2025年10月31日金曜日

中村京蔵(歌舞伎俳優)          ・守って破る伝統の世界

中村京蔵(歌舞伎俳優)          ・守って破る伝統の世界 

中村京蔵さんは昭和30年東京都出身。  大学卒業後1980年、国立劇場歌舞伎養成所の研修生となり歌舞伎の道を歩み始めました。  以来、国内だけでなく海外の歌舞伎公演にも数多く参加し、 また自主公演にも積極的に挑戦するなど、時代の変化に対応する歌舞伎に意欲的に取り組んでいます。 中村京蔵さんはテレビで放送のパソコンのビジネスソフトのコマーシャルに長年出演しているので、顔や声を御存じな方もいると思います。 

祖母が歌舞伎が好きで、祖母と一緒に歌舞伎を観ていた記憶があります。  日本舞踊も小学校4年生で始めました。  一般の家庭でしたし、高校、大学に行く頃は歌舞伎への道は諦めていました。  大学3年生の時に、武智鉄二先生(「歌舞伎評論家、演出家)と言う方が居まして、歌舞伎塾に入部しました。  「やらないで後で後悔するのは厭だろう。」と言われて、親の反対を押し切って国立劇場歌舞伎養成所へ入りました。(24,5歳) 2年間歌舞伎の基礎を学びました。  応募が20名程度で入ったのが10名で、半年後には半分が辞めました。  四代目中村雀右衛門が大好きで、門下となり、同年10月中村京蔵を名乗りました。  

「骨の下の内臓を動かしなさい。」と言われました。  最初判らなかったが内筋を使いなさいという事でした。  余り私が出来ないと無言になってしまいまます。  稽古も途中で止めてしまいます。 (応えます。)  通算34か国60都市ぐらい行く様になりました。 国際交流基金主催の日本紹介派遣事業で歌舞伎の紹介の事業(歌舞伎レクチャーデモンストレーション)があり、10回ぐらい行きました。  大歌舞伎はフランス公演だけです。  歌舞伎をどうやって理解してもらえるのか毎回考えました。  鷺娘歌舞伎および日本舞踊の演目のひとつ。鳥であるが、娘に姿を変じて踊るというもの。)を演じる前に、現地語で解説して行います。 獅子毛振り獅子が長い毛を派手に振り回す。 邪気を払う。)は喜ばれます。  最初のころは予算が無くて音楽が録音放送でした。  その後は生演奏をするようになりました。  私は女形のレクチャーをしました。  仕草などを一緒にやりましょうと言うと、どこの国に行っても皆さん一緒にやって下さいます。  

現地の舞台はリノリュームと言う材質で全然すべらないんです。  女形ですと裾があるが裾もついてこない。  踏み足のトンと言う音も出ない。  オペラの舞台で傾斜が強くて、ここで踊るのかと、足がつりました。  15年前ぐらいからアニメブームになり、日本の文化に興味を持ってくれる人が中米でも多くなって、若い人が歌舞伎の舞台を見に来てくれました。 現地の音楽に合わせて獅子毛振りをやると凄く喜んでくれました。  いい文化交流ができました。  

2015年、蜷川先生の「蜷川マクベス」があり、魔女をやらないかと言う話がありました。違和感はありませんでした。   自主公演の中に中島敦の「山月記」(唐代、詩人となる望みに敗れて虎になってしまった男・李徴が、自分の数奇な運命を友人の袁傪に語るという変身譚)を舞台でやるという事になりました。  本を読んで舞台でやってみたいと思っていました。  19年前に「山月記」をやりました。  今年再演する機会に恵まれました。    弓矢の名人になった究極が弓矢を忘れてしまう、道を究めた行く果ては虚無なんですよ。           「山月記」の李徴も虎と人間とのはざまで逡巡してますが、彼が完全に虎になったら虚無の幸せな世界に行くと思います。   歌舞伎もそうですが、芸道の修行の行く果ては虚無なんです。 

OBCの会計ソフトウェア「勘定奉行」のテレビCMで、奉行役を長年演じています。(30年になる。)  大富豪になったといううわさがまことしやかに流れましたが、自主公演に全部使ってしまっています。  後輩の指導をするようになりました。  人に教えるという事は自分の身体で覚えてきたことを言語化しなければいけない。  海外でレクチャーしたことで覚えました。  やってみる事と並行して言葉で説明しなければいけない。