのだろうか
(私は一緒に泣く事をしただけなのだが)